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容疑者心情(ゆめうつつ)

 東青梅の地主との話しで、最近、多発する無差別通り魔の話題になった。
 地主は、一般人を狙うことが理解出来ないという。
 確かに、本来なら、要人を狙うべきだろう。これについては、以前に触れた。
 ただ、このように考えられるのは、未だ、理性が働くためである。犯罪行為の間、果たして、理性が保てるのか。
 容疑者の多くは、社会的な繋がりが薄かったようである。こうした場合、疎外を感じるのは普通ではないか。
 こうした背景の中、あることが切っ掛けで理性がなくなった時、その矛先は誰でも構わないとなるだろう。第一、そこにいる存在感さえなくなっているはずである。現実か否かの区別さえ付かなくなっている状態である。
 ここでいうあることとは、より疎外を感じた瞬間を指す。
 何れにしろ、報道や識者の意見を見ている限り、恵まれている人間の視点からのため、誰もが納得出来ないとしているけれど、疎外された者の視点から考えれば、容易にその心情に近付ける。
(第千八百四十四段)
by akasakatei | 2008-09-17 22:20 | 社会心理 | Comments(0)
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