十月の和菓子は何にするか迷う。
栗の季節である。ならば、それを使ったものか。
店へ行ったところ、鹿の子がある。餡玉の上に栗を乗せたものである。
これまで、鹿の子は数えるほどしか食べたことがない。
これは、餡ならば漉し餡を好むため、潰し餡や餡玉にはあまり手が伸びないからに他ならない。
だけれど、あまり食べたことがないものを食べるのも悪くはない。
餡玉が歯に当たる感触は悪くない。
川柳では、このような餡玉を釈迦の頭と詠んだものもあるらしい。
言われれば、なるほどと思う。
それしても、季節の移ろいの早さを感じる。この間、花びら餅を食べたと思っていたのに、もう栗の声を聞くようになった。
こうした流れは、季節のはっきりしている我が国特有のものである。
無常を感じる。
そうした一方で、和菓子を食べる時、これが何気ない日常の幸福とも思う。
無常だからこそ、それらを大切にしたいのかもしれない。
(第千五百十三段)