世間では挨拶運動をすれば、地域が健全化されると思っている節がある。
先日も、母校より、朝の挨拶運動をするようになったという学報が届いた。
これは疑問である。
例えば、秋田で母親に殺害された女児がいた小学校では、挨拶運動をしており、それに関して、胸を張って、良い点を力説していた。実際には、大人に向かって、挨拶をしているその子供らが、被害の女児を虐めていたとの話しもある。
「僕達、大人に対してはちゃんと挨拶をするよ。」とその本音が伝わってきそうである。
挨拶とは、元々、強制されるものではない。その意味を考えた場合、色々と出て来るけれど、要は、コミュニケーションのひとつといえる。
だからこそ、その意味を知らずに、行なっても意味はない。
大人は、子供が挨拶しているからといって、安心してはいけない。根は違うところにある。
(第千六十四段)