経済格差が話題になっている。以前にも触れたことがある。
首相や御用学者らは、努力した者が報われる社会は正しいというけれど、実際はどうか。
それは言い返れば、貧富の差を肯定していることになる。
また、努力とはいうものの、現代社会では、既に機会不平等は起こっている。この場合の努力とは、富裕層に生まれたがために、それにより、勝ち組になったと言われたくないばかりに、勉強や習い事に努力したことを指す。
根底にあるのは、決して本人の努力によるものではない。
大体、政治家や実業家、そして俳優まで、その多くは二世や世襲となっている。最早、硬直化していることは否めない。
こうした社会が健全とは思えない。
健全とする人は、アメリカ側の人間が多い。
それによれば、アメリカの自由を評価するようだけれど、それは間違いである。歴史がない国だけに、過去の蓄積された文化がないこともあり、独善的な行為に走る傾向がある。それを自由と勘違いしてはならない。
(第九百七十四段)