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努標上(うそかまことか)

 この『岩戸傳惱梦草帋』も四百段を越えた。始めたのが平成十三年十月だから、約三年である。愚痴と溜息が出なくなることを願いつつ、毎回書いているものの、その気配が消えることはない。今年の三月末日からは毎日書いている始末である。
 この間、同感や反感を持たれた人もいるだろう。これは当然である。また、友人や知人にも登場して貰っているが、ここに感謝をしたい。
 尚、この文は今後も続けていく予定であるけれど、時々、読者の中に、事実と勘違いされている人が見受けられる。以前にも書いたけれど、これは話しを分かり易くするため、全てが事実ではないことを断っておく。理解し易くするために、例え話や事実を多少変えていることもある。
この世の中、全てを信じるわけにはいかない。うまい話には嘘があるように、まずは疑い、調べ、そして考えなければならない。
『岩戸傳惱梦草帋』を読み、そうした読者が増えることを望む。
前にも書いたけれど、この文は国分寺の師匠のHPにおける論説的な位置付けなのである。
(第四百一段)
by akasakatei | 2004-10-05 20:58 | 社会心理 | Comments(0)
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