昨年は三十日まで仕事であった。役所が早々に休みに入ったためか、都内の店の多くも二十九日までというところが目立った。
こういう時に限り、必要なものが出て来る。
都内を歩き回る。
かつての年末年始ではよく見られた光景である。
コンビニが出来た頃より、お節料理の持つ本来的な意味は薄れた感じである。
正月三日間、雑煮を食べない家も増えてきた。
合理的に考えれば、長期休みなのだけれど、民俗学的視点からだと、些か寂しい。何れ、昔話が通じないことになる可能性もある。
ある人の話で、小学生の孫に戦争中に物がなかったことを教えたところ、コンビニに行けば良いと言われたらしい。
これと同様のことが起こるだろう。
教養をもっと蓄えるべきである。特に、話していて、文学や歴史学、そして哲学、倫理学などに弱い人が多い。
これらは生きるに最低限必要なものである。利益追求社会では無駄と考えられ、学ばない人も目立つけれど、そのようなことはない。こうした教養がない結果、金と欲による事件、事故となる。
(第八百五十六段)