車掌は二十歳前後である。
尼崎を出ると大きくカーブし、事故現場である。そこだけ、誰にも分かるくらいに速度を落とす。例の線路脇のマンションを横目に直線になると、かなりの速度になる。線路脇に木が迫っている。
乗った印象だと、あのカーブであそこまで速度を落とす必要があるのか。また、直線での速度はかなり出ていた。丁度、乗った車輛は事故を起こした軽量化したものだったから、そう感じたのかもしれない。帰りはそれより古く、あまり速さは感じなかった。となれば、車輛により速度は変えるべきで、一律にすべきでない。
ただ、印象としては、分かる安全、例えば、事故現場での異様な速度の落とし方などは、見せ付けているようで嫌味である。
大阪に戻り、大阪環状線で弁天町下車。
ここで、地下鉄中央線で今回変更された部分に乗る。
コスモスクエアまでは地下鉄で直通出来、呆気なく着く。そこからは新交通システムに乗り換える。ここからが譲渡された軌道部分になる。
無人運転で、雨の埠頭を眺める。
終点の中ふ頭で、地下鉄四つ橋線に乗り換え、難波を目指す。今回、もうひとつの目的である南海ホークス行脚をする。
難波脇にあった大阪球場跡地に出来た複合ビルにあるホームベースとピッチャープレートを確認する。ここは新しい待ち合わせ場所らしい。雨なので、流石にモーションはしない。
また、このビルの上にはメモリアルギャラリーがある。栄光に触れられる。最後の監督、故杉浦氏のユニフォームや活躍した投手、打者、野手別の写真がる。ただ、人選には疑問が残る。現在、あれほどのチームだったにも関わらず、南海ホークスの資料館はないにも等しい。これだけしか関係資料がないとも思えず、寂しい限りである。
(第六百八十四段)