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血鈍巡(ちのめぐり)

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(池への道:2018年12月16日撮影)

不正入試のあった順天堂大学での会見は、それこそ、大学関係者のコミュニケーション不足のなさを晒したものとなった。ここは、先にも、新生児を取り違える事件が発覚し、広くメディアでも報じられた。
 その対応の拙さは、記憶に新しい。
 医師になるのに、不適格な者を合格させているようにしか見えぬ。
 そうした中、青山の児童相談所についての区との話し合いは平行線のようだ。
 他者への気配りがなく、ブランドが下がるとの自己主張により、イメージを悪くさせているだけだ。
 血の巡りの悪さを感じる。
 血の巡りの悪さといえば、ミス・ユニバースのアメリカ代表が英語を母国語としない国の代表を英語が出来ないと侮辱した。
 何を勘違いしているのかと思う。
 母国語が英語ではないのだから、出来ないのは当たり前だ。そこに、血の巡りの悪さを感じる。
 英語を母国語とする輩に、この類は目立つ。どこでも通じると考えること自体に、驚かされる。
 必要ないのだから、通じないのは当たり前だ。
 交通機関、飲食店、それに、宿泊施設でも、通じる方が珍しい。聞いた話しだと、仮に、話せると分かると様々なことを訊かれ、外人は良いガイドが見付かったと考え、仕事にならないらしい。
 旅館で思い出したが、先の十二社では、元連れ込み宿が民泊をしていた。どう対応しているのか、気になる。

(第五千六百九段)


by akasakatei | 2019-01-08 18:48 | 社会心理 | Comments(0)
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