(異様な世界が:2018年9月1日撮影)
駅で見た光景だ。
イヤホンで音楽を聴いているふたりの五十代男性が、列の先頭で
列車を待っている。
放送で、回送が入線して来るとの案内がある。
にも関わらず、このふたりは、白線の外に足を踏み出し、列車に
近付く。
己の世界に入り込むほど、怖いことはない。
開発者もこうしたことを予期すべきだ。
結果を考えないなら、原子爆弾を開発し、未だ、罪悪感がなく、
正当化しようとする国の連中と同じだ。
その国といえば、アジア系を入試で差別していたという。
所詮、それだけの国で、自由や何やらというのは表面的なことだ。
未だ、我が国では、海の向こうが素晴らしいと思うのか、すぐに
真似したがる。自国も知らずに、そう考えのは、明治以来の悪癖だ。
今、明治維新百五十年というが、さて、何を目出度がっているか、
理解に苦しむ。
また、自称保守派とする輩も、本当に、帝国主義やファシズム的
な発想が、平和に繋がると思っているのか。
(第五千五百十八段)