(開場前の紀伊國屋寄席:2017年2月14日撮影)
学校に対する不信の多くは、教師が世間を知らないためだろう。
横浜で、一転、苛めと認定し、教育長が謝罪した。世間の声で、動いたとしか思えない。
一宮では、認めていたものを校長が撤回した。説明を聞いても要領を得ない。上からの圧力と疑われても不思議ではない。
学校とは社会の縮図というものの、確かに、その一面とはある。
そうした中の二月十四日、新宿の紀伊國屋ホールへ仕事帰りによる。
「第262回紀伊國屋寄席」で、先日、文士劇の際、ポスターを見た。馬桜師匠が「明烏」、また、仕事場へ来たことがある小文治師匠が出演とあった。
これを目的で足を運ぶ。
他には、橘也さん、たい平師匠、主任が圓楽師匠だ。
よく落語を聴き、社会が分かったという人がいる。
落語には、世にいる大概の人がおり、ある意味、その通りだ。
この日の会場は、テレビに出ているふたりの噺家が高座に上がることもあり、大入りである。
(第四千九百二十二段)