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無責任社会(ほうちされたはて)

大川を渡り、月島地区を歩く度、未だ、建築中の建物がある。東京の変わりゆく姿に、良かったのは昭和五十年代くらいまでだったのではないかと思う。
以後は、成熟社会を過ぎ、下降して行くだけで、目指さなければならないのは、長期的な持続社会なのだが、何故か、消費社会のままだ。
超高齢社会、少子化社会は、かなり前から予測されていた。それなのに、何の手も打たれず、放置されていた。
現状を見ると、これまでと変わらず、経済第一を唱え、国民もまたその呪縛から解かれていない様子だ。
当時、権力の座にいた連中が、現状だけしか考えず、将来的なことは、次の連中が決めることと考えていた節がある。
何れにしろ、無責任だ。
現在でも、これは変わらず、原発など、企業のコストや国民が生活レベルを落とすことを好まないからとしている。
だが、ついこの間まで、これほど機械がなくても生活をしていた。それを思えば、苦笑するしかない。
更に、今日では、コストといえば、誰もが納得すると思うようで、職もなく、あっても普通に暮らしていけない給料ばかりだ。これでは、権力者が目指したい消費社会は、購買力がないのだから、回転はしない。こうしたコスト重視社会は、閉塞感に満ち、今後は、その時だけに必要な人間しかいらないという社会になるかもしれない。
こうなると、食べていけない人がもっと増えるはずだ。国は国民を守る気はないから、底辺層の棄民、そして、博打的な戦争への道を選ぶのではないか。
(第四千百三十八段)
by akasakatei | 2014-12-29 21:45 | 政治 | Comments(0)
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