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遠相原学舎(たまのそら)

 母校の野球部において暴力事件が発覚した。上級生が下級生をバットで殴っていたという。よく死ななかったものである。大学の運動部が事件を起こす場合、大体被害者は死んでいる。これは相撲部屋と異なり、体罰について手加減を知らないからだという。そういう観点から、今回は珍しいケースに違いない。
 在学中、スポーツ推薦の体育会の連中とは交流があったけれど、当時、そうした話しは聞かなかった。あまり強くない水球部やバドミントン部などの連中だったけれど、それでも、先輩の言うことを聞かないと丸刈りとのことであった。
 彼らと交流を持つようになったのは、英語の授業が切っ掛けである。出身学部は学力別で英語のクラスを決める。これが三年生まで続く。振り分けられた先には、体育会か付属高校からの連中ばかりが集まっていた。顔見知りにならない方が不思議である。
 こういう連中ばかりが集まったこともあり、授業はなかなか進まず、二年の時に担当になった小手指のとっつあんは「馬鹿者」ばかりを最初の頃、連発していた。とっつあん以外は講師だったから、そう気にもしなかったのだろうが、教授だったとっつあんには我慢がならないことだったと思われる。尤も、夏休み明けにもなると、とっつあんも諦めたのか、それとも元中学教師だったからか、話しが脱線するようにもなってきた。卒業後、とっつあんにはかなり世話になった。
 そのとっつあんの専門は日欧交渉史で、我々が在学中には年に何冊も本を出していた。それが最近出していないなと思っていたら、今回講談社学術文庫の新刊案内に載っていた。その頃を懐かしく思い出す。
(第五百七十二段)
by akasakatei | 2005-03-25 20:58 | 教育 | Comments(0)
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