人気ブログランキング | 話題のタグを見る

通野暮境界(かみひとえ)

先日、人名に新たに使うことの出来る字が発表された。どうみても、相応しくない字もあり、色々と議論されているようである。また、それから暫くして、カタカナ語の日本語への置き換えも発表された。
前者に関して思うのは、どうして戸籍法に制限があるのかという疑問である。その五十条には常用平易な文字とあり、その範囲については命令で定めるとある。この命令とはどういう基準なのか。今ひとつ理解し難い。名前とは生まれた子への周辺の願いが込められているわけで、あえて範囲を決める必要もないであろう。尤も、最近では子への虐待も問題になっており、それを防ぐ意味も考えるならば、わざわざ不快に感じる字を加えることもない。今回は使う頻度の多い字ということであったが、機械的な作業ではなく、字の由来を念頭に置いた仕事を望みたい。
また後者については、最初からカタカナ語ではなく、日本語に置き換えていれば問題もなかったはずである。それにしても、カタカナを見ただけではその内容は捉えられない。もし、仮に役所や会社でこれらを日常的に使っているとしたら、それこそおかしい。新しい語が口から自然に出たとしても、相手に理解されなくては仕方がない。そうした本質を忘れて、知識として使っているだけとすれば、それこそ噴飯ものである。漢字には成立の意味があり、それだけで雰囲気が伝わる。他の言語にはない特徴である。
こう考えてくると、一般的に漢字の知識が不足しているのではないか。いくら横文字を知っていたとしても母国語を知らないようでは情けない。
(第三百十三段)
by akasakatei | 2004-07-09 20:19 | 余暇 | Comments(0)
<< 窮怪乃放談(きゅうかいへのていげん) 対面鏡(あわせかがみ) >>