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宗教戦(かみのことばにみみをかすべからず)

 宗教について考えた。世の中、それによる紛争が多過ぎる。神とは何かと問いたくなる。どうも平和より、神自身への忠誠を求めているだけとしか思えない。特に、一神教にその傾向が強い。多神教ならば、信仰の対象がひとつでないこともあり、その辺は寛容である。
 また、救済がその個人か、もっと広いのかによってもそれは異なってくる。そういう観点からすれば、ボランティアひとつとっても、その動機付けへ影響する。
 例えば、今日、日本人はボランティアに対する意識が薄いと評されるが元々はそうではない。かつてはお互いに助け合って生きていた。落語や芝居に、それが残る。信仰が強かった時代である。そこには困っている者を見捨てて置けないという哀れみがあった。一般的には、人情と言い替えた方が分かり易い。現在、それは忘れ去られた。殺伐とするようになったのは経済成長の頃からである。貨幣による人の支配である。
 一方、ボランティアに関して盛んに称賛される欧米はどうか。これは自分のために行なっていることが多いようである。つまり、死後、天国に召されたいがためである。神は常に自分を見守っており、そのために良いことをしようと考えているのである。他者のためとの認識はない。こうした結果、独善的な結論を出すに至る。
 排他的故、他人の意見を聞くことはない。このため、解決への糸口を見出すことが難しくなっている。それが現状である。
(第二百六十七段)
by akasakatei | 2004-05-24 18:02 | 社会心理 | Comments(0)
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