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山伏模努奇(あらぎょう)

 先月はとうとうこの『岩戸傳惱梦草帋』を毎日更新してしまった。それだけ、書くべきことが多かったということだろう。振り返っても、今年の流行語になりそうな「自己責任」さえある。これについては、様々な論者が色々と言っているが、自由と責任は一体ということを忘れてはならない。
それにしても、このひと月は良い経験になった。芝居ならば、現在、病気療養中の澤瀉屋がかつて一ヶ月の間に、『義経千本桜』を毎日演じたことがある。知らない人はそうかと思うだけだろうが、この作品は大きく分けて知盛、権太、忠信の三つの部分に分けられる。題に、義経とあるため、義経が主役と思うかもしれないが、そうではない。脇役である。主役は先に書いた三人である。これらの主役は背負っているものも違うので、ひとりで演じ分けるのは大変である。卒業試験とも言われている。これについて、澤瀉屋は荒行だったと回想している。正に、その通りである。このひと月は山伏の心境であった。たぶん、新聞小説を朝刊で発表している作家も同様に違いない。
文の難しさを改めて実感する。どうすれば心に届くのか。死ぬまで修行の日々だろう。ある歌舞伎役者も、芸に最高ということはなく、常に上を目指していると語っている。それが若さの秘訣でもあろう。見習いたいものである。
(第二百四十四段)
by akasakatei | 2004-05-01 17:35 | 文芸 | Comments(0)
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