最近、友人、知人らと飲んでいて話題になるのは、老後の年金や持病、食の安全などである。一見、年配者のそれと間違うかもしれないが、これは三十代独身男性同士の会話に他ならない。
もっと景気が良ければ、夢や希望に満ちた話、また、妻帯者がいれば教育問題も出て来るだろうが、そのような話はまず考えられない。
働き盛りの三十代をも不安にするのだから、この国はどうなっているのだろう。
これからの計画を練ってみる。今後、国は当てにはならないだろう。この間までは遠いと思っていた老後だが、実はもうすぐそこまで来ており、それに対する心配をしなくてはならないとは寂しい。
その老後だが、逆の発想をすれば、老後を考えるから不安になるわけで、それがなければ異なるに違いない。つまり、現代医学で不治の患者に対しても、苦痛ばかりの延命治療を続けるから問題が出て来るわけである。病院で寝たきり状態のまま、検査や治療で一日が終わって、果たして幸福といえるのだろうか。
これまでの観点で、この国の平均寿命を前提に自分を当てはめるから、定年後の二十年が不安になるのである。故に、医療費や生活費などが掛かるのである。これが五年や十年なら、もっと精神的に余裕が生まれるだろう。
とはいえ、ここまで不安にさせているのは、その根底に雇用不安があり、人生設計が描けないからである。少子化、超高齢社会を根本から変えるには、民が安心して暮らせる策が望まれる。民が苦しんでいる時に、首相の給与を上げる話しが出てくるようでは駄目なのである。
(第百八十七段)