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御存道頓堀(とらびいきぶんせき)

セリーグの優勝は虎軍団に決まったが、その夜からのファンの川への飛込みをどう考えるか。川越の図書奉行はその振る舞いに関して大いに立腹しており、感想を求められて道徳心の欠如について指摘したものの、よく考えてみれば、この根は意外に深いのではないだろうか。
 というのも、大衆芸能や芝居の世界では、江戸や上方を区別しており、実際、その味はかなり違う。江戸では粋を重視するが、上方は濃厚である。
 こうなると、虎ファンのその行動が粋でないことは明白である。上方文化といえるかもしれない。
 尤も、この優勝を祭りの視点から捉えると、ハレの場ということで、大騒ぎを当然と見ることも出来る。
 ファンでも何でもない第三者からすれば、今回の行動自体が理解不可能であり、冷静な判断力があれば、わざわざ人体に影響を及ぼすであろう川などには飛び込みたくはない。こうなると、特殊状況下における集団の心理を分析する必要が出て来る。
 何れにしろ、ひとつの方向からは見えてはこない。様々な角度より迫るしかない。
 それにしても、死者まで出しており、図書奉行ではないが見ている人間としては辟易とする。自己責任の時代だとはいえ、こういう点では江戸が勝る。
 例えば、川開きでは、浮世絵からも分かるが、現代以上に賑わっており、当時茶番が流行していたこともあり、それを利用し、身投げの真似をした者もいたという。当然、周辺の者は大騒ぎをし、これは心配をしてのことだろう。唆す現代とは異なる。その後、身投げをした者は、茶番だったことを明かして、仲間と余興を行ない、心配した者も安堵の思いで楽しんだらしい。他人への心配りがあった頃の話である。
(第百三十七段)
by akasakatei | 2003-09-21 14:27 | 社会心理 | Comments(0)
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