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宣疎有(へいわをしるほうほう)

 かつては怖いものについて「地震、雷、火事、親父」と言ったものである。この頃は聞かなくなったものの、なるほどとは思う。これに最近騒がしい戦争が入っていないのは、当時、戦争が聖戦だったからに違いない。
 今年は敗戦から五十八年目である。次第に忘れられているのは否めない。十代においては、米利堅と戦争をしていたことさえ知らないほどである。
 昭和四十、五十年頃までは、八月六、九、十五日には、どこかしらのチャンネルにおいて、戦争関係の番組を放送していたものである。子供心にも好きにはなれなかったが、その恐ろしさ、悲惨さは伝わってきたものである。それが今ではどうだろうか。学校の授業においても、その時間数の関係により、現代史にまで踏み込めないのが現状である。
 こうなると、自主的に知るしかない。これにはきっかけが必要だろう。塾や遊びで忙しい十代にはそこまでお膳立てをしなくてはならない。情けない限りである。
核家族がほとんどの現在では、家に祖父母が住んでいること自体が珍しい。また、地域社会も衰退している。日常生活においては難しい。そこで民俗学的に、この時期は丁度旧盆と重なるので、それを利用するのである。生死について、意識しなくても触れることになる。
(第百二十段)
by akasakatei | 2003-08-23 14:10 | 国際 | Comments(0)
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