最近、専ら話題となっているのが蹴鞠である。遥遥と海を越えて、南蛮人が来ている。それにしても、蹴鞠如きでよくこれほど騒げるものと感心している。小心者からすると、蹴鞠よりも選手に金魚の糞のように付いてきている暴動を起こそうとする南蛮人の方が気になる。
南蛮人が血に餓えている人種であることは、これまでの事例からも明らかである。これは、その祖先の生活とも関係しているけれど、南蛮人が我々を人間としてではなく、単なる虫けらとしか考えていないためである。
それも知らずに歓迎している人々を目にするとかつての広島を思い出す。未だに、米利堅ではあれを正当化しているけれど、そのようなことはない。昨年のテロと比べたら、テロなどましと言うべきだろう。何しろ、広島だけではなく長崎でも、未だに苦しんでいる被害者が多数存在しているのである。こうしたことも知らずに、頭に血を上らせていた某大統領も、それで少しはこれまでの過ちを認めたならば立派だったのだが、そうしなかったのは愚かとしか言い様がない。何はともあれ、相手は異人であり、理解するなど不可能に違いない。
真の国際化とは何か。バブル時は内なる国際化が盛んに叫ばれたが、平成になって以降、ほとんど耳にしなくなった。国際化したわけではなく、国の立て直しでそれどころではないからだろう。こうした現状からすると、その道は遠い。国際化とは、相手の文化を理解した上で、自国の説を押し付け干渉しないことである。そこにはその国の歴史、文化があるからである。
こうした定義によって、国際化した国がどれだけあるといえるだろうか。
(第三十段)