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日和洋下駄(ひよりぐつ)

桜に続き、桜草、躑躅、藤、牡丹の時期も今年は早かった。その名所を早速訪れたけれど、どこも凄い人出であった。尤も、若い人はほとんど見かけない。その多くは年配者である。それにしても、杖を突くか、若しくは介抱者がいないと歩けない人が何と多いことか。これには多少考えさせられる。
 その原因は人それぞれだろうけれど、もし仮にこのままの環境で若者が老人になったとしたら、どういう社会になっているであろうか。たぶん、現代以上に病気や怪我に悩まされている者が増えているだろう。
 というのも、歩くことを忘れているからである。ちょっと近所に行くにも、自動車を使う始末だからである。足腰が弱ってきても不思議ではない。
 思えば、東都の緑が減ると共に、歩く人を見かけなくなった。同時に、旧町名も消えていった。かつては、今からでは想像も出来ないほど、緑が溢れていたものである。それが、オリンピックを境として姿を消し始め、先のバブルで、それを探すのさえ難しくなった。
 本当にこれが住み易い環境といえるのか。
 町とは、人々の集まる場所であり、基本的には営みがあるものでなくてはならない。それが、現在見ている限りでは、極めて人工的であって、政府に管理されている気さえする。また、最近の若者の犯罪を分析すると分るけれど、ニュータウンなどで頻発している。これは、どこにも人の温もりが感じられないからに違いない。つまり、地域が米利堅型になってしまったのが問題といえる。
 解決方法のひとつとして、自動車を利用しないことである。この際、走れる車両や時間などの規制を設けても構わない。事実、都内においては走らなくてもいい自動車が走っていることもあり、路上駐車、それに伴い慢性的な渋滞や排気ガスに悩まされることになる。気分良く散策するにはそれらは邪魔である。
(第二十六段)
by akasakatei | 2002-04-28 11:58 | 余暇 | Comments(0)
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