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司都懸(くらしのむきはきたのかぜ)

悪人が多いこの社会は、ある意味において犯人にとっては暮らし易いに違いない。反面、犠牲者にとっては冷たい。これは、犠牲者に落ち度があったためとの風潮があるからだろう。
が、これは正しくない。大概、犯人が悪いのである。そういったことからすると、犯人の人権ばかりが優先されるのはおかしい。本来、最低限のみ守られればいいはずである。それが、現在、犠牲者と反対になっている。
これをどう捉えるか。
国は矯正教育によって、社会復帰を考えているけれど、これからして問題である。これはまずうまくいった試しはない。犯人は成長過程に問題があったわけで、人格が確立してしまっているのである。それを矯正するのは余程のことがない限り無理な話である。
これに固執している間は、犠牲者は救済されないだろう。根本から変革しなければならないだろう。
案としては、罪に対する罰を重くすることだろう。極端な話、十万円以上盗んだり、人を傷付けたりしたら、即刻死刑でも構わないだろう。犠牲者の人権を侵したのだから、当然である。こうした時に犯人の人権を守る必要はどこにもない。
これによって刑務所や少年院の維持費や裁判の長期化もなくなる。また、浮いた予算や労力を他で使うことも出来る。
尚、中にはやむを得ずに手を染めてしまう者もいるだろう。この場合、一考するのは勿論である。
それにしても、年々犯罪は増加しており、何時、何処で、何が起きてもおかしくない状態である。物騒なことである。それらを分析すると人間関係があまりにも希薄であり、最早相互行為とは呼べないことが多い。特に、コミュニケーション不足が目立つ。
(第二十三段)
by akasakatei | 2002-03-30 11:55 | 社会心理 | Comments(0)
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