人気ブログランキング | 話題のタグを見る

花暦発生刃(こっけいぼんではなく)

旧暦で暮らしていると、つい季節に敏感になる。開花や年中行事など、それに関係していることもあって、新暦だと時間的ズレがあって困る。例えば、桃の節句は終わったけれど、桃の開花はもう少し遅い。毎年、桃見には千住の写真家の町内まで足を延ばす。東都には意外とその名所が少ない。
その桃見だが、今年は梅、桜とも開花が早く、例年よりも早目に訪れなければならないだろう。現に、近所の桃は開花した。
それにしても、こうした現象をどう考えたらいいのか。この冬は積雪で鉄道が遅れることもなく、花も早い。明らかに、自然がおかしくなっている。今更、環境については論じないけれど、春は花、夏は鳥、秋は月、冬は雪を友とするひとりとして大変嘆かわしい。
四季は我が国の特徴のひとつである。またそれに結びついた年中行事も存在する。この国を語る上で重要である。その結晶が『歳時記』である。異国ではまず目にすることはない。
『歳時記』は俳人だけのものと思う人がいるかもしれぬが、それは違う。暇に任せ頁を捲れば、自然、生活、動植物、風習など、普段忘れてしまったことを思い出させてくれる。正に、心の古里ともいえる。
これほど郷愁を思い起こさせる書物も珍しい。そうした視点から眺めれば、現代社会はやはり不健全である。食ひとつとっても、最早一年中何でも食卓に上がる。我々はそれを日常としてしまっているものの、これは将軍以上の贅沢といえる。
かつてはその時期だけにしか味わえない自然の恵みであって、何につけても有難さがあったに違いない。現代は何事も科学で解決しようとしているけれど、その結果のひとつが今年のこの状況であることは明白である。
何はともあれ、これから続く浮間の桜草、亀戸の藤、根津の躑躅、薬王院の牡丹など花暦は今後も大幅に狂う可能性がある。
(第二十一段)
by akasakatei | 2002-03-23 11:53 | 余暇 | Comments(0)
<< 忙力賭死我(さくらのしたには) 花濃事独本(ほこりはらいて) >>