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民願幸(ゆめのしまよりながめれば)

都電が姿を消してどのくらい経つのだろうか。現在、都電荒川線が残っているものの、そのほとんどが専用軌道である。今ひとつ軌道線の感じがしない。かつては網の目の様に路線があり、空を見上げれば、蜘蛛の巣を連想させるほどであった。
昨年の忘年会は森下で千住の写真家と行なった。ここも以前は都電が走っていたものだ。今ではその面影すら残らない。都電だけではない。街もすっかり変わってしまった。その中で、数少ない面影を残す店で深川鍋を突っつく。古き良き物が消えていく。
現在、様々なものが造られている。ついこの間まで最新だったのに、すぐに古い型になってしまう。使い捨てばかりである。修理をすることがなくなってしまった。職人がいなくなったこともあるのだろう。愛着という言葉がそのうち死語にさえなりかねない。
民俗学という学問がある。庶民の生活道具は重要な資料である。今後、その研究対象はどうなるのだろう。その対象となる祭礼、芸能、年中行事なども廃れつつあるものが多い。
一般的に、弱者にとってこの社会は冷たい。かつてなら、どの業種にしても、熟練労働者は存在した。それが見当たらない。職人はいなくなったのではない。合理化の名の下、消されたのである。後継者がいないと言われるが、事実は異なる。行政がそう仕向けたのである。これで誰もが本当に幸せなれるのだろうか。
以上の点から考えるに、江戸で駕籠に代わり馬車を提唱した人がいるけれど、従事者の生活から認めなかった幕府は大したものということになる。また、江戸では幕末を除き物価は安定しており、年中苦しんでいる我々より余程人間らしい生活が出来たのではないだろうか。
(第十二段)
by akasakatei | 2002-01-03 11:41 | 地域 | Comments(0)
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