三月の原発事故以来、専門家の言うことを信用出来ない人も多いだろう。
先日の新聞で呆れたのは、新自由主義を復権するように書いていたその方面の学者だ。この状況にしたのは、誰だというのか。内容としては、市場とは自転車操業と変わらず、消費し続けないと、倒れるとのことだ。ここでの問題は、そうした脆い社会は変えなくてはならないということではないか。
後日、経済の専門新聞では、経済予測出来なくて当たり前という開き直りにも似たコラムがあった。
これが常識なら、経済評論家とは楽な商売だ。
ここで思い出したのが、地元の鉄道会社だ。一昨日にも人身事故で列車が止まり、一部区間の運転再開に時間が掛かった。お客様センターにメールし、担当役員よりの回答を希望したところ、お客様センターが会社の意見ということで、回答を拒否された。サービス業としては、この時点で失格だ。役員自ら、利用者に向かわなくては、情報は得られない。見ていると、効率化で駅員が少なく、無理が現場に加わっている。事故への綻びがあちこちにある。意見より、それらを読み取らねばならない。
そうした意味においては、飲食店は厳しい業界だ。特に、個人での店は、味が一日だけ違っても、味が落ちたと言われてしまう。最近も、時々寄る喫茶店の女主人に「今日のコーヒーはどう。」と訊かれた。気候により、豆の状態が違うために、苦労があるらしい。
苦労といえば、平塚へ行った際、駅前のごみ集積場に、制服姿の男性が数名おり、棒で中を改め、何やらメモをしていた。ごみ担当の役人が、分別確認をしているのかと思ったら、数日前に見付かったバラバラ遺体の残りを探していたことをニュースで知る。
(第三千一段)