満員電車に、六十代のオッサンが乗って来る。襟に青いリボンを付けている。
左右の手を伸ばし釣り革に掴まる。足元には紙袋を置く。ひとりで二本の釣り革を使うのは迷惑だ。また、この状態で、床に荷物を置くのはどうか。
案の定、後ろに立っていた太った五十代のオバサンが急ブレーキの度に、バランスを崩し、足踏みをしては隣の人に迷惑を掛けている。
オッサンはオバサンを睨み付ける。
ここで疑問なのは、我が国に見られた譲り合い精神がないことだ。
北朝鮮拉致問題について、ネットではよく国を思う人があれこれ書いている。
このオッサンもその類なのだろうが、日本人の良さが感じられない。
このような人達は、何故、我が国の現状に対し、何も言わないのか。どう見ても、我が国はアメリカ化され、幸福な社会ではない。
最近では、定職もなく、家族のいないひとり暮らしも多い。結構、ネットを使う人もいる。こうした人にとって、最後の帰属集団は国のため、国を思うような主張の人もいると聞く。国を否定すると、自己の存在意義がなくなるからか、意外と政治や経済についての批判は聞かない。
(第二千九百五十六段)