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昭和三十年代似体験(さんちょうめのゆうひのたいけん)

毎日のように、放射性物質の摂取基準が緩和されていく。これを眺めていると、国民のパニックを抑えようとしているのがよく分かる。
原発は、最早どうにもならない状態なのだろう。
それにも関わらず、先日開かれた東電幹部らの会見は、並ぶ顔を見ていると、他人事で悲壮感がなかった。何故この場にいるのか、理解出来ていないのかもしれない。大体、この非常時に何度も倒れる社長は如何なものか。報酬の割りには、いざという時に何もせず、危機への意識が足りない。危機といえば、末端社員も問題だろう。  先頃、話題になった上からの目線によるブログを書く始末である。
何れにしろ、張本人の東電は国頼みで、原子力関係者も全て同様だ。責任の押し付け合いである。
思うに、そうした政治家を選んだ有権者の責任とも言っている感じだ。
その国だけれど、未だ、信用が残っているのが不思議なくらいである。
今後はどうなるのか。
東電や国は、賠償関係で、電力料金の値上げなど、国民への負担を考えている。
正直にいえば、中小企業を助けないのに、東電を救済することには疑問だ。
電気がなければ、それに合わせた生活をすれば良いだけの話しである。
数年前に話題になった『三丁目の夕日』の舞台である昭和三十年代の体験だ。異なるのは、未来に希望があるか否かだけである。
(第二千七百九十二段)
by akasakatei | 2011-04-23 20:57 | 政治 | Comments(0)
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