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派閥急決着(いんぼうのはて)

 以前、仕事場に関して触れた。その際、派閥が争っているとした。
 その後、この争いに決着が付いた。
 新社長が年内で退任する。発表は突然であった。これに伴い、外から連れて来た面々も辞める方向となった。
 それにしても分からないのは、退任理由が病気という点である。
 上司である役員によると、病気なので仕方がなく、会社側は辞めないように言ったらしい。
 わざわざ、このように言うことからして怪しい。
 大体、前社長は新社長の悪口をあちこちで触れ回っていたほどだから、何かないという方が不自然である。
 尚、来年からの社長は、社内昇格で、これも会長の血縁関係者である。操作し易い人を選んだとしか思えない。
 ところで、こうなると、例の秘書はどうなるのか。
 そういえば、最近、この秘書に対し、上より盛んに仕事を与えよと指令が来ていた。
 だけれど、喜怒哀楽が激しく、また、整理整頓という基本が出来ていないため、それは難しい。
(第二千三百十四段)
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by akasakatei | 2009-12-31 21:22 | 産業 | Comments(0)

両国名所巡(りょうごくえどのなごり)

 一般的に、両国の印象というと、相撲や江戸東京博物館ということになる。
 他には、何があるかと問われた場合、思い付くものといえば、回向院か花火ではないか。
 回向院はどちらかというと、歴史好きな人にとってはすぐに頭に浮かぶものかもしれない。普通の人は、むしろ後者に違いない。
ここには、両国花火資料館がある。狭いながらも、係員がおり、熱心に説明してくれる。
 江戸での両国の賑わいは、今の比ではなかったはずである。
 春や秋に、両国では祭りが行なわれるものの、知っている人は少ないと思われる。
 そうした意味からすると、毎年、忠臣蔵の季節になれば、芝居は勿論のことだけれど、テレビにも登場する吉良邸の討ち入りの方が有名かもしれない。その跡が残る。
 佐貫の酒仙と訪れた時も、既に、何人かがいた。
 忠臣蔵を日本人は好きだという。
 ただ、最近では、当然と思われる筋を知らない者も多いようで、それについては嘆くしかない。
(第二千三百十三段)
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by akasakatei | 2009-12-30 09:26 | 地域 | Comments(0)

両国音企業(りょうごくけいきのめやす)

 両国で佐貫の酒仙と駅で待ち合わせる。
 店の予約した時間まで、暇があったため、両国界隈を歩く。
 まず、旧安田庭園に入る。この庭園の向こうには、病院の旧建物が見える。
 庭園を横切り、横網公園へ足を向ける。ここは東京大空襲について、三月に人が集まる。
 ここより、東へ向かった後、総武線の高架を横切り、堅川橋の手前に、見慣れぬ文字の貼り紙をした建物がある。タイ語ではないか、と酒仙が言う。
 日本人には、こうした注意があっても伝わらないに違いない。
 橋を越え、立川地域に足を踏み込む。
 良い意味で、鉢を玄関先に置いた家を何軒か見掛ける。
 それにしても、通りが広い。
 どこからか、土曜にも関わらず、機械を動かす音がする。印刷関係である。
 それらの業者のために、広くしているのか。
 こうした音が大きくならない限り、我が国の景気が良くなったとはいえない。
(第二千三百十二段)
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by akasakatei | 2009-12-29 21:44 | 余暇 | Comments(0)

両国鯰賞味(りょうごくなまずのあじわい)

 今年は両国へ行く回数が多い。春以外訪れている。
 佐貫の酒仙との忘年会は、夏に泥鰌を食べるために行った店とする。
 冬なので、鯰を賞味する。鍋、甘煮、汁を楽しめる。
 川魚に関していえば、生臭さやその形を頭に思い浮かべ、苦手とする人がいる。
 その点、佐貫の酒仙は、酒以外では、好き嫌いがないので、このような時は助かる。
 ふたりで、まず、鍋を楽しむ。初めてである。
 白身で、あまり生臭さは感じない。
 いつの間にか、純米酒が二合になっている。
 土曜だからかもしれないけれど、予約を入れたにも関わらず、意外に空いている。
 それでも後からグループが入って来た。
 このグループは天王寺屋の話しをしていた。
 先に観た国立劇場での、北条政子役と一休禅師についてである。
 悪くないとの意見であった。
 察するに、このグループも鯰を注文したところを見ると、そうした愛好会かもしれない。
(第二千三百十一段)
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by akasakatei | 2009-12-28 21:43 | 余暇 | Comments(0)

国立新芝居(しわすのしんかぶき)

文楽に足を運んだ翌日、国立大劇場へ歌舞伎を観に行く。
演目は、『頼朝の死』、『一休禅師』、『修善寺物語』である。何れも新歌舞伎で、未だ観たことはない。
演じるのは、『頼朝の死』と『修善寺物語』が播磨屋で、『一休禅師』が天王寺屋である。
これらのうち、播磨屋が演じる両作品には、源頼家が出て来る。
前者においては、文字通り頼朝の死を巡る謎を中心とし、登場人物らが苦悩する。特に、重保を演じる萬屋に目が行く。組織ではよくあるから、肩入れ出来る。
武家社会を中心とした芝居は、現代の会社に置き換えると理解し易い。会社存続のため、犠牲となる社員の姿と重なる。
この作品では、社長であるはずの頼家も苦悩する。ただ、経営幹部でない者にとって、頼家の苦悩は肩入れ出来ない。
政子の台詞には非情を感じる。
 後者に関しても、自らが納得しなくても、癇癪持ちの上司の命令に逆らえない会社員的な日常が伝わって来る。
 天王寺屋の舞踊は、仏教問答的なものである。
(第二千三百十段)
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by akasakatei | 2009-12-27 19:34 | 文芸 | Comments(0)

悲哀場末線(きゅうじつのひげき)

休日に都内へ出ることが多い。
その際、行く時は、定期券があるから、一度新宿へ出ることがほとんどである。
これが帰りともなると、新宿の乗り換えが面倒で、地下鉄で帰る。
理由は代々木上原での乗り換えが楽なためである。向かいのホームへ行くだけで良い。飲んでいることも関係するだろう。
何れにしろ、以前より触れている通り、新宿や渋谷、池袋などはあまり利用したくはない。
出来れば、山手線内で済ませたいと考えている。
だから、定期券についても、本来、新宿経由は嫌なのだが、所要時間が変わらないこともあり、地下鉄を利用するより安い新宿経由となっている。
個人的には、沿線には住んでいても、出来れば、郊外電車はあまり利用したくはない。
 この前の土曜も、郊外電車の悲哀に接した。昼過ぎの新宿行きの急行を利用したところ、普段のラッシュ並みの混雑で、三分ほど遅れていた。察するに、時間帯から考えると、慣れていない利用者も多かったに違いない。
(第二千三百九段)
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by akasakatei | 2009-12-26 19:33 | 地域 | Comments(0)

怒叱差(くべつのちがい)

今の仕事場に転職し、世の中、これほど怒る人間がいるのかと思った。
確かに、これまでにも、怒る人間はいたものの、それは専ら同級生であった。教師は教え子に対しては、叱っていた。今、振り返っても怒るではなかった。
それが、職場ではどうか。上は、何かあればすぐに怒鳴る。怒ると叱るの区別が付かないようで、これでは、組織においては逆効果だろう。
何れにしろ、すぐに感情を表すのは子供の専売特許で、それは恥ずかしいことと教えられてきた者にとっては、そうした意味では、今の大人は子供が多い。精神年齢が低い。
相撲についても、同様である。土俵上では表情を抑制するものである。それがどうか。
また、最近の報道では、簡単に怒る人間が増えているみたいだけれど、それこそ、社会が幼稚化している証拠ともいえる。
グローバル化社会では、自己主張が重要で、個性が大事とも言われている。これは、別の視点からすると、感情を個性と勘違いしている人間がいることを指す。必要なのは、他人への思い遣りだろう。
(第二千三百八段)
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by akasakatei | 2009-12-25 19:32 | 社会心理 | Comments(0)

脳障害疑惑(つかれるにちじょう)

 仕事場の人数が増えたことにより、日々、疲れることが増えた。
 以前にも、触れたパートの秘書である。
 感情をコントロール出来ず、喜怒哀楽が激しい。注意を受けると、すぐに怒る理由が分からない。このため、雰囲気が益々悪くなる。
 一説によれば、脳に軽い障害があるのではないかとも言われている。
 先日は、机の鍵を持っていると、忘れるので、こちらで預かってくれないかという。三十八にもなって、どういうことかと考える。
 また、何か仕事をしている最中、他のことを言い付けられると、前にやっていたことを忘れ、全て放り出したままとなっている。
 世間でいえば、子のひとりやふたりいてもおかしくはなく、改めるように注意すると、出来ないという。それで、最近有名な女性が書いた自己啓発本を読んでいるのだから、どういう精神をしているのか理解に苦しむ。
 こうした面を知らない本社の役員が来て、お茶が運ばれる度に、現代では女性に対し、禁句となったことを言っているにも関わらず、本人が役員を更に善い人と勘違いするのだから嫌になる。
 尚、この役員とは前にも触れた人物である。
(第二千三百七段)
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by akasakatei | 2009-12-24 23:15 | 産業 | Comments(0)

抜道歩(みしらぬうらみち)

 先日、これまで歩いたことのない銀座の路地に入ってみた。ビルの谷間である。
 稲荷があり、あまり日が差さない場所である。
 これまで、その路地の前を通ることは何度となくあったものの、足を踏み入れることはなった。今、考えると、不思議としか言いようがない。
 別の日、故郷の裏通りを使い、大通りへ抜ける。
 これも初めてであった。
 かつては料亭だったと思われる路地を抜け、大通りに出た時は、ちょっと他の空間に出た気さえする。
 同日、文楽のために、国立劇場まで歩く。
 日枝神社前を通り、交差点を右折し、坂を上がる。
 知らぬ間に、見知らぬタワーと付く建物が出来ている。工事中は鉄板で囲まれているので、どういうことをしているのか分からなかった。
 この建物の脇に、劇場までの近道が設けられている。これまでは、最高裁判所の前を通らねばならなかった。ただ、劇場へ行くには、道路を渡らねばならない。横断歩道も新設して貰いたかったと思う。
(第二千三百六段)
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by akasakatei | 2009-12-23 23:14 | 地域 | Comments(0)

師走文楽劇(しわすにんぎょうじょうるり)

 国立小劇場での十二月文楽公演へ行く。
 演目は、『近江源氏先陣館(坂本城外・和田兵衛上使・盛綱陣屋)』、『伊達娘恋緋鹿子(八百屋内・火の見櫓)』となっている。
 前者は時代物、後者は世話物である。
 個人的には、世話物の方が好みである。
 実際、今回も印象に残った。人形に魂が宿った感じさえした。この演目は、九月に京都へ行った際に、多少触れる機会があったものの、それだけで終わった。
 八百屋お七を題材にしたもので、歌舞伎でも様々な趣向があり、観た記憶がある。印象としては、今回の方が強い。つい肩に力が入ってしまった。
 一方、時代物はどうだったか。文楽の時代物は久し振りである。進むに連れ、人形が動き出し、もっと観ていたいというところで、幕であった。
 こちらは、現代の会社生活で比べると、より身近に感じるかもしれない。
 この日の観客マナーは、珍しく良かった。常に、こうした状態であれば、ゆっくり楽しめる。
(第二千三百五段)
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by akasakatei | 2009-12-22 23:13 | 文芸 | Comments(0)