<   2009年 10月 ( 31 )   > この月の画像一覧

小日向散策(ろじにのこるせいかつのいとなみ)

 大学の友人らと茗荷谷を中心に歩く。
 まず、駅の側にある階段を見る。急な階段で、私道とのことで、歩くことは遠慮する。
 そこより、縛られ地蔵の林泉寺、滝沢馬琴の墓がある深光寺を巡る。
 この辺は新旧の住宅が混じる町なものの、途中、説明に関する立札もある。また、地形も面白い。車窓より見える丸ノ内線の検車区も近い。
 切支丹屋敷跡より坂を下り、『坊っちゃん』での最後に出て来る寺の舞台となった本法寺の前に立つ。
 ここより、丸ノ内線を越えて、石川啄木終焉の地を目指す。
 桜並木で有名な播磨坂を横に入ったところにある。
 江戸切絵図では小川だった道路を渡り、小石川植物園脇の道を進む。
 大通りを歩いても面白くない。
 氷川坂を上下する。
 路地には猫もおり、また、人が表に出て、生活を営んでいる。郊外にはないものである。古い家も残り、こうした町を歩いていると、貴重だと思う。
(第二千二百五十三段)
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by akasakatei | 2009-10-31 21:44 | 地域 | Comments(0)

神保町鉄道映画紀行(きげきれっしゃ)

 映画を観る機会は芝居へ行くより少ない。
 それでも、興味がありそうなものは、なるべく足を運ぶようにしている。
十月十八日、神保町シアターでの川本三郎氏が選んだ鉄道映画紀行「思ひ出は列車に乗って」を観に行く。
これは、氏により二十八作品が選ばれている。
勿論、全部を観ることは出来ないので、『喜劇 各駅停車』と『喜劇 急行列車』に絞る。
これらは鉄道を舞台にしており、昭和四十年代が背景で、それほど考えずに観られると思った。
この日のチケットは十時に発売するということなので、九時半頃に行ったところ、既に、五人ほど並んでいた。全て男性である。
その後の行列の多くも、年配男性であり、若い男女はまずいない。
何か、感じるものがあるのか。
娯楽作品に仕上がっており、個人的には、古い映画の場合、時代背景を知るのに便利で、そこを中心に観る。
尚、後者において、途中、プリントが切れ、中断があった。
(第二千二百五十二段)
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by akasakatei | 2009-10-30 21:44 | 文芸 | Comments(0)

交友裏扱方(ぶんでのふれかた)

 これまで、この文において友人、知人らを何人か取り上げている。
 佐貫の酒仙、東青梅の地主、国分寺の師匠、千住の写真家、鵠沼の大家、故郷の学級委員、川越の図書奉行、越生の法家、川口の清掃職人、戸塚の鍵屋、南行徳の引っ越人、美濃の役人らである。
 こうした中、職業で表した者は、組織内にいる限り、異動があり、数年後に呼び名で困ってしまうことも多い。このため、最近ではあまり触れないようにしている。
 だからといって、安易にイニシャルも使いたくない。
 難しいところではある。
 本来なら、本名が簡単なのだけれど、最近の作家の文章を読んでも、交友のある作家に対し、すぐに誰かと分からない書き方が目立つ。プライバシーのためか。
 今後、交友記や交友録の類は、廃れる方向なのかもしれない。
 となると、文学に関していえば、師弟関係での系譜が分からない可能性も出て来る。
 研究が進まないこともある。
 果たして、健全といえるのか。
(第二千二百五十一段)
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by akasakatei | 2009-10-29 16:30 | 文芸 | Comments(0)

医師門三景(いしめぐり)

 歯科治療の十五分のために、わざわざ青梅行きを延期するのは面白くなく、この際、医師巡りをする。
 歯科を出たのは九時半過ぎである。整形外科へ向かう。
 ここひと月ほど左の親指付近が痛む。
 買ったコピー用紙を買い物袋に入れ、親指で袋を回している間に傷めてしまったようである。負担が掛かったに違いない。
 こうした話しを職場でしていると、「箸より重いたいものを持てない。」となってしまった。「金と力がない。」方なのだけれど、誰も信じない。
 この整形外科はいつ行っても込んでいる。一時間ほど待って、漸く、診察となる。医師が骨に触ると、「随分柔らかい骨ですね。」と言い、「こうしたことも出来ますか。」と自分の指を曲げ始める。
 これは何を意味するのか。
 整形外科を十一時過ぎに出、眼科へ足を向ける。
 いつ抜歯するか分からず、また秋の花粉症もある。余分に薬を貰う必要がある。
 土曜の朝一番で診察をして貰うことが多く、この時間に現れると、眼科のスタッフが驚く。何でもスタッフらの間での興味になったという。
(第二千二百五十段)
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by akasakatei | 2009-10-28 15:29 | 福祉 | Comments(0)

親不知顛末(はのいたみのために)

 このひと月、親知らずに悩む。
 最初、歯科へ行くと、炎症止めを塗ってくれた。
 にも関わらず、しばらくしてまた痛み出す。
 仕方なく、再度、歯科の門を潜む。これでも、痛むならば、抜歯が良いと勧められる。
 そもそも親知らずは、何年か前にも痛んだ。その時は、前記の治療だけで痛みがなくなった。
 以後、親知らずのことは忘れていた。
 それが今回の件で思い出す。
 歯科へ行くため、青梅への予定を中止する。
 ひとりならば問題ではないものの、この日のために、東青梅の地主には時間を空けて貰っていた。迷惑を掛ける。
 こうなると、痛まぬ間に、青梅へ足を向けたいと考える。いつ抜歯するかも分からず、早い方が良い。
 何しろ、現地まで都バスを利用するつもりで、そのための切符も準備していた。これを買うのに、都バスの事務担当者まで巻き込んでおり、簡単に払い戻すわけにはいかない。
(第二千二百四十九段)
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by akasakatei | 2009-10-27 14:34 | 福祉 | Comments(0)

指南的文書(べからずしゅう)

先日、佐貫の酒仙と会った時、結婚出来ない男を対象にしたどこかのネットより印刷した文書を貰う。
結婚したいとも思わない者としては、必要もないけれど、何が書かれているかとの興味で受け取る。
本文は、コミュニケーション力が大切としながらも、内容としては「べからず集」であった。
むしろ、この手の人間が欲しいと考えるのは、どのような話しをするのか、ではないか。
それほど目新しさもなかったものの、悩むなということと古典を勧めていたのは意外である。
昨今、人気のある自己開発的な本を否定していた。となると、貰った文書とは矛盾することになる。
何事もマニュアルに頼ることが多い時代とはいえ、人との関係を理解するにはそれでは難しいのではないか。
 尚、コミュニケーションとは、相互の行為であり、言語や対話とも関係する。
 この文書が指摘したことは、どちらかといえば心理的なことで、コミュニケーションとは異なる。
(第二千二百四十八段)
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by akasakatei | 2009-10-26 21:35 | 社会心理 | Comments(0)

病院待合室非常識親(ひじょうしきしゃのこそだてはいけん)

 耳鼻科へ行く。
 最近、目も痒いが、鼻も詰まり、鼻水も出る。
 医師は、アレルギーという。どうやら、秋の花粉症にもなったようである。
 これはある程度、予想していた。
 ただ、今回、耳鼻科へ行ったところ、受付が三番目だったはずなのに、四番目にされた。
 新型インフルエンザの子供が立て続けに、三人来たためである。隔離する部屋が不足したからである。
 様子を見ていると、自己申告したのは、ひとりだけである。後は、全く初めての人が初診の紙に書いて判明し、隔離された。もうひとりは、それを見て申告していた。
 この間、待合室に、ウイルスが散ったことになる。長時間待たされ、それで感染したら、その責任はどうなるのか。
普通、疑わしい場合、事前に連絡をするか、すぐに告げることになっているのではないか。何れにしろ、非常識な親が増えた結果、一般の患者が迷惑を被る。
(第二千二百四十七段)
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by akasakatei | 2009-10-25 16:42 | 福祉 | Comments(0)

京島三丁目(じこかんけつてきなまち)

 町を歩くと、昭和三十年代くらいの雰囲気が残っていること自体が不思議に感じられる。
 まず、手焼き煎餅、風呂屋が目に入る。
 暫く行くと、鳶もいる。町内で、鳶がいるのは珍しいだろう。
 どこかで、季節外れの風鈴が鳴る。
 そうした中、橘銀座という商店街に出る。
 歩くと、惣菜屋や菓子屋など、個人店が元気な様子である。楽しい雰囲気になる。
勿論、日曜だから、シャッターを閉めている店もある。
 スーパーを除き、町の商店で全てが事足りるのは、今や難しい。羨ましい。
 商店街が終わり、二車線の通りと交差する。
 そこを小さい子供が犬の散歩をさせている。幼稚園くらいか。
 この子は、驚いたことに、補助付き自転車に乗り、犬の縄をそれに結び付けている。
 保護者はいない。
 こうした小さい子が、今や、ひとりで町にいるのは貴重である。
(第二千二百四十六段)
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by akasakatei | 2009-10-24 16:42 | 地域 | Comments(0)

京島蕎麦屋(そばやなかせ)

 京島へ足を向ける。
 ここは細かく、湾曲している路地が残る。
 過去に、京島は一度だけ歩いた。強い雨の日だった。
 秋晴れの日曜、京成曳舟で下車する。途中、私用を済ませてきた。昼飯時で、三丁目へ向かいながら、入る店を探す。
 如何にも町の蕎麦屋というイメージの店があり、暖簾を潜る。
 中は常連ばかりである。町の人に愛されているのだろう。
 こうした店で飲むのは嫌いではないものの、昨夜、故郷で佐貫の酒仙と飲んだ紹興酒が未だ残っている。
 蕎麦を手繰っていると、厨房が煩い。
 何事かと思うと、出前の手伝いをしている高校生の息子が、届け先が分からずに、戻って来た様子で、主人が怒っている。
 蕎麦が遅れては良くない。また、息子からすれば、この一帯は道が入り組んでおり、覚えていないのかもしれない。
 日常的なことなのか、奥さんも何も言わない。
 蕎麦屋泣かせともいえる。
 小腹を満たしたところで、町を歩く。
(第二千二百四十五段)
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by akasakatei | 2009-10-23 16:41 | 余暇 | Comments(0)

故郷情景秋夕暮(あかさかふどきゆうぐれのまち)

かつては乃木坂寄りにも、樹木が茂る路地があった。今では、樹木も伐られ、郊外より来たと思われる小娘らが集まる東京ミッドタウンに隣接してしまった。
それでも、抜ければ、今でも稲荷の境内が残る。
十月になり、日も短くなった。このため、更に、境内の寂しさを感じる。
このため、そろそろ落ち着きたいものの、この日は飲む店を決めている。未だ、開店時間ではない。
そこより、小学校までの途中にある私道を進む。ここは上に女子修道院がある。小学校時代に歩き、あまりの静かさに驚かされた。
今は奥まで、これもかなりの邸宅が建てられている。
私道なので、そのまま戻る。
小学校前より、店ヘ進む。この店の辺りは、動きの激しい故郷では珍しく、当時の面影がある。
秋の夕暮れ、店の前では、女将が近所の子供に対し、「早く帰るんだよ。」と声を掛けている。自転車で子供が去って行く。
故郷にいた頃は、日常的に見られた光景である。
(第二千二百四十四段)
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by akasakatei | 2009-10-22 16:40 | 地域 | Comments(0)