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龍土町残影(ろっぽんぎななちょうめふきん)

 九月二十日、故郷へ向かう。産土神の祭りで山車が町内を巡る。以前とは異なり、住民の参加が増えた様子で、普段の日曜には閉まっている店も開いている。
その後、トイレを借りるべくミッドタウンのホテルに入る。ここは昨日の国技館とは対照的に日本語の案内がない。どうなっているのだろう。
用を済ませ、三河台公園付近を歩く。子供の頃には、何回も遊びに来たことがある。側を高速道路が通っているから、環境はあまり良くない。
この日は、自転車による大人のレースがあった。横断歩道が青なのに、彼らが信号を無視するから、なかなか渡れない。果たして、乗る資格があるのか。
ここより、六本木七丁目の路地を歩く。以前、模型屋があった場所は駐車場となっている。それでも、脇には未だ古い建物が残る。丁度、祭りの時期だから、ここでもお囃子が聞こえる。住人が残っているのだろう。
ここはかつて麻布龍土町といった。
周囲を見るだけなら相応しい。ところが見上げると、六本木にいることを思い出す。
(第二千二百二十二段)
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by akasakatei | 2009-09-30 21:12 | 地域 | Comments(0)

感覚溝(にんしきのさ)

以前、触れた近所に出来た焼鳥屋へ入ってみる。意外なことに、大正のイメージで内装したようである。
そうした時、国分寺の師匠より、PHS業者の経営不振に関する連絡が入る。
こうなると、今後は、例えば、鉄道の切符や芝居のチケットを手配するにも、任せる会社の財務諸表を調べないと難しいことになりそうである。
大変な時代を生きている気さえする。
先が見えない。
かつて倒産といえば、勤務先か取引先くらいしか考えなくて良かったのが、今では日常全般に及んでいる。
近所の商店が閉店しても、誰も驚かないほどである。
これに慣れることは健全ではない。
こうした社会にした権力者の罪は重い。
 想像力が欠如しているとしか考えられない。
 断じて許してはならない。
 そしてまた、今度の衆議院選でも、何も分かっていない有権者は彼らに投票し、当選させてしまった。
(第二千二百二十一段)
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by akasakatei | 2009-09-29 21:11 | 産業 | Comments(0)

秋場所七日目夕(にかいせきにて)

 そろそろ十両の土俵入りが近付き、本来の席であるイス席へ向かう。
 C席は同じイス席でもA席、B席と比べ、イスの質は悪い。肘掛がない。
 また、前が通路となっており、人が通る度、見えなくなる。
 この辺りが、芝居では失われてしまった見物の要素なのだろう。
 だから、じっくりとひとりで相撲を観たい人は、A席にすべきかもしれない。
 何故、B席と言わないか。
 B席、C席は、結構、外人が座っており、出入りが激しく、落ち着かないからである。
 にしても、不思議なのは、国技館では、外人のために、ジャンクフードを発売したにも関わらず、チケットについては、英語表記がない。迷う外人が右往左往している。
 特に、正面、向、東、西の意味を掴んでおらず、席を外人に訊かれたので、説明する。
 また、外人への注文としては、日本の伝統を知るなら、ジャンクフードを食べるのではなく、折角、国技館へ来たのなら、和を感じるものを食べるべきだろう。
(第二千二百二十段)
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by akasakatei | 2009-09-28 22:15 | 文芸 | Comments(0)

秋場所七日目昼(げんかんにて)

 砂被りだと、呼び出しや行司の所作がよく分かる。
 そうした半面、力士に関しては、某力士が仕切りの場所を間違える。
 何れにしろ、一連の行動について、観察出来る。
 正午になり、ちゃんこが販売される。この日は、九重部屋のもので、大広間で食べられるようになっている。
 尚、持ち出しは禁止である。
 相席になった人が、「味が濃い。」と言っていた。一般人には、合わないのかもしれない。
 食べた後、エトランスで、プレゼントの整理券を配布していたので、序でに貰う。先日、発表されたキャラクターのクリアファイルである。一時五十分より、プレゼントは配られるという。
 砂被りに戻ると、電光掲示板にも明りが入っている。
 時間になり、プレゼントの受け渡し場所へ行く。日替わりで、親方が直接渡すことになっている。
 先日、某新聞の夕刊に掲載されていた親方が、この日の当番である。
(第二千二百十九段)
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by akasakatei | 2009-09-27 22:15 | 文芸 | Comments(0)

秋場所七日目朝(すなかぶりにて)

 大相撲秋場所七日目に行く。
 これまでは団体で行くことが多かったけれど、これでは、下の取組は見られない。どのような人が来ているのか興味がある。
 そこで、個人でチケットを用意する。イス席C席である。
 八時に寄せ太鼓と共に入る。尤も、チケットを確認する親方が数分遅刻する。
 チケットは二階席になっているものの、この時間だと、砂被りに座れる。正面に陣取る。
 取組は八時四十分に始まる。それまで館内を歩く。相撲博物館及び売店も未だ開いてはいない。
 商売っ気がないともいえ、この日の取組を確認すると、以前、見学に行った相撲部屋の力士が出場する。
 特に、これということもなく、取組が始まる。
 砂被りや升席に座っているのは、相撲好きや外人である。
 とはいえ、前者はそこに縁がなさそうで、後者は興味本位のようである。
 これらのうち、問題なのは外人で、飲食や横になったりしている。すぐに、呼び出しが注意しに来る。
(第二千二百十八段)
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by akasakatei | 2009-09-26 22:14 | 文芸 | Comments(0)

非常識者後進極(にほんをこわしたのはだれ)

 某市において、市長が議会での答弁中に、飴やガムを口にしていたという。
 この市長は三十代である。
 世代的に考えると、丁度、大学において、授業中、机に飲み物を置き、平気で口にしていた層だろう。
 教わっているとの認識があれば、教師や学問に対しても、失礼な態度だと思うのではないか。
 今や、この感覚さえ分からない者が多いらしく、情けないとしか言いようがない。
 先日、こうした非常識な人間に関し、佐貫の酒仙と意見を交わした。
 酒仙によると、非常識者は派手な形をした人間に目立つというものの、結構、普通の格好をした者にも多いのではないか。
 咳エチケットや煙草の投げ捨てなど、些細なことも数えていくとどうか。
 こうしたことさえ守れないのだから、我が国の道徳心は、最早、風前の灯火とも思える。
 背景は、勿論、アメリカ型社会を目指したことにあり、これは完全なる失敗だったと認め、唾棄しなければならない。
(第二千二百十七段)
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by akasakatei | 2009-09-25 21:24 | 政治 | Comments(0)

故郷情景茶巾寿司味(あかさかふどきちゃきんずし)

 文楽へ行く前、多少早く地元を出る。
 第二部と第三部の間が三十分ほどしかなく、弁当で済まそうと思ったものの、劇場の弁当は今ひとつである。
 そこで、思い出したのは、故郷の茶巾寿司である。
 これについては以前に触れた。
 このような機会でもないと、なかなか食べられない。
 産土神へ挨拶した後、店へ行く。かなり狭く、従業員は年配者ばかりである。注文してから、作るためにやや待たされる。
 それを片手に下げ、日枝神社の裏を通り、議員会館の前に出る。ここは国会議事堂の裏になる。
あちこちに警官がいる。
劇場方面を目指すと、通れない歩道がある。「遠慮するように」と高圧的な看板があり、警官が見張っている。
見張りの警官に訊けば、自民党本部があるためという。
何故、自民党本部があると通れないのか、今ひとつはっきりとはしない。
大回りをして劇場へ着く。
尚、二十年以上振りの茶巾寿司は、好きだった高野豆腐が他の具へ変わっていた。それでも食べていて懐かしさを覚える。
(第二千二百十六段)
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by akasakatei | 2009-09-24 22:50 | 余暇 | Comments(0)

外人観劇態(がいじんへのこごと)

 国立劇場での九月文楽公演へ行く。第二部と第三部である。
 演目は、第二部が『伊賀越道中双六(沼津)』、『艶容女舞衣(酒屋)』、第三部が『天変斯止嵐后晴』となっている。
 『伊賀越道中双六(沼津)』は歌舞伎では観たことがあるものの、文楽では初めてで、、『艶容女舞衣(酒屋)』は歌舞伎、文楽とも初めてである。
 よく上演されることもあり、安心していられる。
 これらに対し、『天変斯止嵐后晴』はシェイクスピアが原作の新作文楽である。
 新作の場合、視点が面白い半面、未だ余分な箇所を感じる時がある。
 今回、初演が平成四年、再演を今年の七月に大阪で行なったこともあり、そうしたことはなかった。
 二時間の上演中、一度の幕間もなく、一気に話しが進む。
 話題作のためか、日本人の知り合いに連れられた若い西欧人を見掛ける。こうした連中は、マナーを知らず、上演中にデジカメを取り出す。知人である日本人は注意すべきなのに、それをしない。
 間違ったことをそのままにしておくと、どこでも行なう可能性がある。外人は本能的に我の強いところは動物と変わらず、言われなければ分からない。察することを知らない。
(第二千二百十五段)
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by akasakatei | 2009-09-23 22:29 | 文芸 | Comments(0)

退化社会道(ほろびみち)

 通勤電車で思うのは、動き難い格好をしている女性があまりにも多いということである。
 これに関しては、以前にも触れたけれど、特に、足元に気を遣わないようである。
 どう考えても、底が高い靴は危険である。
 先日、仕事帰りに、靴を脱いで立っている女性が車内にいた。
 側にあった靴を見ると、常識外れとしか思えないハイヒールである。
 何故、外見でのみ選ぶのか、理解に苦しむ。実用性も考慮するべきだろう。
 尚、この電車は毎日必ず遅れが発生するほど込んでいる。立錐の余地もない。
 周囲のことを考えれば、靴を脱ぎ、床に靴下で立っていること自体、迷惑であり、非常識な行動である。
 また、彼女自身を知っている人が見たら、どう感じるか。
 何れにしろ、想像に欠けた人が増えた結果、良識ある人が肩身を狭くしているのが現実である。明らかに、変な方向に社会は向かい、進歩ではなく、退化しているようにしか見えない。
(第二千二百十四段)
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by akasakatei | 2009-09-22 08:49 | 社会心理 | Comments(0)

能狂言普及公演(みみにここちよく)

 国立能楽堂へ九月の普及公演に足を運ぶ。
 馬場あき子氏の解説後、『昆布売』(和泉流)、『蟬丸』(観世流)と曲が並ぶ。
 能狂言に関しては、時々、聴きたくなる。
 このチケットの入手も難しく、タイミングが良くないと思い立っても、何ヶ月も聴けないことになる。
 今回も、六月に聴きたくなったものの、なかなか入手が出来なかった。
 時間があまりにも経過してしまうと、この聴きたくなるという感覚が、ある日突然なくなることもある。チケットを入手していても、そうした場合はただ行くだけということになる。
 このタイミングが難しい。
 『昆布売』は、下剋上的な内容の狂言である。理不尽な要求を出す立場が上の者が、下の者に仕返しされる内容である。日常を思い出す。
 能の『蟬丸』は、皇族が追い出される内容である。動きは少なく、その意味では詞章を聴くものである。掛け言葉が多く、字幕があっても、それを追っていては楽しめない。
(第二千二百十三段)
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by akasakatei | 2009-09-21 19:08 | 文芸 | Comments(0)