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現世地獄界(ゆるされぬはかいしゃ)

 先の続きである。
収入がなければ、どのような職でも良いというのは間違いである。向き不向きは誰でもある。
 それを考慮せず、似たような求人ばかりを持って行っても無意味である。
 世間では、底辺層が見えない人も多い。それは人間関係が希薄で、狭いからに違いない。様々な人と付き合っていると、破産や倒産などの話しはあちこちで聞く。
これらを自らとは無関係と思っているのかもしれないけれど、それは誤りで、いつそうした立場になるか分からない。
 正に、現世は地獄ともいえる。
 実際、毎日、東京駅を利用していると路上生活者が増えているのが分かる。
新顔は、身形がきちんとしている。それが段々と汚れて行く。
普通に働いても暮らせない社会は異常である。このような社会にした新自由主義者らは、断固として反省し、身を引くべきである。
その時は必要だったという反論もあるものの、その結果は、行なう時には予想出来たものだった。何故、考えなかったのか。
(第二千百九十二段)
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by akasakatei | 2009-08-31 21:26 | 政治 | Comments(0)

選挙戦与党発言(じゃくしゃへのつめたいしせん)

 選挙戦中、首相や現職の某大臣の発言に呆れた。
 首相は、学生相手に、「金のない者は結婚をするべきではない。」とし、「そうした者は尊敬されないだろう。」とした。
 この発言は、学生が首相に少子化の原因のひとつとして、貧困を指摘したわけだが、答えとしては的外れだろう。
 それに、金のない者に対し、蔑視したとも思える内容も含まれる。
 一体、何を考えているのか。
 尚、この後に、首相は「自らは、金はあったが晩婚だった。」と言ったものの、それは生まれた家が、偶然、富裕層だったわけで、本人の努力した結果とはいえない。
 次に、某大臣の発言を考える。
 昨年の「派遣村」に集まった人々を怠け者と呼んだ。
 某大臣によれば、「求人を持って行ったけれど、誰も手を挙げなかった。」とした。
 実際には、ひとりもいなかったわけではない。
 ここで問題なのは、どのような求人を持って行ったのか、という点である。
(第二千百九十一段)
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by akasakatei | 2009-08-30 21:09 | 政治 | Comments(0)

無関心存在(おもっているほどしんとうせず)

 先日、両国駅で佐貫の酒仙を待っていたところ、いつもとは異なり、昼間だというのに、若い女性らの姿が目立つ。中には、浴衣を着ている女性もいる。
 何かと思えば、国技館において、某アイドルグループが番組宣伝を兼ねて、イベントを行なったようである。
 この種の層では、国技館の存在自体を知らない人も多いらしく、駅で確認している人もいた。
 察するに、相撲は別の次元の話しなのだろう。
 とはいえ、国技館は駅前にあり、迷う方が難しい。
 そういえば、この前、歌舞伎へ行ったところ、今月は、歌舞伎座と新橋演舞場の両方で行なわれており、特に、歌舞伎座を新橋演舞場と間違えている人も結構いた。
 新橋演舞場は歌舞伎座と異なり、駅よりやや離れているので、未だ納得はする。
 それにしても、関係者にとっては、意外な感じかもしれない。逆にいえば、自分らが思っているほど、知られていないということになる。
(第二千百九十段)
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by akasakatei | 2009-08-29 09:08 | 社会心理 | Comments(0)

選挙制度怪(いけんのはんえいには)

 選挙運動中である。
 地元の有権者は、日中、働きに出ており、地元にいる人は少ない。年配者ばかりである。
 先日、仕事より帰宅すると、顔馴染みの市議会議員が、来客したと家人がいう。
 この市議会議員も、選挙のために、色々と動いているのだろう。
 家人によると、その際、今後の日本について、具体的な話しを聞いたらしい。
後日、知人へ電話をしていたのを側で来ていたら、それに関し話題にしていた。
これで影響を受ける人もいるに違いない。
ところで、その選挙だが、個人的には、死票が多くなる小選挙区制には反対である。
 また、二大政党制を歓迎する向きもあるようだけれど、政策に対して、良いか悪いかというだけで、中間がないのは問題だろう。
 必ずしも、諸外国を真似る必要はない。
 様々な有権者の意見が反映されるようにすべきである。
(第二千百八十九段)
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by akasakatei | 2009-08-28 19:55 | 政治 | Comments(0)

二人上司笑(わらいのたね)

 よく言われるように、上司とは思い付きで物を言う。
 翌日には正反対のことを言い、前日のことを忘れたような顔をしている。
「私がそのようなことを言うはずがない。」と怒り出し、部下としては、戸惑ってしまう。
一体、どのような神経をしているのか。
 これに関し、以下のように考えた。
 最近、それに関して、実は、社内に上司がふたりいるのではないかと考えている。
 ふたりというのには、ふたつの意味がある。
ひとつは、表向きなことで、宇宙人か何かが成り済ましているということである。
 もうひとつは、裏の意味である。本来なら、多重人格者としたいものの、社内でそれを言うと、波風が立つ可能性が高い。そこで、先の意味に置き換えるのである。
 また、最近では、「今日の上司」として、笑いの種にしている。
 全くぶれる上司にも困ったものである。
(第二千百八十八段)
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by akasakatei | 2009-08-27 19:25 | 産業 | Comments(0)

無機質生活(あそびのないせいかつ)

 東京をあちこち歩いていると、居心地の良い町とそうでない町とに分かれる。
 再開発され、商業ビルが建てられた土地は、それこそ、大体において、どのような町か、ある程度予想が付く。
 それでも、一度は足を向けるのは、見ないで語ることが出来ないからである。
 残念ながら、そのような町で、再び訪れたいと思ったところは少ない。
これは、生活の匂いがしないからだろう。人の営みは大切で、それが消された町は、反対に、圧迫感を覚える。
どうして、現代人は無機質にしようとするのか。
人がそれを求めているようには見えない。
無駄のない合理化が本当に良いのか。
遊びの部分は重要ではないのか。
こうした当たり前のことが疑問とされない国に、未来があるとは思えず、この先に待っている闇に対し、恐怖を感じる。
年々、その思いが強くなる。
(第二千百八十七段)
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by akasakatei | 2009-08-26 18:52 | 社会心理 | Comments(0)

消費主義者殿堂(おもてさんどうさいかいはつ)

 産土神に挨拶をした後、これまで行ったことのない新坂方面へ足を向ける。
 この辺りは、佐貫の酒仙が詳しい。
 酒仙と当時のことを話していると、子供時代に戻るから不思議である。
 ただ、違うのは世の柵があるということか。
 新坂を上がると、カナダ大使館の脇に出る。
 ここにはギャラリーがあるようだが、土曜は休館となっている。
 青山通りより表参道へと向かう。
 酒仙が、同潤会アパートの跡へ行こうと言う。
 名前はよく聞くものの、未だ、訪れたことはない。
 現在は、再開発で新しい建物となり、一部に古い箇所があるらしい。
 神宮外苑を過ぎた辺りより、人が増え始め、如何にも消費主義者という顔をして歩いている。
 目指す建物はそれこそ、消費主義者の殿堂という感じであり、中に入っているテナントの店員は視線が合っても、会釈すらしない。
(第二千百八十六段)
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by akasakatei | 2009-08-25 18:51 | 産業 | Comments(0)

六本木菓子(となりまちのかし)

 川魚屋を出ても、未だ、日は高い。
 十三時半前である。
 大江戸線を使い、六本木へ出る。六本木には、故郷にいた頃より、時々食べていた和菓子屋がある。
 このところ、故郷を訪れる度に足を運ぶ。
 それに明日は祖父の命日である。仏壇に供えたい。
 故郷において、和菓子屋は何軒かあるものの、わざわざ隣町ともいえる六本木の店へ行っていたのは、故郷の菓子屋はどちらかといえば、お遣い物の店だったからで、普段に食べるという菓子ではなかったからである。
 それにしても、六本木のこの辺には、洋菓子屋は目立つけれど、和菓子屋を探すのは意外と難しい。
 その洋菓子屋も競争が激しいようで、子供の頃より親しんでいた店は既に閉店しており、また比較的有名な交差点の角にあった店も更地になっていた。
 そうした中、この和菓子屋が残っているのは嬉しい。
 この店を佐貫の酒仙は知らなかったという。
(第二千百八十五段)
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by akasakatei | 2009-08-24 18:50 | 地域 | Comments(0)

両国川魚屋(りょうごくしょきばらい)

 毎夏、佐貫の酒仙と暑気払いを行なう。
 暑気払いは泥鰌である。昨年までは浅草であったが、今年は両国にし、川魚を食べさせる店へ足を向ける。
 店内に入ると、某相撲部屋やここで開かれている寄席に出演している噺家らの色紙が飾られている。
 この日の夕方に酒仙は用があるとのことだったので、昼から飲み始める。
 昼酒は嫌いではない。一日がそれこそ流れるように感じる。明るい間に、家路に着くのも悪くはない。
 更に、その席上、酒仙より、その用がなくなったと聞き、腰を据えて飲み出す。
 本来、川魚だからビールより日本酒が合うのだけれど、何故か、この日はビールばかりを飲む。
 このため、店で用を済ませたのに、駅に向かうまでの間にまたトイレに行きたくなる。
 ホテルのロビーならあるかと思えば、設置されている様子もなく、結局、コンビニで借りる。
(第二千百八十四段)
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by akasakatei | 2009-08-23 18:49 | 余暇 | Comments(0)

最後納涼現歌舞伎座(げんかぶきざさいごのなつ)

歌舞伎座さよなら公演八月納涼歌舞伎の第一部と第三部を観に行く。
第一部は『天保遊俠録』、『六歌仙容彩(遍照・文屋・業平・小町・喜撰・黒主)』で、第三部は『お国と五平』、『怪談乳房榎』となっている。
観たことがないのは、『天保遊俠録』と『お国と五平』である。
前者は成駒屋で勝海舟の父親を描き、後者は谷崎潤一郎氏の作である。
まず、『天保遊俠録』は真山作品である。その中で、良かったのは「家の禄の違いが人間の値打ちではない。」との台詞である。
続く『六歌仙容彩(遍照、文屋、業平、小町、喜撰、黒主)』は大和屋が五役を演じる。
大和屋はまた『お国と五平』でも、印象的な演技を見せる。特に、「生まれ付きの性格で世間からあれこれ言われる。」と語る場面では、現代の社会を思い出させる。ここで笑う人がいればお目出度い人かもしれない。個人的には、悪人とされる大和屋が演じる人物の心情を考える。
『怪談乳房榎』は中村屋である。本水、早替わりのある納涼歌舞伎らしいものである。この榎に関しては、ついこの間、板橋を訪れたこともあり興味深い。
(第二千百八十三段)
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by akasakatei | 2009-08-22 22:39 | 文芸 | Comments(0)