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休暇中都内(とうきょうのすがた)

 東京での盆は七月である。八月ではない。
 以前は旧盆ともなると、郊外電車沿線の地方人が、一斉に帰省するため、都内は空いた。改めて、代々東京に住んでいる人が少ないことに気付かされた。
 正直、これらの連中のために、江戸よりの文化が破壊されたのかと思うと腹立たしささえ覚えたものである。
 休暇が終わり、戻って来られるのは、迷惑この上なかった。
それが今では、休暇を一斉に取る会社も少ない。
 郊外電車は、多少空いているかなと感じるくらいである。
 差を感じるのは、年末のみか。
 この時期だけは、どこも一斉に休みになるから、夏以上に、本来的意味の東京出身者だけとなる。
 その頃の都内を歩くのは面白い。
 これが元々の東京だったと思われる。
 東京なのに、似非都会人ばかりが闊歩する日常はおかしい。
 何れにしろ、これも、似非都会人が江戸しぐさも知らず、図々しく振舞っているのがいけない。
(第千八百五十七段)
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by akasakatei | 2008-09-30 21:38 | 社会心理 | Comments(0)

外道政治家(みちにはずれたせいじか)

グルジア紛争におけるアメリカ大統領の発言は疑問である。軍事行為は許されぬという。自身が指示しているのは何か。
察するに、我が国の政治家も同様の考えに違いない。
尤も、最近の政治家の発言を聞いていると、失言の連続で、すぐに変える可能性も有り得る。油断がならない。
正直、未だ、アメリカに習うことがあるのか。
新自由主義を採用し、失敗したことは明白である。最早、見習う存在ではない。
 社会格差が拡大したアメリカでは、医療関係においても、富裕層と底辺層では、足を向けるところが違う。
 我が国でも、既に、そうした医療機関が登場しており、そこの医者では保険が使えず、対象は富裕層という。
 これをビジネスとして成功させるために、政治家に働き掛けているらしい。
 呆れる他ない。
 それよりも今、政治家が行なわなければならないのは、雇用問題ではないのか。
(第千八百五十六段)
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by akasakatei | 2008-09-29 21:36 | 政治 | Comments(0)

唖然話(あきれたはなし)

世の中、呆れることばかりである。
政界では、内閣が改造され、閣僚らが早々に失言をしている。
首相に人を見る目がなかったのだろう。本当に、これで国民視線なのか、と疑問に感じる。
財界人も同様である。
的外れな庶民を苦しめることしか言わない。
本来なら、富裕層や大手企業より税を取るような発言でなければならない。
政界、財界とも、その顔触れを見ると、如何にも卑しくなっている。以前に触れた我利我利亡者の相である。
富裕層にも、こうした相は多い。
その価値観は、庶民と掛け離れている。
先に報じられたインドへ体外受精しに行った男性医師も同様である。
貯えがなければ、普通では考えないことである。
これに似た話しを車内で聞いた。
何でも、その独身者の男性が、勤務先の会長に、アメリカに行けば、どのような型の女性の卵子でも手に入るからと勧められたらしい。
結構な値段で、そんな高給を貰っていないと言っていた。尚、この会社は名ばかり管理職で話題になった。
(第千八百五十五段)
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by akasakatei | 2008-09-28 20:45 | 政治 | Comments(0)

関心領域外(かかわらぬこと)

先の続きである。
人の関心領域とは、狭いものである。意識的に、アンテナを張っていないと、世の中の流れが分からなくなる。
下手をすると、そうした分野に縁がないまま終わるかもしれない。
一般的には、趣味や好みが似た者に好感を持つ。
そのような状態だと、関心外の分野の人間とは話すこともないだろう。
最近では、情報の発達に伴い、関心を持った分野の専門化が進み、それだけで話しが合わないということになる。
例えば、このところ、鉄道ファンが注目されている。そのファンにおいても、世間では、様々なファンがいることを知らないに違いない。
写真、模型、旅行などに分けられ、相互には、別の意識さえある。
こう考えてくると、社会的に、意思の疎通がなくなっていくのは不思議でもない。
無用な争いが増えるのも当然である。
正に、バイオレンス国家・日本である。
(第千八百五十四段)
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by akasakatei | 2008-09-27 20:42 | 社会心理 | Comments(0)

意思絶疎通(なっとくのこと)

社会学徒にとり、人と違うことは否定的には考えられない。独創性が求められる。そうした点、一般的に学閥を作りたがる学問とは異なる。
簡単にいえば、物事を裏から眺めることになる。
集団内にいたとしても、冷ややかな視線で、構成員を観察している。
これまで、ここで触れて来た内容も、基本的には、この視線で、分類についても、それに準じている。
こうした思考だから、つい、公共の場においても、何かをしたら、周囲はどう反応するかと考えてしまう。
社会心理学の分野である。これなど、時に、面白い反応がある。
それを知っているから、様々な場所へ足を運ぶ。
個人的には、最近の新しい風潮には反対なものの、一度でも行くのは、知らないと何も言えないからに他ならない。
完全に否定をし、その分野へ関心を向けない者が、世の中の大半を占めるけれど、勿体無いことと思う。
尤も、専門が細分化されたため、意思の疎通が出来なくなったともいえるかもしれない。
(第千八百五十三段)
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by akasakatei | 2008-09-26 20:40 | 情報 | Comments(0)

地方人思考(おさとはどこか)

 某新聞の調査によれば、地方人が東京に出て来た場合に住みたい町は、港区、渋谷区、世田谷区という。
 港区以外は、西へ伸びる郊外電車の沿線である。
 それらの電車に実際に乗れば分かるけれど、無理して住んだに違いない地方人の集まりである。先に書いたような江戸しぐさは見られない。
 特に、ラッシュ時に乗っていると、地獄にでもいると思えるほど混む。
 江戸しぐさを知らないものだから、無法化する。
 いざこざはあちこちで見られる。
 背景としては、地方人の思考自体が単純だから、すぐに頭に血が上ることがある。
 譲り合い精神を知らないから、始末に終えない。
 相手の動きをある程度を予想し、それに対し行動すれば良いのに、常に自分が一番と考えるため、争いが起きる。
似非都会人と言われる所以である。
育ちが悪く、御里が知れる。
(第千八百五十二段)
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by akasakatei | 2008-09-25 20:38 | 地域 | Comments(0)

店信用(えらぶきじゅん)

似非都会人の行動について、何回か触れて来た。では、外見での判断区別はないか。
これは、情報が発達している現在、なかなか困難である。
ただ、傾向としては、ふたつに分けられないか。
質に関係なく安さ追求か、ブランド志向である。
前者は、ただ安ければ良く、質に関しては考えない型である。使い捨てを何とも思わない連中である。
後者は、ただブランドのみを信じる型である。以前にも触れた通り、ブランドだからといって安心は出来ない。質が伴わない物も多い。これもまた、使い捨てとなる。
こう考えてくると、似非都会人は、消費社会を疑問と思わない要素が強い。
戦前より、東京にいる者は、勿体無いと考える人間が多い。流行に惑わされず、永く気に入った物を使う。壊れた時も、修理をする。
最近では、修理を受け付けない店も目に付くけれど、注意しなければならないのは、古くより東京に住む者は、買う場合に、既に、店を選択しているということだろう。
永く付き合える店で買う。それには、店側に信用がなければならない。となると、必然的に、顔の見える店となる。
(第千八百五十一段)
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by akasakatei | 2008-09-24 20:56 | 産業 | Comments(0)

似非国際人(さらにりかいふのう)

これまで触れて来たように、郊外電車沿線における似非都会人と乗り合わせて疲れるのは、気配りが足りないからである。言い換えれば、江戸しぐさが身についていないためである。
郷に入れば郷に従う、という言葉も知らず、地方の文化を押し通そうとする。
戦前より代々東京にいる者が、呆れ返るはずである。
車内にいても、その行動は眉を顰めるばかりである。それに気付いておらず、何とも思っていないのは各地からの似非都会人だけだろう。
国内でさえ、こうした状態なのだから、外人を理解することは更に難しい。
よく理解は可能というけれど、疑問に思う。
文化背景も異なり、その思考回路は、自国の利益しか考えていない。
こうした連中と分かり合えると思っているのは、余程目出度い人間に違いない。
似非都会人に倣っていえば、似非国際人か。
(第千八百五十段)
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by akasakatei | 2008-09-23 20:55 | 国際 | Comments(0)

芝居世代層(わかきやくしゃ)

 八月歌舞伎座の納涼歌舞伎へ足を運ぶ。八月は、例年、三部制となっている。
 第一部は、『女暫』、『三人連獅子』、『眠駱駝物語(らくだ)』となっている。注目したのは、『眠駱駝物語(らくだ)』に登場する松島屋による駱駝の馬太郎である。
 第二部は、『つばくろは帰る』、『大江山酒呑童子』である。これらは両方とも観たことがなかった。
 第三部は、『紅葉狩』、『野田版愛陀姫』である。後者を観たい人が多く、チケットの入手が難しかった。オペラを下敷きにしたものという。
 それぞれ、目当ての演目があったものの、印象に残ったのは、それほど、注目していなかったものである。
 何れも、二十歳前後の役者が活躍したものである。
 歌舞伎を観始めたのは、八年ほど前だけれど、単純計算すれば、その頃は、小学校を卒業するか否かだったくらいになる。
 今後、どのような役者になっていくのか楽しみである。
 世代間のバランスが、上手くいっている。
(第千八百四十九段)
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by akasakatei | 2008-09-22 20:53 | 文芸 | Comments(0)

地方人行為(はじをしらないじんしゅ)

 東京における地方人の問題に触れてきた。
 まず、その見分け方は、電車が駅に着き、扉が開くと同時に席を立ち上がるかである。
 駅においては、エスカレータを使う。
 歩くのが苦手であり、その速度は遅く、後ろの人の迷惑となる。
 他には、車内の行為でも分かる。床への座り込み、飲食、化粧など迷惑な行為をする。
 要するに、公共の場の概念が欠けているといえる。
 そこで、注意しなければならないのは、駅で階段しかない場合である。
 ここでの見分け方は何か。
 先に書いたことを応用すれば簡単で、上がるのが遅く、周囲を気にしないことである。自分のペースを守っている。
 このように見てくると分かるだろうけれど、文字通り、気が利かない連中である。
 それでいて、人間が単純だから、自分が迷惑になっていることも分からず、すぐに感情に走る傾向がある。
 尚、ここでいう地方人とは、何度も触れた通り、今、東京に住んでいても、先祖が明治より住んでいないと、そこに含まれることになる。
(第千八百四十八段)
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by akasakatei | 2008-09-21 21:52 | 社会心理 | Comments(0)