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脱亜欧米入江戸(いきつくしゃかい)

行政の失敗は明らかである。
 欧米型の世界を目指したからである。
 資本家だけが、益々肥える社会になってしまった。
 この背景を探ると、無知な人らがこれを提唱した政治家を支持したからに他ならない。
 おかしな世の中になってしまった責任は、当然ながら、こうした人らにもあるだろう。
 それにしても、踊らされている人が多過ぎる。
例えば、見合いをしたある男性から聞いた話しだと、車を所有していても、古い車に乗っているだけで、女性が断って来る世の中らしい。何故、所有していること自体を幸福と考えないのか。
 物差しが狂っている。
 これは考えるところ、消費主義を良いと思っているからだろう。
 資本家の命令による企業の言葉に乗せられていると批判的に見ず、宣伝を鵜呑みにしているから、このような発想になるに違いない。
 これは近い将来、行き詰まりを見せるだろう。
 資本家に欲を刺激される人間に明日はない。
(第千六百十四段)
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by akasakatei | 2008-01-31 18:49 | 政治 | Comments(0)

未来航海図(ながされじんせい)

日々、生活に追われ、未来を描けない人が何と多いことか。
 その生活さえ、描けない人もいる。
 我が国は、先進国と言われているものの、現実を見ると、街には職のない若者が溢れ、炊き出しにはホームレスが集まる。
 市場原理主義者は、こうした人達に対し、自己責任というけれど、実際には行政の失敗である。
 誰もが一億総中流と思っていた時代は、つい二十年ほど前だった。それが今ではどうか。
 餓死する人までいるのである。
 昭和二十年代後半までは、毎日三食を食べられるだけで幸福に思っていた人が多かった。その当時と今は変わらないのである。
 この現実をどう捉えるべきか。
 また、現在、一部の職場を除き、戦前並みの過酷な労働を強いられている。
 そこには、戦前に書かれたプロレタリア文学の世界が広がっている。
 希望も何もない時代を我々は作り出してしまった。
(第千六百十三段)
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by akasakatei | 2008-01-30 18:41 | 政治 | Comments(0)

危速度社会(そくどいはんのよ)

 車内の吊り広告で金融教育に関するものがあった。その主催は日本銀行という。
 失われた十年以降、市場原理主義者を中心に、世界で生きるために、早くからの金融教育が叫ばれていたのは知っていたけれど、ついに車内広告まで現れたかと思った。
 広告だけでは、その内容まで分からないものの、単に、マネーゲームとしての投資の仕方や金融商品を教えるだけならば、今後のこの国の未来は暗いであろう。
 また、教えたとしても、その元手の得方については、どう説明するのか。
 格差のある現状、底辺層では難しいことになる。
 その場合、安易に元手を得るために、犯罪が増える可能性もあるに違いない。時間を掛け、働いて得ることをするとは考え難い。
 平成になってから、これは明らかである。
 背景として、インターネットや携帯電話の普及により、それが増加したと考える。
 これらは社会の動きを速くさせる一方、ゆとりをなくさせた。これは余裕のない状況を指す。その速度は自然に反する。
(第千六百十二段)
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by akasakatei | 2008-01-29 12:45 | 産業 | Comments(0)

市場原理策失敗(しっぱいへのらせん)

先の続きである。
 無駄な建造物は、以前にも触れたけれど、平成以降に目立つようになった。
 その特徴は、これらの建物は誰もが気軽に使えないという点である。
 市場原理が導入されたため、格差が広がり、その恩恵を受けている人間は一部である。
 これについて、市場原理主義者は地球規模化の現在、二極化を当然とするものの、両極端な考えが良いはずがない。その中間となる考えが何故出ないのか。元首相は、良いか悪いかだけで判断した。世の中はそれほど単純ではない。結果、中間層がほとんどいなくなり、経済的理由で家庭を築けない者が増加し、未婚者が増えることとなった。これは必然的に少子化へと繋がる。
これについて、特に、市場原理者は、消費中心主義だから、少子化に対し様々なことをいうことになる。そうなると、これまでの政策は完全に失敗であることを表していないか。
この矛盾に気付くべきである。
尚、個人的には少子化でも構わないと考える。日本史上、一番平和だった江戸の人口くらいに戻るのが良いのではないか。
(第千六百十一段)
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by akasakatei | 2008-01-28 21:38 | 政治 | Comments(0)

都市再開発(むだなけんぞう)

三月、故郷の再開発地域にまた商業施設が生まれる。
 故郷が消えて行く。
 これまで、都内に出来たいくつかの再開発地域を歩いてみた。その多くは、以前と比べ、味気なくなっている。面白みに欠ける。
 これは、再開発者がその土地を知らない地方出身者だからだろう。江戸より住んでいれば、人間味が感じられない無味乾燥な建物など造るはずがない。
 また、その弊害のひとつとして、その建物がある住所と広告が一致していない。土地を知っていれば、そうした愚かな過ちはしない。
 例としては、故郷にある東京ミッドタウンである。これは六本木ではない。
 それにしても、警備員がいないと機能しない建物とは、明らかに欠陥で、これでは人との繋がりは益々希薄になるばかりである。
 このような建物には安らぎはない。 
 実際、聞くところによれば、一部の人を除き、利用出来ない店が多く、足を向けないとの話もある。
 正しく無駄な建物である。
(第千六百十段)
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by akasakatei | 2008-01-27 21:40 | 地域 | Comments(0)

諸警官行動(そのことばには)

最近、警察関係者の姿をよく目にする。
 これは、免許の更新や皇居へ一般参賀に行ったからに他ならない。その際、警官と接触する。
 まず、皇居で手荷物検査をしていた警官だけれど、上着から荷物を出すようにと呼び掛けていた。
 出そうと思っても、空港のように籠が置いてあるわけでもなく、色々と入れている者にとっては手に持ち切れない。サービスに欠けていると感じる。
 このため、別に呼ばれ、女性警官に上半身を弄られる。
 漸く、そこを抜け、宮殿までの道筋にいた警官に、宮殿までの時間や距離を確認したところ、「自分も入ったことがないので、知らない。それに時間は混み具合が分からないので。」と言われる。
 仮に、何かあった場合、知らなくて大丈夫なのか。無線で、情報を共有する必要があるのではないか。
 免許の更新では、先に、スピーカーでの案内放送について触れたけれど、その調子は学校朝礼の体育教師と変わらなかった。ラジオ体操の呼び掛けの方が、サービス精神溢れる。
 何れにしろ、問題が続く警察組織だが、頭まで筋肉化されるのではなく、常識ある仕事を求めたい。最初は、庶民に対する言葉遣いからであろう。
(第千六百九段)
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by akasakatei | 2008-01-26 21:58 | 政治 | Comments(0)

一般的生活(ゆめのかてい)

先に、地元のCD屋が閉店することに触れた。
 地元では、最近、本屋や文具屋、飲食店もなくなった。これらに共通するのは、何れも、駅前の再開発された建物に入っており、個人経営の店だったことである。
 一体、何が起こっているのであろうか。
 確かに、地元で買い物をする人は少ないものの、これらは再開発される前より、地元にあった店である。
 利用していた者としては、不便になる。
 また、現在、地元は音楽の街として売り出しており、唯一のCD屋がなくなることは、問題ではないのか。
 最早、郊外では普通の暮らしが成り立たない。これは可笑しい。
 誰もが幸福な生活を送れるようにするのが、行政の仕事である。
 今や、かつては一般的な家庭の姿であった正社員の父親と専業主婦の母親、それに子供という図式は崩れ、一緒に食卓を囲むことさえもなくなった。
 父親が仕事に疲れ、家に帰れば、家族は寝ており、迎えるのは犬だけという家が多いらしい。家族の意味を考えてしまう。
(第千六百八段)
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by akasakatei | 2008-01-25 19:23 | 家族 | Comments(0)

市内初落語(よきせぬわらい)

地元のホールで落語会が行なわれる。
 初笑いと題し、毎年開かれ、チケットを入手するのが困難になっている。これは、テレビに登場する有名人が出て来ることもある。
 今年は、小遊三師匠、好楽師匠、色物ではマギー司郎さんであった。
 まず、前座が登場する。好楽師匠の弟子であるかっ好さんである。
 例年、前座の後にひとりが出た後、休憩が入るものの、今年は違った。
 前座のすぐ後に、休憩が入る。
 誰もが、次の小遊三師匠が着いていないものと思っていた。
 ところが、案内放送によれば、観客のひとりが体調を崩したためという。
 そういえば、後ろが騒がしい。見れば、年配男性が周囲の客らによって、運ばれて行く。
 予期せぬ初笑いであろう。
 そういえば、正月早々、この落語会のチケットを扱っていたCD屋が閉店するらしい。市内唯一のCD屋である。今後、この落語会のチケットは益々入手するのが難しくなると予想される。というのも、この落語会は、三箇所の売場に、チケットを割り当てる方式を取っており、他の売場では電話予約が出来ないからである。
(第千六百七段)
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by akasakatei | 2008-01-24 19:21 | 教育 | Comments(0)

免許競争曲(めんきょこうしん)

二月の頭に生まれた故、自動車の免許更新はひと苦労である。というのも、一月の最初の日曜日は、更新業務が年末年始は休みのため、その間に生まれた人達が押し寄せるからである。
 案内によれば、八時半からとのことだったので、朝一番のバスを乗り継ぎ、府中の免許試験場まで行く。
 七時半前に着いたものの、寒さもあり、トイレに行きたくなる。
 見回してもコンビニが見付からず、仕方なく、試験場前にある多磨墓地内でトイレを探す。
 ここには我が家の墓があるけれど、墓地内は広いので、トイレがどこにあるかまでは把握していない。
 それにしても、高い建物がなく、見晴らしは良い。
 漸くトイレを探し、試験場まで戻ると、行列が出来ている。
 七時五十分頃、中から警官が出て来て、八時に開けるという。混んでいるからか。
 何れにしろ、有り難い。
 八時一分前、スピーカーより、高らかに、放送が流れる。
 ここには五年に一回しか来ないため、すっかり手続きの流れを忘れている。
いつの間にか、申請用の写真も必要なくなり、免許もICチップが埋められたものになっている。
(第千六百六段)
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by akasakatei | 2008-01-23 19:18 | 政治 | Comments(0)

玉電砧本村(きぬたせんのしゅうてん)

品川より大井町に出、東急大井町線で二子玉川に向かう。
 そこから、砧本村へのバスが出ている。
 この砧本村が、玉電砧線の終点だったという。
 当時に関しては知らないものの、ここは地元の近くである。ならば、どういう場所か行ってみたい。
 バスの本数は結構ある。狭い道を走るため、小型のバスである。
 最早面影はない。
 ただ、バス停は、地方にある小屋を思わせるものである。丸い灰皿が懐かしい。
 周辺は完全に住宅地となっている。
 この近くに地元の駅へと運んでくれるバスが出ている。バス停は宇奈根という。
 そこまで歩いて十分も掛からない。尤も、案内もなく、道を訊く人もいないので、その方向を目指すだけである。分かれば、もっと短縮出来るに違いない。そのバス停は、終点にしては寂しく、停留所があるだけである。
それにしても、どうして砧本村まで走らせずに、盲腸路線としているのだろうか。
(第千六百五段)
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by akasakatei | 2008-01-22 16:36 | 地域 | Comments(0)