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東武線一筆(おおまわりふなばし)

 十一月最後の日曜、東武伊勢崎線の複々線を乗りに行く。ただ、往復するだけでは面白くないので、春日部より野田線で船橋に出る。
 東武へ行くには、地元からだと、いくつか方法があるものの、この日は、地下鉄半蔵門線より入る。
 ただ、後に、船橋駅で精算する時、面倒なことになる。というのも、磁気定期券で入ったためである。機械では、ひとつの経由でしか計算出来ないからである。
 その半蔵門線だけれど、東武への直通電車は流石に混んでいる。東武動物公園へ行く親子連れが目立つ。
 隣りに座った親子連れは、押上より地上に出ると、動物園の開場時間を気にし始める。
また、前に座った親子連れは、反対電車の車輛についても詳しい。東武のカレンダーを買っているのか、何月に出ていたなどという。
 春日部より野田線に乗り換える。船橋までの直通はほとんどなく、柏で乗り換えなければならない。実質的に、別線という感じである。
 沿線もまた異なる。柏までは開発中だけれど、その先は高架線の箇所もある。
(第千五百五十二段)
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by akasakatei | 2007-11-30 19:10 | 地域 | Comments(0)

町中厠(べんじょさがし)

 町中で、急にトイレへ行きたくなった場合、多くの人はどうするであろうか。
 まず、頭に浮かぶのはコンビニだろう。
 あちこちで見掛ける。
 ただ、綺麗とはいえない。
 となると、デパートや本屋かもしれない。
 綺麗という点で考えると、本屋は店により差があるものの、前者は外れがない。
 とはいえ、営業時間が決まっており、使えない時もある。
 こうなると、やや敷居が高いけれど、ホテルを利用することになる。
 ホテルのロビーは、一般的に、待合せに使われているにも関わらず、個人的には居心地が良くない。
 雰囲気に慣れていないのが最大の理由である。
 特に、入口に従業員がいると、用件でも訊かれるのでは、と思ってしまう。
 トイレを無料で借りるため、後ろめたさを感じる。
(第千五百五十一段)
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by akasakatei | 2007-11-29 21:50 | 地域 | Comments(0)

飲酒帰宅路(とっきゅうのこうよう)

 先日、本川越で飲んだ。入間へ航空祭を見に行った後である。
 本川越より自宅へ戻るには、西武新宿線で新宿へ出、そこから小田急に乗る必要がある。
 その時、西武新宿線の特急に初めて乗った。
 特急券は四百十円である。所用時間は五十分ほどで、わざわざ特急に乗る距離でもない。
 つい乗ってしまったのは、飲んでいたからである。
 飲むとトイレが近くなる。
 帰りの電車が困る。乗り換える度に、トイレに向かうことになる。下手をすると、途中下車する場合もある。こうなると、いつ自宅に着くか分からない。
 実際、大船に仕事で通っていた頃、仕事場近くで二十時頃より飲み、気付けば、二十二時を過ぎていたことが何回もあった。その帰りは、終電車を気にしながら途中下車をした。
 それから考えると、トイレのある特急は重宝である。二度ほど行った。
 こうなると、四百十円は安いのかもしれない。
(第千五百五十段)
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by akasakatei | 2007-11-28 21:36 | 地域 | Comments(0)

聞耳話(よそうもしないこと)

 よく触れるように、電車の中で他人が話していることは面白い。
 先日は、年配女性らが病院の話しをしていた。
 それによれば、ある一定の入院期間が経過すると、病院を追い出されるらしい。次の入院先は、自分で探さないといけないという。とはいえ、自分は入院しているわけだから、実際に動くのは家族となる。
 これは、治っている否かには関係ないとのことである。
 周囲に入院している人がいないと、気にもしないことである。
 これが医療の実態かと思う。福祉の遅れを感じる。
 また、別の日は、三十代後半くらいの女性が、車内で鼻の掃除をしていた。
 この場合の掃除とは、紙を使わず、そのまま指を穴に入れていたことをいう。
 男性では見掛けるものの、女性では珍しい。
 三十代くらいまでは、未だ辺りを気にすると思っていたけれど、どうも違うようである。尤も、車内で化粧をする二十代もいるのだから、今更、驚く方がおかしいのかもしれない。
 何れにしろ、人間を知る意味では勉強になる。
(第千五百四十九段)
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by akasakatei | 2007-11-27 21:46 | 福祉 | Comments(0)

十一月中席(らくごのじょうしき)

 国立演芸場の十一月中席へ行く。
 今回、足を運ぶ気になったのは、昇之進師匠が出ていたからである。真打ちになって、聴くのは初めてである。
 最初に聴いたのは、浅草での柳好師匠の真打ち襲名時である。二つ目であった。
 その時の高座が印象に残っている。
 これは、寄席で落語自体を聴くのが初めてだったこともあるだろう。面白さが伝わって来た。相撲に関する噺であった。
 ところで、この日の枕は、最近、話題になっている偽装事件関連が多かった。
 こうしたお上への批判は面白い。庶民文化を感じる。歌舞伎では、失われたものである。
 そうした理由でもないだろうが、前座の登場より寝ている客が目立つ。
 あちこちより、鼾さえ聞こえて来る。更に、噺が始まっているのに、遅れて来る人がいる。人の前を通り、座席へ向かう。迷惑である。それに、噺家にも失礼である。
 落語では、噺家が代わる時に入って来るのが常識である。
(第千五百四十八段)
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by akasakatei | 2007-11-26 20:11 | 文芸 | Comments(0)

平成最低辺社会(ゆるされぬはつげん)

 首相経験者が、外国の要人に対し、以下のように発言したという。
 「現在、生活に苦しんでいる人がいるのは、構造改革が進んでいないためだ。」
 これは改革を行なったからである。規制緩和の結果である。
 これで、どのくらいの人が苦しんでいるか。上層部にしかいないから、最低辺をこの政治家は知らない。
 この発言は、明らかに怪しげな宗教団体と変わらない。到底、許されるものではない。
 最早、労働者階級にとって、この社会はなくても良いものになりつつある。
 最低辺では、既に秩序がなくなっている。
 こうした社会を分析する場合、政府は外国で生まれた新古典派経済学の理論を使うけれど、これは我が国には当て嵌まらない。社会の仕組みや考え方が異なるからである。
 むしろ、江戸を参考にするべきである。
 江戸では、商売をする時、基本的には自由であったが、株がないと出来ないものもあった。
 どう見ても、競争社会でない江戸の方が健全に思える。
(第千五百四十七段)
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by akasakatei | 2007-11-25 21:59 | 政治 | Comments(0)

地域間移動(ろじょうせいかつしゃせいかつけん)

 前に、地元に住み付いたホームレスに関し、触れた。その際、電車に乗り、都心へ通っていることについても書いた。
 今や、自動改札がどこにでもあり、昔とは異なり、正規の切符を買っていると思っていたところ、先日、そうでないことが判明した。
 改札内に入る手口は、誰かの後に続いて入ることである。この時、間が開いてはいけないようである。
 その後、様々な駅で観察すると、この手口を使う人間が何と多いことだろうか。そのほとんどは五十代より上の男性である。
 自動改札は、不正乗車の取り締まり、更には、人件費を浮かせるために設置され始めたものの、果たして、効果はどうなのか疑問に思う。
 このように考えてくると、最近、地元でホームレスをよく見掛けるのは、簡単に電車へ乗れてしまうからだろう。
 最初はいただけでも驚いたのに、段々と増え、女性のホームレスまで現れる始末である。
 察するに、小田急でさえこの状況なのだから、地域間移動は他でも盛んに違いない。
(第千五百四十六段)
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by akasakatei | 2007-11-24 22:08 | 福祉 | Comments(0)

十一月芝居(しもつきのこくりつ)

 国立劇場で行なわれている『摂州合邦辻』を観に行く。
 今回は通し狂言で、三十九年振りという。
 演じるのは山城屋と大和屋である。
 この演目に関しては、「合邦庵室の場」がよく単独でも上演されるものの、これまで観たことがない。
 正直、今までの例から考えると、あまり上演されない部分は洗練されていないこともあり、成功とは言い難いものもあった。陰干しという点では重要だけれど、観ている方にとっては分かり易かったとはいえなかった。
 ただ、歌舞伎本来の楽しみ方を考えると、筋ではなく、役者であり、役者が役を捕らえているか否かということになるのだろう。それが見得に繋がる。
 そのように観ると、今回、個人的に印象として残ったのは奴入平を演じた成駒屋と誉田主税之助役の松嶋屋であった。
 また、この演目は義太夫狂言であり、義太夫狂言だと、客席で寝ている人が必ず何人かいるのだけれど、あまり見掛けなかった。
 それだけ、役者が頑張ったということか。
(第千五百四十五段)
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by akasakatei | 2007-11-23 19:46 | 文芸 | Comments(0)

社会不安現(ようちえんでのまなび)

 故郷の学級委員が亡くなり、一年が経過した。
 この間、身の回りには様々なことがあった。
 特に、感じたのが、益々暮らし難くなったことである。幼稚園の頃に考えたことが、更に現実的になってきた。
 以前にも書いたけれど、当時より、自己の存在意義を問い、将来に対する不安があった。この不安とは、社会における不平等や権力者が下層部を抑圧する社会で生きていかねばならないということである。
 例えば、前者ならば、誰もが働いているのに、何故貧困者が存在するのか。また、皇室に生まれたというだけで、将来が約束されていることへの疑問である。
 後者だと、競争社会だと、必ず、負ける者が出て来る。そうした人に関し、政府は何もしないという現実である。かなり絶望的な気持ちを持っていた。
 これらは何れも、幼稚園生活の結果である。
 当時の担任は、子供らしい子供ばかりに目を遣り、それ以外については厳しかった。このような経験より、上層部へは今も不信感しかない。
(第千五百四十四段)
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by akasakatei | 2007-11-22 19:41 | 福祉 | Comments(0)

落道中映画(やじきたどうちゅう)

 池袋へ、映画『やじきた道中 てれすこ』を観に行く。
 初日である。朝より雨で寒かったからか、若しくは、舞台挨拶のある映画館に行った人が多かったのか、全体的に空いている。
 映画の内容とも関係あるのだろう。年配者ばかりである。若年者はいない。
 多くは、ひとりで来ている。
 そうした中、ある年配男性は独り言を繰り返し、かなり離れた席にいるにも関わらず、上映中も煩くて仕方がない。
 芝居にも、こうした人はいる。尤も、芝居の場合、中高年女性が連れと話していることがほとんどである。
 ところで、映画自体は、喜劇とのことだけれど、後半の中村屋演じる主人公が印象に残る。
 個人的には、中村屋はやはり歌舞伎役者であり、舞台での姿をいつも眺めているので、映像を通しての演技には戸惑いを感じた。
 また、話題のひとつとして落語を絡めているものの、まず、聴かない人には分からないだろう。
 知っている人には、そこも楽しめると思われる。
(第千五百四十三段)
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by akasakatei | 2007-11-21 19:35 | 文芸 | Comments(0)