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伊賀養老旅養老(かんなづきしんせんめぐりようろう)

 養老鉄道は、十一時四十五分発である。
 その間、桑名を歩く。風邪気味のため、あまり食欲がなく、代わりに、噂に聞く和菓子屋を探す。
 余裕を見たつもりだったものの、結局は、土地を知らないため、発車間際となってしまう。
 車窓は、駅間が長く、山中である。
 途中、高校生が結構乗って来る。
 大垣には、十二時五十九分に着く。
 揖斐へは、乗り換えなければならない。
 次は十三時十九分である。
 ホームには、高校生が溢れている。
 揖斐、十三時四十三分着。
 ここで帰りの切符を買おうとして、気になったことがある。
 休日フリー切符の案内が張られている。
 大垣では見なかった。
 こうした末端区間で宣伝し、入口となる桑名でなかったのはどういう理由か。
 旅行者より、地元の人のためか。何れにしろ、理解に苦しむ。
(第千五百二十二段)
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by akasakatei | 2007-10-31 15:02 | 余暇 | Comments(0)

伊賀養老旅関西(かんなづきしんせんめぐりいどう)

 伊賀鉄道は営業キロ十六・六キロしかないにも関わらず、全線を直通する列車がない。
 次の列車は八時四十二分発である。伊賀上野までは、七分である。呆気ない。
 四十九分、伊賀上野着。
 八時五十四分発の関西本線に乗り換え、桑名へ向かう。
 ここも接続に気を遣ったところである。
 特に、第二土曜は保守工事のため、日中、亀山から加茂を運休する列車がある。
 学生時代に、この線に乗った時は国鉄型の気動車だったけれど、今は軽快な気動車である。
 ただ、車窓は変わらない。
 九時三十六分、亀山着。十時十三分発の電車に乗り換える。
 亀山から先は電化されている。
 景色もかなり異なる。
 非電化区間は、本当に山中との感じであった。
 桑名に、十時五十六分着。
(第千五百二十一段)
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by akasakatei | 2007-10-30 14:59 | 余暇 | Comments(0)

伊賀養老旅伊賀(かんなづきしんせんめぐりいが)

 近鉄の名古屋発の特急で、伊賀神戸に停車する本数は少ない。これだと、七時五十二分に着く。
 早朝にも関わらず、途中より、結構乗って来る。
 定刻、伊賀神戸に到着する。
 伊賀鉄道は、七時五十三分発である。一分しかない。
 今回、計画段階でも、この点は気になった。
 近鉄時代は、五十四分発だったため、未だ余裕があった。
 仮に、伊賀鉄道の切符をここで買う必要があるなら、かなり慌ただしい。
 同時刻には、伊勢中川方面の急行も到着する。接続時間が短いと、列車の遅れにも繋がる可能性がある。ダイヤ改正時は再検討すべきだろう。
 実際は、誘導員が数名おり、最後の客が買うまで発車はなかった。
 車内は、高校生で混んでいる。試験中なのだろう。日本史と古典を勉強している。
 八時二十三分、上野市着。ここで、伊賀上野方面は乗り換えなければならない。
(第千五百二十段)
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by akasakatei | 2007-10-29 14:55 | 余暇 | Comments(0)

伊賀養老旅出発(かんなづきしんせんめぐりたびだち)

 十月十二日、東京二十三時十分発「ムーンライトながら」へ乗る。
 生憎、前日から、最近の寒暖の差により風邪気味である。この体調での夜行は辛い。
 ならば、夜行を使わなければ良いところだけれど、使わないと日程上、待ち時間が多くなる。
 この旅の目的は、十月一日に近鉄から切り離され、新たに生まれ変わった伊賀鉄道、養老鉄道に乗ることである。
 距離的には、東京より近いものの、この両鉄道に乗ろうとすると、日帰りだと、丸一日を使うことになる。
 逆にいえば、近鉄が切り離すほどの列車本数しかないということである。
 それに加え、、特に、伊賀鉄道の接続駅まで行くのが大変なこともある。これも本数が少ないためである。
 今回、計画を立てる際、苦労した点である。
 名古屋六時七分着。
 近鉄に乗り換える。
 六時三十分発の特急である。
(第千五百十九段)
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by akasakatei | 2007-10-28 14:52 | 余暇 | Comments(0)

大向裏(しばいはごらく)

 先に、国立劇場へ行ったことに触れた。席は三等席の最後列で、出入口のすぐ脇であった。
 ここで気になったことがある。
 それは出入口近くに立ち、役者の屋号を掛けていた人がいることである。手を動かす度に、影が気になる。
 こうした人達は、ある筋によれば、組織を作っているという。見せ場では屋号を掛け、芝居を良くしようとしているとのことである。また、変なところで屋号を掛ける人には止めるように注意するらしい。
 正直、困惑する。
 芝居は個人が自由に楽しむものである。見せ場が詰まらない場合もある。個人的に面白いと思うところは異なるはずである。
 また、こうした前に、他の観客に対し、観劇の邪魔になっていることが分からないのか。
 それに、この種の人達は、見せ場の時間を見計らい客席に入り、出たりする。芝居そのものを楽しんでいるとは思えない。
 プロ野球における外野席の応援団のようなものの、芝居は芸術よりも、娯楽である。ここに、その行動を厳重注意したい。
(第千五百十八段)
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by akasakatei | 2007-10-27 20:09 | 文芸 | Comments(0)

上方若高麗(うぐいすばなし)

 国立劇場へ十月の歌舞伎を観に行く。
 独立行政法人になって以降、国立劇場は訪れる度に変化していく。今回から開演が三十分早くなった。
 演目は、『平家女護島(俊寛)』と『昔語黄鳥墳(うぐいす塚)』である。高麗屋が演じる。
 それにしても、今月は、都内の三箇所の劇場で『平家女護島(俊寛)』が行なわれる。
 国立劇場での『平家女護島(俊寛)』の特徴は、「鬼海ヶ島の場」の前に「六波羅清盛館の場」を付けたことである。
 珍しいものである。尤も、その分、演じられた回数が少ないこともあり、洗練されていない面もある。
 反面、「鬼海ヶ島の場」は洗練されており、その差を感じる。
 もうひとつの演目の『昔語黄鳥墳(うぐいす塚)』は、復活狂言である。大劇場での上演は昭和四年以来で、最近、上方芝居に力を入れている若き高麗屋が好演する。
 劇中、鼓、太鼓、謡も見せる。
 復活狂言としては良かった。
(第千五百十七段)
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by akasakatei | 2007-10-26 20:05 | 文芸 | Comments(0)

角界大騒動(けっきょくしんそうは)

 日本相撲協会が、監督庁の指示による調査の結果、急死した力士が所属した部屋の親方に対する処分は早かった。
 一週間ほどであった。
 本当に、調査したのか。
 この間、別の部屋でも騒動があった。
 一連の騒動で、まず思うのは、金属バットの存在である。問題の親方によれば、日常的に使ってはいなかったという。ならば、何故あるのか。
 親睦で野球でもしていたのか。ならば、グローブやボールの存在はどうなのか。
 また、名門部屋ということだけで、解散しないのかどうか。忍びないらしい。世間は納得するか。
 どうも見ている限りだと、独特の体質と分かる。
 何れにしろ、継承する親方は苦労するであろう。第一、その名を聞いて、新弟子が入門してくるのか。
 疑問ばかりが並ぶ。
 理事長は、相変わらず、自らの責任はないとの立場で、急な変化は期待出来そうにない。
(第千五百十六段)
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by akasakatei | 2007-10-25 15:56 | 文芸 | Comments(0)

故郷情景地(あかさかふどきとち)

 先日、本屋へ行ったところ、明治の東京における地図を見掛ける。
 それによれば、故郷のあった場所は「梅」となっている。
 恐らく梅林でもあったに違いない。
 先に住んでいた御家人が残したものか。とすれば、梅で稼いでいたことになる。
 また、「水」ともある。これはかなりの面積となっている。
 水溜り、それとも池があったのか。
 家人に確認すれば、先の戦争中、二十センチも掘ると、水が溢れてきたという。
 埋め立てたのだろう。そういえば、かなり地盤が弱く、裏でホテルの建設が始まると同時に、地盤沈下が起きた。
 そういえば、出身小学校でも、校庭を掘り返したところ、元は埋立地だったようで、小船が出て来たと聞いた記憶がある。
 ただ、江戸では、ここも旗本、御家人がいたところで、明治になると同時に、変わったのか。
 その辺りが今ひとつ分からない。
 歴史の面白いところである。
(第千五百十五段)
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by akasakatei | 2007-10-24 13:55 | 地域 | Comments(0)

都遠路(とおきこきょう)

 地元の氏神の秋祭りへ行く。
 市内にはいくつか神社があるものの、ひとつを除き、神主はいな
い。
 このため、祭りには、ひとりしかいない神主が呼ばれることにな
る。
 だから、各神社で祭りの日程が調整されている。
境内は、普段でも静かである。祭りの時、神輿、出店なども出る
けれど、逆に侘しさが増す感じである。
 境内を後にし、これまで通ったことのない道を散歩する。
 柘榴が実った庭がある。最近では、植えていること自体が珍しい。暫く、立ち止まる。
 人がようやく擦れ違えそうな路地を見付ける。驚いたことに飲み屋が並んでいる。何れも門口の狭い店である。
 そこを抜けると、駅前の見慣れた風景が広がる。
 土曜の午後にも関わらず、歩いている人は少なく、地方都市へ来た錯覚を覚える。
 改めて、都落ちしたことを実感する。
(第千五百十四段)
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by akasakatei | 2007-10-23 13:51 | 地域 | Comments(0)

鹿乃子(かしめぐり)

 十月の和菓子は何にするか迷う。
 栗の季節である。ならば、それを使ったものか。
 店へ行ったところ、鹿の子がある。餡玉の上に栗を乗せたものである。
 これまで、鹿の子は数えるほどしか食べたことがない。
 これは、餡ならば漉し餡を好むため、潰し餡や餡玉にはあまり手が伸びないからに他ならない。
 だけれど、あまり食べたことがないものを食べるのも悪くはない。
 餡玉が歯に当たる感触は悪くない。
 川柳では、このような餡玉を釈迦の頭と詠んだものもあるらしい。
 言われれば、なるほどと思う。
 それしても、季節の移ろいの早さを感じる。この間、花びら餅を食べたと思っていたのに、もう栗の声を聞くようになった。
 こうした流れは、季節のはっきりしている我が国特有のものである。
 無常を感じる。
そうした一方で、和菓子を食べる時、これが何気ない日常の幸福とも思う。
 無常だからこそ、それらを大切にしたいのかもしれない。
(第千五百十三段)
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by akasakatei | 2007-10-22 22:10 | 余暇 | Comments(0)