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江戸生(えどのはんい)

 江戸っ子は三代続いて江戸に住まないと、江戸っ子ではないと言われている。この場合、父方は勿論、母方にも求められる。
 そうした一方、江戸っ子は成るものという人もいる。
 ただ、生まれながらの雰囲気だけは、身に付けられないのではない。例えば、歌舞伎役者も、役者の家に生まれた否かにより、その雰囲気はかなり異なる。
 こうなると、なかなか江戸っ子には巡り合わない。
 家についてもそうである。代々江戸に住んでいたものの、祖父の代で、祖母は小岩の出身、母は東京ではない。
 小岩は、今でこそ、下町という人もあるけれど、印象的には田舎である。子供の頃、何かの折りに行ったところ、淡水に棲息する蟹さえいた。
 正直、かなりの田舎に来た思いを子供心にも持った。祖父も、小岩から連絡があった時、「田舎から連絡があった」と言った。
 そうした感じだから、今の下町の範囲には疑問を持つ。山手も同様である。
 時代により変わるとの意見がある。それは東京を知らない人間である。昔から区内に住んでいる者は、大江戸線より外側は郊外との感覚が強い。
(第千百八十七段)
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by akasakatei | 2006-11-30 20:50 | 地域 | Comments(0)

顔見世狂言(しばいのたのしさ)

 顔見世狂言が歌舞伎座で行なわれている。昼の部に行く。
 今回、行くつもりはなかったものの、家人の知人が行けなくなったため、チケットが手元に届いた。
 このチケットは地元で開かれている歌舞伎講座で予約したものである。
 演目は、『伽羅先代萩』、『七枚続花の姿絵(源太・願人坊主)』である。
 江戸において、顔見世狂言は重要な年中行事である。誰もが関心を持っていた。この月に、これから一年間の顔触れが発表されたのである。
 今では、有名な役者が揃う意味合いが強い。
 実際、音羽屋、松嶋屋、成田屋、大和屋らが顔を揃える。
 印象に残るのは、音羽屋と松嶋屋である。安定感がある。
 また、成田屋は、闘病後、本格的に復活する国崩しの役である。ただ、個人的には、成田屋へのイメージは悪人を捌くことと思っている。
 何れにしろ、何度も上演されるだけあり、改めて歌舞伎の素晴らしさを知る。
(第千百八十六段)
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by akasakatei | 2006-11-29 20:50 | 文芸 | Comments(0)

味条件(はいりたきみせ)

 年々、酒が弱くなっていくことは、前にも触れた。食も同様である。
 こうしたため、食は兎も角、飲む気がまず起きない。
 旅に出ても、飲むことはない。
 飲もうと思うのは、本当に美味い料理があった時くらいである。それも和食でなければならない。洋食を前にしても、ただ食べるだけである。
 場所も問題となる。居酒屋へは行く気にもなれない。例えば、刺身など、注文する気にもなれないのは、衛生面が心配だからである。特に、バイトの多い店は心配である。
また、味付けが濃く、辛いこともある。察するに、酒の注文を増やすためだろう。
 それほど、飲みたくない者にとっては、迷惑な話しである。そうした味よりも、繊細な味を求めると、自ずと、店は限られる。
 酒は、料理を美味くさせるためだけにしか、口にしない。酔うつもりはない。
 他にも、条件として、禁煙が重要である。
(第千百八十五段)
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by akasakatei | 2006-11-28 21:06 | 余暇 | Comments(0)

美言葉(きえしさだめ)

 我が国には、特有の色がある。その種類は豊富であり、日常的にそれを使っていた時代、その精神的な豊さを感じることが出来る。
 残念ながら、今日、専門家以外に、それらを区別するのは難しいだろう。
 古き良きものが失われていく。
 言葉も同様である。
 最近の小説は、読んでいて、横文字や流行語が多く、果たして、将来、残るかは疑問である。
 古典や近代文学で、今日まで、読まれているものを見ると、文そのものが美しい。
 読んでいて、安心する。
 これらの多くは、物語性ではなく、文そのものだけで、読む気を起こさせる。
 反面、現代文学のほとんどは、内容を競うだけで、読み終わると、疲れる。これは、先にも書いた通り、耳慣れない言葉を使うためである。
 教科書にも、そうした作品が採用され、我が国の国語力は、益々衰えていく。
(第千百八十四段)
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by akasakatei | 2006-11-27 19:24 | 文芸 | Comments(0)

狂育者(おかしなじんしゅ)

 教育に関し、再生が言われている。特に、公立における再生は急がれる。果たして、上手くいくのか。
それに集まった顔触れや政治家の子息などを考えた場合、公立へ通わせている人は少ないだろう。そのためか、本気で議論している感じはなく、一種の形と思える。所詮は、他人事なのだろう。
何れにしろ、自ら、公立の教育は悪いと言っているものである。 理由を考えれば、簡単なことで、教師が教育について、情熱を傾けず、保身に走るからである。
 連日、公立学校について、報道されている。見ていると分かるけれど、教師の発言が逃げてばかりいる。
 尤も、事件の発端における原因を探れば、加害者が一番に悪い。これに言及する報道がないのは疑問である。
 傷害罪として、訴えることも出来るはずである。
 加害者の保護者は、こうした子供を育てているくらいの人間だから、常識的に話しても解決はしない。痛い思いをする必要がある。
 警察を介入すれば、その重大さが認識出来るに違いない。
 今の時代、子供を持つこと自体、まず考えなければならないことである。不幸にしてしまう可能性さえある。
(第千百八十三段)
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by akasakatei | 2006-11-26 15:40 | 教育 | Comments(0)

公教師(ほしんへはしり)

 先段の続きでいえば、教師も同様である。最近の報道を見ると、特に、公立ではそれが目立つ。私立が目立たないのは、報告義務がないからだろう。
 ここでは、公立を中心に考える。
 公立の世話になったのは、幼稚園から小学校までである。大学を目指す者は、地元の中学には進学しなかった。レベルが低いとされていた。
 これを考えてみると、確かに、幼稚園から小学校までの教師について思い出せば、良いところを褒める代わりに、クラス全員の前で、晒し者にする印象が強かった。
 また、毎年、クラスで問題が生じていた記憶がある。特に、最悪だったのは、中学年だった頃である。この時の担任に関しては、前にも触れた。
 思うに、公務員ということもあるけれど、事勿れ主義の教師ばかりであった。本当に、子供を考えて、指導していたのかは疑問である。いつも保身のため、保護者の目ばかりを気にしていた様子である。
 今からすれば、よくあの環境にいたとも思える。察するに、地元の中学もこのような調子に違いなく、その進学先が分かるというものである。
(第千百八十二段)
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by akasakatei | 2006-11-25 21:29 | 教育 | Comments(0)

生業由(しょくのせんたく)

 ある知り合いの中小企業の元社長と話す機会があった。元、としたのは、今は会社が破産しているからである。
 元社長によれば、管財人に全てを任せ、処理が終わり、暫くして、法人名義のゴルフ会員権が見付かったという。これについて、連絡したところ、「私は聞かなかったことにするから、誰かに相談するように」と言われたとのことである。
 ここで不思議なのは、何故、管財人は何もしようとしなかったのか。また、元社長が相談したのだから、誰かではなく、自分で手を貸すのが筋なのではないのか。
 察するに、この管財人、つまり、弁護士は裁判所への印象が悪くなることを恐れたに違いない。
 弁護士とは、困っている人を助けるのが生業だと思うのだけれど、最近では、そうでもないようである。事例そのものに人間が絡んでいることを忘れ、物として扱っていることが目立つ。
 これは、報酬や学生時代だけの成績で、仕事を選んでいるからだろう。同様のことは医師にも見られる。そこでも、患者はただの物体として扱われる。
(第千百八十一段)
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by akasakatei | 2006-11-24 20:49 | 産業 | Comments(0)

富士憧(ふじしんこう)

 地元では、晴れた日には富士が見える。尤も、通勤時、自宅と駅の関係でいえば、歩く方向が反対のために、目を向けることは少ない。
 夕方、傾く日を受ける富士は美しい。これもまた、帰宅時には日が暮れているため、見ることはない。
 江戸では、どこでも富士が見えたという。故郷では、戦後すぐまで見られたらしい。
 今や、あちこちに高い建物が出来、見晴らしが悪い。空が狭い。
 そういえば、小学校低学年の頃、版画で、富士を作った。特に、題の指定はなかったけれど、どうして、富士にしたのだろうか。
 これまで、富士に登ったことはない。町中にある人工富士だけである。それも大人になってからである。こうなると、無意識ということなる。
 考えられるとすれば、江戸の血か。代々江戸に住んでいたため、その影響しか思い当たらない。
 時々、新幹線に乗っていても、富士が見えると、過ぎ去るまで富士を眺めている。
(第千百八十段)
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by akasakatei | 2006-11-23 21:34 | 地域 | Comments(0)

元禄事件二(ちゅうしんぐらにぶ)

 国立劇場へ観劇に行く。
 『元禄忠臣蔵』の第二部である。今月は「伏見撞木町」、「御浜御殿綱豊卿」、そして「南部坂雪の別れ」である。大石を演じるのは山城屋である。
 今回、演じられる場面のうち、「御浜御殿綱豊卿」と「南部坂雪の別れ」は以前に観たことがある。人気の場面でもある。華やかさがある。
 ところで、これらのうち、「南部坂雪の別れ」は故郷を舞台とすることもあり、特に気になる。
 芝居では広い坂に思われるものの、実際に訪れると、そうでもない。片道車線である。気付かないと、通り過ぎてしまう。
 事実、子供の頃に何回も通ったけれど、南部坂と知らなかった。後で知り、意外な感じさえした。
 この場面において、山城屋は、花形役者の松嶋屋とやり取りを行なう。今朝、敷地内で、松嶋屋はスチール写真を撮られていた。こうした場面を観たのは初めてである。
 つい注目してしまう。
(第千百七十九段)
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by akasakatei | 2006-11-22 20:54 | 文芸 | Comments(0)

心動感(ひとはものではなく)

 出戻りに関する話しの続きである。
 同様のことは、一般の企業にもある。
 例えば、ある中小企業に勤める知人によれば、結婚して辞めた女性が、数ヶ月後に離婚したので、戻りたいと言ってきたという。この女性を甲とする。
 この甲は経理を担当していたらしい。
 これに関し、社長は、甲を受け入れ、経理に戻したとのことである。
 ここで問題となるのは、甲が戻って来たばかりに、甲が辞めた後に経理を担当するため雇われた女性、乙である。
 会社としては、全く異なる部署に異動させようとしていたらしいものの、結局は、退職したとのことである。
 話しによれば、乙の仕事が劣っていたわけではなく、容姿で決められた節があるみたいである。
 こうした事例を見ると、従業員はやる気をなくすものである。会社側の姿勢に従業員は敏感である。従業員に不信を持たせてはならない。
(第千百七十八段)
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by akasakatei | 2006-11-21 20:53 | 産業 | Comments(0)