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中学受験生(かいとうへのまなざし)

 ある大きな駅より、中学受験の模試の帰りと思われる親子連れが何組か乗って来る。
 模試と分かるのは、回答を手にしているからである。どの子供を見ても、真剣にチェックしている。話しをする親子はいない。
 隣りに子が座ったので、どのような問題かと思えば、算数は数字ばかりのため、回答からは判断出来ない。
 分かったのは、理科と社会である。
 理科は光合成や二酸化炭素の語が並ぶ。
 社会はどういう問題だったのか、リストラとある。
 かつて中学受験をした者として、模試も受けたけれど、問題の記憶はない。また、後で答え合わせをしたこともない。第一、願書を担任に書いて貰うまで、受験校さえ知らなかった。
 これからも分かる通り、親はどうか知らないけれど、本人はそれほど熱心ではなかった。
 そのような状態だから、こうした子供を見ると、どのように教育されているのかと思う。
 ただ、子供への負担にならないことを祈るばかりである。
(第千百五十七段)
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by akasakatei | 2006-10-31 21:53 | 教育 | Comments(0)

鍵業界(ぶっそうなよでは)

 地元において、個人で商売をしている鍵屋に来て貰う。
 作業を眺めていると、木を削る音や段取りなど、全く飽きない。
子供の頃に側で眺めた祖父の仕事を思い出す。
 作業が終わり、茶を飲みながら、話しをすると、なかなか面白い。
 例えば、駐車違反とされた車に付けられる金具を切ってくれという客がいるかと思えば、一方では、手錠を外してくれというのもあるという。
 また、ひとり暮らしの老人宅では、連絡が付かないため、親戚から開けてくれるように依頼され、開けると、中で倒れており、何件か経験しているとのことである。
 こうした中、世の中が物騒になるに従い、鍵が頑丈になり、壊すのも大変らしく、泥棒が何食わぬ顔で依頼しに来るので、そちらも気を付ける必要があると話す。
 業界でも、各種の資格を定め、その勉強も欠かせないようである。
 主人によれば、信用が第一で、合鍵を依頼された客に、「他に合鍵を持っているんじゃない」と問われた時が辛いと語る。
 何れにしろ、このような話しは勉強になる。
(第千百五十六段)
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by akasakatei | 2006-10-30 21:07 | 産業 | Comments(0)

音楽町(かわるまち)

 一年振りに隣りの駅まで歩く。
 通勤と逆方向のこともあり、訪れる機会がない。歩いても十分も掛からないのに、足を向けなかったのは、それだけ、休日を自宅で過ごすことがなかったからに違いない。
 知らない間に、寺の山門を修復している。
 また、商店街をリバーサイドモールと名付けている。店も一部変わっている。
 学生時代、金はなくても暇はあったから、休みの度に市内を歩いた。その頃と比べ、大きく変わった。
 やはり、鉄道が複々線で高架化されたことが大きく、マンションをあちこちで見るようになった。更に、駅前には商業施設やホールも出来た。
 結果、個人商店は減り、人と人との触合いを築くのは難しくなった。
 正直、暮らし易くなったのかは疑問が残る。
 今、地元は音楽の町を目指している。分かり難いけれど、地元の中学における合唱部が二年連続して全国大会の出場を決めたことを考えると、それに向かっているのだろう。
(第千百五十五段)
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by akasakatei | 2006-10-29 08:59 | 地域 | Comments(0)

石橋美術館(げんだいびじゅつてん)

 美術館の招待券を貰う。
 仕事場近くにあるブリヂストン美術館のものである。
 「プリズム:オーストラリア現代美術展」を行なっているという。
 これまで、同美術館に行ったことはない。関心は薄い。浮世絵や江戸関係ならば、足を運ぶものの、洋画はわざわざ行こうとは思わない。これは映画でも同様である。
 そのような気持ちで館内に入る。
 常設展では、教科書で見たような絵が何点かある。こうした知った絵があると、安心するのは何故だろうか。
 一方、今回の特別展では、ただ眺めるばかりであった。
 感心したのは、警備員の多さである。彼らとしばしば目が合う。
 また、床は絨毯敷きで、靴の踵が壊れていることに気付く。未だ、一年も経っていない。
 それにしても、改めて、個人的には西洋趣味でないことを知る。これは、例えば、日本人画家が画いたとしても、油絵などの西洋の技法を使ったものならば、それだけで、興味が半減すると思われる。
 これは音楽にしても同様であろう。
(第千百五十四段)
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by akasakatei | 2006-10-28 21:50 | 文芸 | Comments(0)

武蔵五日市(こうかよりのふうけい)

 武蔵五日市が高架化されて、随分となる。
 そこを訪れたのは八十八年である。鶴見の所長と一緒に、大学の帰りに行ってみた。
 当時は、貨物用の側線があった。山里らしい雰囲気があった。
 十月二十一日、久し振りに五日市線に乗る。
 車輛も置き換えられ、土曜の午後ため、高校生もいる。
 意外に乗車率は良い。それにしても、今回、東京から青梅行きに乗り、拝島で乗り継いだ。東京から一時間強である。
 なかなか乗り出がある。
 五日市線に入ると単線になる。
 車輛は、中央線の通勤区間を走っているものなので、車内にいる分には日常の感じさえする。
 反対に車窓はそうでもない。踏み切りではボンネットバスが待っているので、改めて、山里を認識する。
 このまま、以前のホームに入れば何とも思わないのだけれど、到着は高架ホームである。コンビニもあり、ここだけ、場違いな印象を受ける。
(第千百五十三段)
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by akasakatei | 2006-10-27 21:37 | 余暇 | Comments(0)

学校怠敗図(こうしんせいのはいけい)

 プロ意識の続きである。
 競馬界において、ある馬より禁止薬物が見付かったという。フランスのレースにおいての出来事である。関係者は、我が国と外国との違いを参加させる以上、知っておくべきことだろう。
 それにしても、この事件に関し、誰もがこの馬の名を知っているのに驚いた。
 馬は食べるものと考えている者にとって、意外である。 
 先日、自殺した福岡の中学生の遺書にも残されていた。
 そういえば、この事件に関しても、通っていた学校の担任や校長、そして教育委員会もプロ意識がない。
 これは北海道も同様である。ここでは呆れたことに隠蔽をしていた。
 思うに、保身に走っているのだろう。志を忘れているから、過ちをする。
 教育界は、総じて、世間知らずが多い。世の中の動きに疎い。
 何れにしろ、プロ意識が欠如している者には、安心して任せられない。
(第千百五十二段)
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by akasakatei | 2006-10-26 21:27 | 教育 | Comments(0)

玄人技(なんのためのそしきか)

 プロ意識の欠如が目立つ。
 例えば、鉄道における運転士の技術が低下していることは前にも触れた。運転の下手さを車輛の性能の悪さという。
 他の例としては、先日、あるA社の担当者に連絡を入れた。連絡するのは久し振りである。
 その時、ある事実を知る。担当者のいた部署は組織改変でなくなり、担当者もどこに移ったのか分からない状態であった。調べて連絡するとのことであったが、未だに連絡がない。尚、この会社には以前にも同様のことがあった。
 また、B社の場合もA社と似たケースである。こちらは、まず、見積もりを依頼するため、サポートセンターに連絡した。その際、担当営業より連絡を入れるとのことであった。
 ところが、一週間待っても連絡がなく、再度、連絡すれば、すぐに入れさせるとのことであった。一般的には、これで連絡が入るのだけれど、驚いたことに、この後にこれを数回繰り返す。結局、ひと月近くも掛かる。
 この両方の例より分かるのは、顧客を無視していることで、その後の対応も悪い。これでは顧客離れに繋がる。その意識さえないようである。
(第千百五十一段)
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by akasakatei | 2006-10-25 21:23 | 産業 | Comments(0)

浅文葉化写(いりぐちさえみえぬ)

 妊婦が分娩中に意識を失い、亡くなる事件があった。これに関し、他の病院が受け入れを断ったという。また、主治医の診断ミスも指摘されている。
 一般的に、医者は基礎医学を学んでいるはずだから、分かりそうに思うけれど、実際には、専門化が進んだ結果、例えば、内科でも、臓器によっては全く知識が欠けているようである。
 こうなると、自分がどこの科に行けば良いのか迷う人もいるに違いない。かつてのように、町医者の門を叩けば良いというわけではない。
 思うに、専門化が進み、医学は進歩したと思われる。ただ、そこには患者への配慮はない。医学界だけの都合しか見えない。これは、プロ意識の低下ともいえる。
 同様のことは弁護士でも見られ、相談内容によって事務所を選ぶ必要さえある。
 正直、不親切に思える。大体、探すとしても、限度がある。
 改めて、暮らし難いと考える。複雑化した社会を進歩と考えてはならない。我々が知らないところで、何が行なわれているか、分かったものではない。
(第千百五十段)
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by akasakatei | 2006-10-24 20:55 | 産業 | Comments(0)

故郷情景行商人(あかさかふどきものうり)

 昭和五十年代頃まで、故郷では、江戸のように様々な商人が町を訪れた。魚屋、豆腐屋、八百屋、おでん屋などである。商店に行かなくても、その日の食卓を用意することが出来た。
 そうした中、印象に残っているのは、花屋と石油屋である。どちらも、定期的に家へ来た。花屋は仏壇があることもあり二週間毎、石油屋は、ストーブの季節であった。
 今では、見掛けない。ただ、超高齢社会の今こそ、こうした商売は喜ばれるのではないか。
 超高齢社会といえば、医師との関係も忘れてはならない。どういう理由か、最近では往診する医師をあまり見ない。問題だろう。
 また、檀家を訪れる僧も少ないようである。宗教関係では、反面、新興宗教の勢力が伸びているという。
 何れにしろ、地域の結び付きが弱まり、かつてなら、町内にある余所の家族の情報を誰もが知っていたものである。それが今、他人に対し無関心な人間ばかりが増え、おかしな方向へ社会が向かっている。
 住み易さをもう一度考える必要がある。
(第千百四十九段)
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by akasakatei | 2006-10-23 20:52 | 地域 | Comments(0)

若人軍(げんじつみをおびた)

 現代では、不思議なことに格闘技を好む人間が多い。血を見て何が面白いのか。
 察するに、それだけ、動物的な人間が増えたのだろう。教養があれば、まず、好まないものである。
 大学全入時代となり、学校を選ばなければ、誰もが進学出来る。極端な話し、勉強しなくても良いのである。
 当然ながら、学力は低く、大学のレベルは下がるばかりである。恐らく、今の学生はかつての高校生レベルではないのか。
 入試科目が少なく、それで、大学の勉強に入っていけるのか疑問である。
 また、外見も乱れ、髪を染め、ピアスなどをしている。どこの部族かと思ってしまう。
 これは、教養がないこととも関係がある。
 本人からすれば御洒落かもしれぬが、そこには我が国における文化が忘れられている。情けない限りで、許している親の顔を見たいほどである。
 こうした若者らを自衛隊に入れ、鍛える話しをよく聞くけれど、世間を考えもしないのだから、悪くはない。丁度、北朝鮮の核実験で、人手不足も考えられ、俄かに現実味を帯びてきたといえよう。
(第千百四十八段)
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by akasakatei | 2006-10-22 11:52 | 教育 | Comments(0)