<   2006年 09月 ( 30 )   > この月の画像一覧

町景色(ついていくのもたいへんな)

九月二十四日、元住吉が高架化された。
 早速、訪れる。この日は、特別ダイヤのようで、暫定的な時刻表が掲示板に張られている。
 普段、東横線は利用することも稀な線である。どう変化したのかは分からないけれど、新しい駅は、今までとは異なりホームひとつ分ほど、横浜寄りになっている。
 最近、東急では地下化や高架化が盛んに行なわれている。
 町のイメージも変わるだろう。
 これについて、例えば、地元で考えれば、まず、個人商店が減った。
 そうした中、行き付けの床屋は、看板のスイッチを入れ忘れても客が来る。これは普段より、客とコミュニケーションを取っているからだろう。
 先日、散髪しに行けば、コーヒー三杯とドラ焼き、それに栗ご飯をご馳走になった。栗は、畑で獲れたものという。
 このようなことは、十分千円の店では考えられない。土日に前を通る度、行列が出来、中には、年配の女性もいる。懐か、若しくは忙しいのか、変われば変わるものである。
(第千百二十六段)
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by akasakatei | 2006-09-30 21:32 | 地域 | Comments(0)

神宮秋(たかきそらに)

 秋晴れの日、神宮へ大学野球を観に行く。勿論、母校の試合である。
 春同様、外野席である。
 正直、ここは試合を観ている感覚に乏しく、何だか、内野が煩いという感じである。
 夏に、毎年一回は訪れる神宮での高校野球の予選に来ることが出来ず、その代わりに来た感もある。
 外野より母校の応援席を見れば、春よりは活気がある。それでも、物足りなさはある。
 試合は、母校が苦戦する。エースの調子が悪く、また、打てない。
 こうなると、ただ、眺めているだけで、回が進む。
 それにしても、どうして、球場に足が向くのか。
 在学中は、土日に講義がなかったにも関わらず、応援に行ったことはない。自宅から神宮まで、四十分ほどで遠かったわけではない。
 察するに、懐かしさが第一だけれど、誰かに会ったことはない。それでも、行くのは不思議である。最早、勝敗はどうでも良く、若さが羨ましいのかもしれない。
(第千百二十五段)
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by akasakatei | 2006-09-29 21:27 | 余暇 | Comments(0)

母校文化祭(さいごのぷらたなす)

 前に、来年より、通った中学高校が移転し、校名が変わることについて書いた。
 その最後の文化祭があり、訪問した。この機会を逃すと、もう入れそうにもない。
 在学中同様、相変わらず、来ているのは女子高生が多い。次に、目が付くのは、来年受験するであろう親子連れである。
 だけれど、今回、目を引くのは卒業生である。数人連れである。やや場違いな感もある。
 恐らく、他人からはそう見られているに違いない。入口で貰ったパンフレットで出し物を確認すると、ゲームや演劇系統が多い。それらには関心もなく、クラブ関係を見ると、何と少ないことか。六つしかなく、展示はほとんどない。そうした中、グラウンドで、硬式野球部が招待試合をするという。後で、訪れることにする。
今、校舎を歩くと、意外に狭く感じる。それにしても、歩いていて疲れる。
やや離れたグラウンドに向かう。試合をしているのかと思えば、張り紙があり、都合で中止とある。秋季大会の関係か。
何れにしろ、好い加減さは健在のようである。
(第千百二十四段)
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by akasakatei | 2006-09-28 20:50 | 教育 | Comments(0)

故郷情景公担任(あかさかふどきおしえ)

 小学校では、三人の担任に出会った。低学年、中学年、高学年の各々二年を教わった。
 印象に残っているのは、記憶が鮮明な高学年だった頃である。
当時の担任が車の免許試験について触れた。
 現在の試験における欠点は、適当に答えた人間が車を運転することへの批判であった。本来的な意味での大人がいないと言っていた。
 この点は、両親も言っていたことで、納得して聞いていたことを覚えている。
 中学年の担任は女性だった。覚えているのは、体罰とその家が電化されていないことで、洗濯も洗濯板で行なうと聞いた。それにしても、この体罰は中国での文革の影響を感じるものであった。
 低学年時では、警察の話しで、留置場の居心地の悪さを語っていた。
 振り返れば、中学年以外では、悪いことをしないよう、担任が伝えていたことが分かる。
 にも関わらず、級友らの顔を見渡せば、効果は薄かったとしか思えない。
(第千百二十三段)
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by akasakatei | 2006-09-27 21:00 | 教育 | Comments(0)

伝統道(もとめられるもの)

 最近、大相撲における土俵外の問題が目立つ。
 先場所、取り組み後、負けた外人力士が報道陣を殴り、今場所もまた、幕下で元十両力士が対戦相手の力士に暴力行為をした。
 相撲は伝統文化である。そこには、前にも触れた通り、抑制の美学があるはずである。
 こうしたことが起きるのは、うまく継承されていないためだろう。
 特に、元十両は最古参力士である。この間、土俵より何を学んだのか。
 尚、この力士の所属する部屋には、外人大関がいる。この大関も、今場所、取り組みで、かばい手を知らず、勝負に対し、不満を洩らした。
 番付に外人や学生出身者が目立つけれど、このように考えていくと、将来における相撲は不安しか見えない。伝統文化の承継をどう考えているのか。
 相撲はスポーツではなく、神事である。まず、これを認識しないと、更におかしなことになるだろう。相撲には心、技、体が求められるけれど、心の欠けた力士が何と多いことか。
(第千百二十二段)
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by akasakatei | 2006-09-26 21:06 | 地域 | Comments(0)

車兵器(とわれるしかく)

 飲酒運転に関する報道が毎日のように行なわれている。
 本来、これは道徳の問題である。これほど、多いということは、それだけ、道徳のない人間が増えていることを指す。
 改めて、車について、町中を観察すれば、道徳が欠如している人間が何と多いことか。
 横断歩道を人が渡っているのに、停止もせず、三十センチくらいまで近付く車がある。もし、人が転んだ場合、どうするのか。
 また、信号のある横断歩道内にトラックを置き、荷物の出し入れをする大型の業務車がある。このため、人からは信号が見えない。それに、横断歩道に車があるため、人はそれを避ける必要がある。他の車に注意しなければならない。
 あまりにも、運転における他者への思い遣りのなさに呆れる。
 罪への厳罰化も良いが、免許の更新時に倫理を問う記述式の試験をするのも良いだろう。こうすれば、持つべき資格のある人間だけが残る。現在、資格のない人間が免許を持ち過ぎている。
 大体、現状の試験は、正誤式で、それこそ、適当にやっても、合格してしまう。人命が奪われるかもしれないのに、こうした試験方法はおかしい。全問を記述式にするくらいの改正を望む。
(第千百二十一段)
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by akasakatei | 2006-09-25 21:50 | 社会心理 | Comments(0)

薄寒鯛(だますのも)

前にも触れたけれど、インターネットでの情報を鵜呑みにする人間が増えているという。卒業論文でも、それを何の疑いもなく、引用するらしい。
ここには、疑いの目がない。
他人の書いたものは、言うまでもなく、その人の視線ではない。人により、考え方は異なる。
このような認識がないのではないか。
学問とは独自性が重要である。
これは、何も学問だけではない。ある事件や事故に対する見解も
同じである。
勿論、参考にするのは悪くない。ただ、それも何を参考にしたのかによる。
匿名の発信のため、インターネットの信憑性は薄く、参考にするには好ましくない。それならば、本の方が良い。その本も今の人は読まず、根拠なき情報に流されている人が目立つ。
簡単に信じることに、呆れる。目出度い人間が揃っているようである。
(第千百二十段)
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by akasakatei | 2006-09-24 10:55 | 情報 | Comments(0)

味時感(しょくのただしきあじわい)

食べたくなる店、食べたくない店に関して続ける。
刺身の延長上で寿司を考える。この場合は、店よりも、地域による。山間部や地方では、無理に食べたいと思わない。
また、地方ではよく、寿司、天婦羅、鰻などを兼任している店がある。これも匂いの面で、入りたいとは思わない。やはり、鰻は鰻、寿司は寿司と区別された店が良い。
区別されていても、回転寿司やチェーンの店には入りたいとは思わない。これはイメージだろう。
やはり、寿司は店主に握って貰いたい。鰻も同様である。
確かに、値段は高くなるものの、これらは雰囲気もまた楽しむものと考える。いくら安いからといって、戸を開けた時に冷却感を感じない寿司屋には違和感を覚える。
鰻もまた、注文してから、鰻を捌き、待つまでの間を楽しむものだろう。その間、漬物を相手に、酒を飲む。これは日本酒でなくてはならない。
こうした楽しみを忘れ、値段だけで店を選ぶ人間が多いけれど、これは味以外の楽しみを放棄しているに等しく、勿体無いことである。
(第千百十九段)
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by akasakatei | 2006-09-23 07:44 | 産業 | Comments(0)

新宿店合点(たべるよかん)

先日、用があり、新宿歌舞伎町付近を歩いた。日曜の昼間で、ふと空腹を覚え、食事をしようと店を探したものの、結局、入りたい店が見付からなかった。
この付近はそれほど好きではない。何かの集まりくらいでしか、利用しない。
理由を考えれば、居心地が悪いからで、それは人が多いこともある。夜ともなれば、得体の知れない格好をした老若男女が、どういう目的かは分からないけれど、何ともゆっくりと歩く。
健全な印象はない。
確かに、交通的には東京周辺から訪れるには便利かもしれず、それが、利用されるひとつの理由に違いない。
それでも、ひとりで行きたい町ではなく、むしろ、敬遠する。
大体、食事をしたくなる店がないのは致命的である。和食の店がないこと、また、実際には異なると思われるが、衛生的に入りたくなる店がないのである。
例えば、刺身を考えた時、そこで食べたくなる店、そうでない店がある。
こうなるとイメージの問題で、飲食店は気を付けなければならない。
(第千百十八段)
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by akasakatei | 2006-09-22 21:18 | 地域 | Comments(0)

嶽腐士(きょういくのば)

 小学校において、児童の教師に対する暴力が目立っているらしい。
 外出して、外で見掛ける子供を見ていると、まず、両親より注意されることは少ないようである。祖父母が一緒でも同様で、むしろ、甘やかされている感じである。
 こうした背景で考えると、例えば、学校で子供が悪いことをし、教師が叱ったとしても、家庭より文句を言ってくると想像される。
 教育には、家庭の協力も重要である。今の状態では、どのような大人が生まれるのか、怖いものがある。
 個性の重視や自己主張など、意味を取り違えている親が目立つ。
 教えて貰う者に対し、暴力を振るうとは、根本のところより、考え方が誤っている。
 授業中に、ジュースを飲む大学生が、一時、話題になった。学問や師に、失礼だとの思いがないのは、恥ずかしいことである。
 今後、更に質の悪い学生が増えるだろう。誠に、その価値も下がったものである。
 ある教授は、小学生並みのことを言わなくてはならず、最高学府の意味が分からなくなったということである。
(第千百十七段)
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by akasakatei | 2006-09-21 20:52 | 教育 | Comments(0)