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自宅休(きじょうにむかい)

 今年に入って、休日はどこかに出掛けていた。
 それが、先日、旅を取り止め、自宅にいたところ、気が弛んだためか、身体のあちこちが痛む。特に、膝は歩ける状態ではない。
 情けない話しである。
 尤も、気温差が激しく、最近、疲れ気味だったこともある。また、腰痛の痛み止めも服用し、いくら寝ても寝足りない状態だったなど、様々な原因がある。
 ただ、午前中はそうは思わないのだけれど、夕方になるにつれ、取り止めなければ良かったかなとの思いが強くなる。とはいえ、復調したわけではない。手持ち無沙汰なのである。
 時刻表を眺めながら、次の旅先を探す。
 名古屋、山陰辺りを頭に描く。
 JRを使って一回で行くか、若しくは、二回に分けるか。山陰は飛行機にするか。
 一泊二日で行こうとしているため、あまり日程を厳しくすると、辛いことになる。勿論、ダイヤが正常と考えれば、計算通りになるけれど、このところ、人身事故が続けて起き、また、飛行機は時間が読めない。
 目下、思案中である。
(第千六十五段)
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by akasakatei | 2006-07-31 22:16 | 余暇 | Comments(0)

疑安心(いつわりのことば)

 世間では挨拶運動をすれば、地域が健全化されると思っている節がある。
 先日も、母校より、朝の挨拶運動をするようになったという学報が届いた。
 これは疑問である。
 例えば、秋田で母親に殺害された女児がいた小学校では、挨拶運動をしており、それに関して、胸を張って、良い点を力説していた。実際には、大人に向かって、挨拶をしているその子供らが、被害の女児を虐めていたとの話しもある。
 「僕達、大人に対してはちゃんと挨拶をするよ。」とその本音が伝わってきそうである。
 挨拶とは、元々、強制されるものではない。その意味を考えた場合、色々と出て来るけれど、要は、コミュニケーションのひとつといえる。
 だからこそ、その意味を知らずに、行なっても意味はない。
 大人は、子供が挨拶しているからといって、安心してはいけない。根は違うところにある。
(第千六十四段)
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by akasakatei | 2006-07-30 20:45 | 教育 | Comments(0)

人類病(しへのみち)

 周囲でぎっくり腰が目立つ。
 先日は、職場の同僚が電話を取り、座ろうとした途端、腰を痛めた。早退し、一週間ほど寝込んだ。こういう場合、労災にはならないのか。
 また、家族では父が、そのために医者に行った。
 腰痛は人間特有のものらしい。
 会社の同僚は半身の格好で家路に着いた。それが楽だという。
 直立で歩くことは、人類の特徴なものの、あまりにも、不自然なため、腰痛の他にも、痔が人類特有の病気という。
 それは、死に繋がるものではないけれど、場所が場所だけに、医者にも行けず、多くの国民が悩みを抱えているようである。
 進化に伴い、出て来たものである。
 それらとは別に、最近では生活習慣病もある。自然界では餓死はあるだろう。その反対の贅沢による病はないと思われる。こちらは死に繋がる。
 こうなると、何を人類はしているのかと思う。謙虚な気持ちを持つべきである。
(第千六十三段)
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by akasakatei | 2006-07-29 09:21 | 福祉 | Comments(0)

人心冥(めいわくせんばん)

本来、今夜より夜行で旅に出る予定であった。北陸方面である。上野まで行ったところ、高崎線が人身事故で運転を見合わせていた。
 駅員に確認しても、どのくらい遅れて発車するのか分からず、結局、旅自体を断念する。
 迷惑な話しである。
 人身事故では、前日も、会社帰りに小田急が遅れ、急行の車内に閉じ込められた。こちらの場合、大きな蜂が飛んでおり、窓も開けられず、怯えて待つ。
 ここで疑問なのは、丁度、待たされたのは、日中や休日には急行も停車する駅である。一旦、ドアを開けるべきではなかった。
 漸く、それが分かったのか、発車間際に開いたものの、遅過ぎる感もある。
 ところで、払い戻しを済ませ、自宅へ戻る終電近くの車内で見たのは、目が血走り、潰れた人々の姿である。
 穏やかな雰囲気でない。
 多少疲れを覚える。
 自宅に戻った時には、日付が変わっている。
(第千六十二段)
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by akasakatei | 2006-07-28 09:19 | 社会心理 | Comments(0)

五六七(ごろくのえいきょう)

 昭和天皇の発言に関するメモが見付かった。
 それらのうち、靖国神社関連について、政治家は今後に影響はないという。あっては困ることである。天皇の発言により、政治が決まる世の中ではない。
 この問題をこれまでにも触れて来た。
 首相の靖国への参拝について、戦争で犠牲になった兵士の英霊へ拝みに行く気持ちは分からぬでもないが、公人で行くからおかしいのであり、個人の気持ちで行くならば、私人で行けば良いと考える。
 とはいえ、ここで複雑に絡むのがA級戦犯である。これを祀っているがために、近隣のアジアとの外交が不穏になっている。戦前の日本に戻るのではないかと思われている。
 神社側によれば、分祀は出来ないらしい。
 常識で考えれば、教えとはいっても、人間の作ったものだから、簡単に変えられそうだけれど、そう単純な話しではないようである。
 何れにしろ、戦後六十年以上が経ち、未だに、この問題があるのは何故か。
 今の政治家の多くは、先の戦争の悲惨さを知らず、安易に考えているのではないか。政治家が一番に行なわなければならないのは、国民の安全と平和のはずである。
(第千六十一段)
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by akasakatei | 2006-07-27 21:11 | 政治 | Comments(0)

組織内腐敗(みえぬまに)

 最近、企業では合理化を理由に、窓口を一本化し、詳しくはネットでとしている。
 その際、電話番号がないこともしばしばである。
 これが、個人だけでなく、法人相手にも同様である。
 例えば、先日、仕事場でいつものコピー用紙をコールセンターに発注したところ、電話に出た派遣社員のオペレーターによるミスで納期が半日遅れた。
 何でも、こちらの電話番号を検索したところ、ふたつの住所が登録されており、各々、別々の担当者になっていたという。それらを甲乙とする。
 甲の方は、これまで注文実績がなく、乙の方では発注が何回もあった。いつものといった場合、乙の方にするだろう。
 この社内的な確認のため、その連絡がこちらにあったのが、半日後である。それも甲から来たため、更に、話しが複雑になった。この会社の場合、現場との連携が全く取れていない状態であった。
 これまで、この会社では支店経由でも発注出来たのだが、昨年より体制が変わった。また、こちらの担当者が三月に退職しており、この事実を知ったのがこの時である。
 顧客をどのように考えているのか。プロ意識のある人間が少なくなった。
(第千六十段)
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by akasakatei | 2006-07-26 21:21 | 産業 | Comments(0)

五泉森寄席(ふづきえきまえらくごかい)

 奇数月にある地元ホールでの落語会に足を運ぶ。
 今回、登場する噺家は、先日、真打ちになったばかりの鯉朝師匠、二つ目の鯉太さんである。更に、色物では、江戸紙切りの桃川忠さんも登場する。
 入りは半分くらいか。回を追う毎に人が増えて行く。
 まず、鯉太さんが出、次に鯉朝師匠が演じる。師匠は風邪気味のようで、洟が止まらない様子であった。
 この後、お楽しみとして、噺家ふたりによる謎解きが行なわれる。題を言ってくれということだったので、「ぎっくり腰」を与える。
 師匠は風邪気味だからだろう、なかなかまとまらない様子であった。
 尚、題を与えた記念として、真打ち昇進の際に作った手拭いを頂く。
 仲入後、紙切りである。注文を受け付けたので、「花火」を所望する。
 隅田川の花火である。江戸の屋形船に舳先に、芸者が立ち、花火を楽しんでいるものである。
 これも記念に頂く。
 最後は、師匠の先の師匠だった故柳昇師匠が得意とした噺をする。
 手作り感があり、この落語会は好きである。次回は、旧盆中の平日に行なわれるため、参加出来ないのが残念である。
(第千五十九段)
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by akasakatei | 2006-07-25 21:28 | 文芸 | Comments(0)

錯覚心(うつりしもの)

 怪談は苦手である。歌舞伎や落語までしか堪えられない。
 かつて、写真に悪霊が写っている話しがよく聞かれた。その多くは、トリックとのことであった。
 ところが、先日、ある身近な人より悪霊ではなく、反対のものが写っている写真を見せられた。
 畏れを感じたのはどうしてか。
 その反対のものと対話出来る人ととも会わされ、何でも知っているから、訊いて良いとのことであったけれど、先を知ると自分が努力しなくなりそうで止めておいた。
 例えば、人は他人が自分を分かってくれないという。だけれど、何も言わなくても全てを知っている人がいたら、やはり、不思議な気分である。良い行ないも悪い行ないも見えているのである。
 こうした経験をしたためか、このところ、見せられた写真について考えることが多い。
 これまで、心の弱い人間が救いを求めるため、宗教が生まれてきたと思っていた。写っていたものは、これまでのそれとは異なる。これはどういうことだろうか。
(第千五十八段)
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by akasakatei | 2006-07-24 21:35 | 社会心理 | Comments(0)

小淵沢行脚(べっそうちほうもん)

 夏休み、最初の土曜日に小淵沢へ行く。知人がおり、案内してくれるという。
 このところ、各地で雨による被害が見られ、中央線は前日まで新宿と甲府の間で折り返していた。幸い、前日の夕方に、松本方面まで運転再開されていたものの、小海線や辰野経由の中央線は、相変わらず運転されていない。
 小淵沢には十時前に着く。
 車で、まず、身曾岐神社へ向かう。ここには本式の能楽殿がある。境内を一周し、休憩所に寄る。そこの人より様々な話しを伺う。印象的なのは、ここの巫女が単なるバイトでないこと、更には、境内はバチカンを意識したということである。
 靄が出ていたこともあり、気が引き締まる思いである。
 次に向かったのは、小淵の森フィリア美術館である。館内には、原爆を主題とした丸木さんの絵や他にも重いテーマの絵がある。そうした中、故遠藤周作氏の絵本があった。これは、氏の中間小説らしいもので、興味深かった。
 昼食の後、三分一湧水へ車を走らす。手を浸すと、かなり冷たい。
 この後、清里へ向かう予定だったけれど、車での移動も疲れ始め、途中にあった山羊や羊、ポニーのいる牧場で、動物と触合う。こうなると、もう何もする気になれない。
(第千五十七段)
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by akasakatei | 2006-07-23 09:52 | 余暇 | Comments(0)

車内遊(きこえるほどに)

 車内で、聞こえてきたある日の会話である。
 「某ファンドの元代表は逮捕されてから、苦労したとみえて、短い間に随分とやつれた。」と年配者の声がする。
 声の主を探すと、新聞を読んでいる。
 そうした記事があったかと思い、横目で確認すれば、コメディアンが監督をしている野球チーム関連の事件である。監督が報道陣に囲まれている写真が出ている。
 これは分かる人には分かるけれど、そうでない人には通じない話しである。
 通じないといえば、これも車内での話しである。先と比べたら、こちらの方が未だ分かり易いかもしれない。
 また別の年配者が、「最近、電車でお経を聴いている人が多い。」と言っていた。
 坐禅や写経人気の延長かと思えば、音漏れが、仏教における偉大な人の名前に聞こえるらしい。
 何れにしろ、車内は社会の縮図であり、人間観察には面白い空間である。
(第千五十六段)
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by akasakatei | 2006-07-22 09:49 | 社会心理 | Comments(0)