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自由之切符(たびがらす)

 JRのダイヤが改正され、時刻表を買った。買う度に、使い易い割引切符が姿を消していく。
 例えば、東京から立山黒部アルペンルートに行こうとする場合、その方面の切符が発売されていない。かつてはあった。仕事場に出入りしている旅行会社の担当者に訊けば、現地に行って手配するか、大手の旅行会社経由で、アルペンルート部分の切符を現地より取り寄せることになるらしい。
 東京より行こうとすると、なかなか面倒である。また、そこは、添乗員にとっては卒業試験のようなものという。様々な乗り物があり、確認や手間に追われるからとのことである。
 この他にも、周遊券がなくなった。地域別で、ワイド周遊券だと、そのエリアでの特急の自由席も使えた。結構、重宝した。これがなければ、完乗するための費用はもっと掛かったに違いない。
 最近では、休日が土日にしか取れない関係上、長旅には出ていない。目的地との往復だけや遠距離だと飛行機を利用するので、割引切符の類を気にする必要もないのだが、逆にいえば、その種の切符がないことも、飛行機や往復だけになっている一因かもしれない。
 今や、気ままな当てもない旅をするのは難しい。
(第九百四十三段)











    
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by akasakatei | 2006-03-31 21:28 | 地域 | Comments(0)

銀行気楽業(いまのうえき)

五十日に仕事で銀行へ行った。大変混むので、営業時間の十分前に行く。この時間だと、ATMの場所で待てる。ここで並んだ方が、表のシャッターが開くより早い。そこには既に七人ほど並んでいる。最近、店舗の統廃合が盛んで、窓口での待ち時間が以前と比べ長くなっている。最終的に、営業時間前に並んだ人は二十人にもなる。
窓口へのシャッターが開き、受付番号札を取れば、番号が書いていない。案内係に確認しようにも、その係さえいない始末である。窓口で訊けば、数日前より、フォーク状に並び方を変えたという。
結局、順番は更に遅くなり、待っている間、漸く、来た案内係に、変更したならその旨を貼るなりするよう伝える。
案内係は表に貼っているとは言うけれど、中で並んでいたので、気付かなかった。これでは、目的であるはずの伝えることに関しては何の役にも立っていないことになる。
単なる貼ったというだけで、終わってしまっている。商売では、ポスターやチラシにしろ、訴求がなくてはならない。銀行とは、これで訴求したつもりなのだから、誠に気楽な商売といえるかもしれない。
また、前にも触れたけれど、銀行は効率のため店舗の統廃合をしているが、これは利用者には迷惑でしかない。混む、遠いなど、悪いことばかりである。
(第九百四十二段)
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by akasakatei | 2006-03-30 21:02 | 産業 | Comments(0)

覚薄団(しんのなまえ)

 先の続きである。
広告に関しては、以前にも触れた。その時は、バスの車体が広告で覆われた場合、どこの会社か分からないことを書いた。
地方では、その前より、路面電車の全面広告もあったけれど、体裁が良いものとは思えない。
収入を増やそうとする努力は認めるものの、車体が本来持つ美しさからは遠い。これは、今のJRにもいえる。
子供の頃、故郷を走っていた「東72」系統における都バスの車体の横に、広告があるのさえ、体裁が悪いと思っていた。現状は嘆かわしい。
同様なことでは、球場の名前もそうである。企業の名前を被せたことにより、どこにある球場か分からなくなった。これは、一年で変わることもあり、尚更、混乱を招く。
それにしても、企業が、あの手この手で、名前を売り込もうとするこうした競争は、正直、金を掛ければ出来るわけで、意外と印象に残らない。印象に残るのは、地道に社会的な貢献をした企業である。
(第九百四十一段)
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by akasakatei | 2006-03-29 20:59 | 情報 | Comments(0)

箱庭車(さめたじっけんしつ)

鉄道の車内が社会の縮図であることに関しては、前に触れた。人物を観察しているだけでも、様々な流行が分かる。
また、週刊誌の広告を眺めていても、何が騒がれているかを瞬時に知ることも出来る。
情報を得るには車内は良い。
ただ、気になるのは、広告のうち、消費者金融が目立つことである。その占める割合は高い。何れも、笑い掛けている。そこには、かつてあった貸金業の後ろめたさが感じられない。今でこそ、消費者金融だけれど、その昔は質屋である。多くの質屋は目立たない佇まいで、利用する側も恥ずかしさがあった。それが、今はどうか。あまりにも安易に借金をし過ぎである。
他にも、気になる広告はある。意外と目に入るのが、中年男性を対象にしたゆとりやこだわりの文字である。
確かに、その過ごし方や品を見ていると、誰もが憧れるように編集されている。ここで、気を付けなければならないのは、どちらも資本を掛けることによって得られるものということである。それも気軽に出せる値段ではない。所詮は富裕層相手でしかない。
それで得たものが、本当に豊かにさせるかは疑問である。
(第九百四十段)
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by akasakatei | 2006-03-28 21:03 | 情報 | Comments(0)

果税金(せいふをただす)

人口減に対し、悲観的な見方をする人が多い。そうした人らは、高齢者が増え、若年者が減ることによる社会保障の問題を指摘する。
経済学的視点なら、そうした考え方も出来るだろう。ただ、いつまでも効率優先で良いのか。江戸では、我が国の人口は今の三分の一くらいであり、それでも上手く機能していた。
この背景には、競争という考えもなく、また、社会保障を当てにしていなかったこともある。
江戸では、幕府が庶民の生活に介入することはなく、自治で行なわれていた。当然、税金は払っていない。
もし、今の政府が、本格的に小さな政府を目指すなら、税金のない全てを民間に任せるものにすべきであろう。
政府は、社会保障を切り捨て、競争や効率の名目だけで小さな政府にし、税金だけは払って貰おうとしているようだけれど、これでは失敗する。
そもそも、税金の使い方からして不明である。必要のないものの建設や購入ばかりをしている。
現在、求められているのは人間らしく暮らせる社会である。これ以上、アメリカ型の社会にする理由はない。間違った国のやり方を導入しても、ぶのは富裕層だけで、庶民は益々苦しむばかりである。
(第九百三十九段)
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by akasakatei | 2006-03-27 21:01 | 政治 | Comments(0)

故郷情景人(あかさかふどきたすけあい)

先に、故郷における昭和四十年代後半の生活に触れた。あの頃は、今とは異なり、車を持っている家庭も少なく、商売をしている家くらいのものであった。
車がなくても生活は出来、また、コンビニやスーパーもなかった。後に、スーパーは出来たけれども、個人商店と比べ、値段は多少高かった。
こういう状態だから、主婦は買い物に行く時、買い物籠を手にしていた。この籠は編んだものが多かったと記憶している。
また、魚屋、八百屋、肉屋など、どこでも量り売りをしており、スーパーのように、パック詰めされていなかった。
店主と言葉を交わし、そこから、主婦は世間や料理の作り方などの情報を得ていた。
更に、そうした情報より、町内の誰が入院したと聞いては見舞いに訪れたものである。
勿論、葬式に関しても同様である。最近では葬儀場で行なうことが多いようだけれど、当時は、町会長に知らせると、その旨が張り出され、葬式には町内の者が集まり、何人もの主婦が手伝いに来た。
こうした町で育った者としては、今の人付き合いのない暮らしを便利とは思えない。
(第九百三十八段)
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by akasakatei | 2006-03-26 09:51 | 地域 | Comments(0)

故郷情景匂(あかさかふどきちえん)

日が長くなってきた。仕事がもうすぐ終わる頃、空が夕焼けに染まる。
故郷にいた頃、三分坂脇の通称、山の上の公園から見る夕焼けを今でも覚えている。高台にあり、見晴らしが良かった。幼稚園に通っていた時で、それほど高い建物もなかった。
昭和三十年代の匂いが残り、昔から近所付き合いをしていた人達が残っており、子供の姿があちこちで見られた。
特に、育った六丁目付近は、マンションもなく、借家も含めて一軒家がほとんどで、古い住民ばかりであった。
お互い、先の戦争も経験し、気心が知れた仲でもあった。おかずのお裾分けも行なわれていた。
今とは異なり、隣人を知らないこともなく、町会内では、誰がどこに住み、どこの子供かも分かっていたほどであった。
こうしたコミュニティがなくなったのは、マンションが増えてからだろう。基本的に、マンションの住人は引越し挨拶もしないため、地域の住人か、通行人かさえ分からない。
年々、良き時代が消えていくのは寂しかった。
(第九百三十七段)
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by akasakatei | 2006-03-25 20:42 | 地域 | Comments(0)

一寸闇(そのさけのまえに)

先日、仕事帰り、小田急に乗っていたところ、急ブレーキが掛かった。車内放送によれば、直前の踏み切りで置石が発見されたためという。この点検で五分ほど遅れた。
 もし、そのまま走っていたら、乗り上げた可能性もある。世の中、いつ死んでもおかしくはない、と改めて思う。
 一寸先は闇、とは上手いことを言ったものである。
 これに関連したことをある人から聞いた。その話しだと、飲み屋で上司の悪口を同僚と言っていたら、翌日、左遷させられたという。調べてみたら、側で飲んでいたライバルに、言ったことを告げ口されていたらしい。
 酒席における話題には気を付けなければならない。特に、大声の人と一緒の場合は慎重を要する。
 大声について、これも別のある人から聞いたことがある。
 大声の甲と大人しい乙がいて、甲が乙を居酒屋で説教していたという。その時、甲は乙の勤務先を大声で口にしていた。
 これなど、聞いた人は、その企業のイメージが低下するに違いない。
 株が盛んになると、多くの人は、企業のどんな情報でも欲しくなる。このようなことから、洩れ、株価を左右する。更には、企業の経営にも影響する。
 飲む場合、無神経な人とは飲まないことである。君子、危うきものに近寄らず、である。
(第九百三十六段)
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by akasakatei | 2006-03-24 21:38 | 社会心理 | Comments(0)

年配者己中(しらぬはあのよ)

 国立演芸場の三月中席に行く。この日もいつものように、割引きを使い、千円で入場する。
 前回訪れた時とは異なり、客席はかなり埋まっている。目的は夢丸師匠の「夢丸・新江戸噺」か。これまで、師匠が取り組んできたことは知っているが、聞くのは初めてである。
 これは師匠が独自に募集した台本で行なう。今回、聞いてみて、古典や新作とは違った匂いを感じる。
 ところで、この日はWBCの韓国戦があった。客席でも気になる連中がいるようで、噺の途中に席を立ち、何分かして戻り、連れに大声で報告している年配の男性がいた。
 それほど、WBCが気になるなら、自宅で観戦していれば良いわけで、演芸場に来てまで、そうした行動は止めて貰いたい。他の客に迷惑になっている。良い年をして、そうしたことも分からないのか。
 正直、年配者は若者同様、意外と自己中心で、芝居でもそうだが、連れとの話し声やコンビニの袋の音など、耳障りなことが多い。気を遣う必要がある。
(第九百三十五段)
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by akasakatei | 2006-03-23 21:24 | 余暇 | Comments(0)

珍捕物誤認(そまつそうさ)

 新聞を見ると、誤認逮捕の記事が目立つ。警察は何をしているのか。
この裏には、ある筋の情報によれば、捜査自体が杜撰なもので、圧力によりどのようにでも捜査は変わるともいう。
先の誤認逮捕にしても、新聞に出ているのは氷山の一角で、実際にはもっと多いと思われる。
それにしても、誤認で多いのは車内での痴漢容疑らしいが、どういった捜査をしているのか。女性の声だけで、捜査するから失敗する。
この女性にしても、被害者面をする前に、もっと冷静になるべきである。芝居なら、鏡を渡される場面だろう。
こう書くと、冷静になれないとする女性は多いようだけれど、どうも、そこには、詐欺や見栄の匂いがする。
女性とは信じられぬもので、すぐに金で靡く。男とは違い、女性同士の友情が長く続いた話しを聞いた試しはない。
これは現実的だからではないか。
先に話しを戻せば、被害者面をすれば、和解で金が入り、周囲の人に如何に自分が魅力的かを訴えられるとの計算が働くのだろう。男には迷惑なことである。警察もそこの心理を勉強する必要がある。
(第九百三十四段)
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by akasakatei | 2006-03-22 22:00 | 社会心理 | Comments(0)