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集団登園解(そのふかいさ)

 先日、付き添いの母親により集団登園する園児らが殺害された。報道によれば、この母親は中国人で、我が国に馴染めない様子だったという。このため、我が子については個別登園させたかったものの、子供の成長における集団の役割を園側より言われたらしい。
 ここで、問題となるのは、集団登園の意義である。
 集団の振り分けは、園側により決められ、送迎は各家庭が順番に行なっていたようで、現実問題、共働きの家ではどうしていたのだろうか。
 ここは各家庭の事情を考慮し、個別登園も認めるべきだろう。
 園側は、集団登園の意味を重要と考えているけれど、実際、それは園内において、行なえば良いことで、わざわざ、送迎で行なう必要はない。
 この裏には、集団登園により、不審者から子供らを守ろうとする意思が感じられる。然ど、安全性を考えるならば、個別の方が高い。子供は好奇心が旺盛で、大人の予測しない行動をする。ひとりで数人の面倒は大変である。仮に、子供が怪我をした場合、その責任問題が生じてくる。正直、集団登園の意味はない。
(第九百十二段)
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by akasakatei | 2006-02-28 20:59 | 教育 | Comments(0)

歩広尾周辺(ひろおどようのゆうぐれ)

 先日、南青山である会に出席する予定があった。南青山とはいっても、西麻布に近い場所である。人が溢れる表参道駅より十分ほどある。少し間があり、周辺を歩く。
 曹洞宗の長谷寺がある。御茶屋が向かいにあり、読経会の張り紙が出ている。礼服を着た人が何人か見えたので、法事かと思っていたところ、寺の向かいの建物を背景に写真を撮っている人達がいる。結婚式のようで、新郎新婦が祝福されている。仏式の結婚式だったのか否かは知らないものの、不思議な感じである。
 高樹町の交差点を渡り、しばらく行くと日赤医療センターの前に出る。ここは、小学四年の頃、交通事故で前歯を負傷し、月に何回か水曜日に通ったことがある。
 故郷からだと、タクシーを使った。待合室はいつも混んでおり、そういう場合、病院の前にあった本屋で集英社の『学習漫画日本の歴史』シリーズを買って貰った記憶がある。
 驚いたことに、その本屋は新しくなったけれど、未だ健在であった。また、この辺りには、意外と古い店が残っている。特に、この日は土曜の夕方ということもあり、商店をガラス越しに覗きながら、店主の仕事振りを見ていると、そこには何気ない小さな幸福がある。
 そのうちのある喫茶店に入る。静かな曲が流れ、籐の椅子に座り、本の頁を捲ると、駅前の喧騒が嘘のようである。
(第九百十一段)
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by akasakatei | 2006-02-27 21:35 | 地域 | Comments(0)

己知識(ちとにく)

 多くの人間は趣味を持っている。周囲を見回しても、ない方が珍しいようである。
 大学時代の友人には個性的な趣味の者が揃っている。例えば、川越の図書奉行は城めぐりである。何を訊いても、すぐに答えてくれる。噂によれば、千葉にある鼠の国の城も見に行ったらしい。
 他の面々では、越生の法家は飛行機や宗教、郷土史に詳しく、また、横浜の幹事はアジア方面に強い。
 年に一回、杯を傾けると、話しが様々な方面に広がり、普段、あまり知らないことなので、興味深く聞いている。
 飲んでいる時、仕事の話しをしても面白くない。
 趣味のある人間は、その対象に関し、自ら足を運び、文献で調べる。聞いていても、消化されているので分かり易い。
 最近では、インタネットを見ただけで、分かったつもりになる人が随分といるらしい。確かに、簡単に情報は得られるかもしれないけれど、鵜呑みにしていることもあり、己の血や肉になっていないことが多い。更に、孫引きのため、少なからず間違いもある様子である。
(第九百十段)
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by akasakatei | 2006-02-26 10:45 | 余暇 | Comments(0)

鉄道旅(うごくしょさい)

 どこへ行くにも鉄道を使う。車を使わないのは時間の計算が出来ないからである。また、トイレもなく、飲食さえ控えなければならない。
 鉄道好きとなるが、ファンであっても、マニアではない。ファンとマニアは異なるものである。前者は愛する者であり、後者は熱中する人を指す。佐貫の酒仙はよく「我々マニア」と言うものの、これには違和感を覚える。酒仙自身は車輛自体に関心があるため、自らマニアと考えているのだろう。
 鉄道好きにも様々な型がある。車輛、模型、収集、時刻表、旅などである。
 これらのうち、関心があるのは旅で、車輛や模型などの関心は薄い。新型車輛が走り始めても、別段、乗りたいとは思わない。写真など尚更である。車窓を眺め、揺られているのが好きなのである。
 その車窓にしても、興味を持つのは歴史や文学、民俗学、そして社会学的な事柄である。
 前にも書いたけれど、鉄道は社会の縮図であり、ここに身を置いただけで、流行や心理学の勉強になる。
(第九百九段)
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by akasakatei | 2006-02-25 22:56 | 余暇 | Comments(0)

春浦霧(かすみのそら)

花粉が飛散し始めた。眼科、耳鼻科に通い、薬を貰っている。それでも、多い日には痒みや鼻詰まりがある。
薬を飲んでいても、こうした状態なのだから、飲まないと更に辛くなる。
まず、飲み忘れることはないものの、酒を飲んだ時は薬を飲まないことにしている。薬が効き過ぎる。次の日、辛いことは確かだけれど、飲まない方が調子は良い。
一番良いのは酒を飲まないで、薬を飲むことである。幸い、それほど酒が好きなわけではない。付き合い程度しか飲まない。
だから、付き合いを避ければ、飲む機会はなくなる。
尤も、この時期、花粉のため、外出する気力はなくなり、自然と飲まなくなる。
マスクとサングラス、これだけで、端からすれば目立つ存在である。こういう格好をしてまで、出掛ける気にはなれない。
今年は昨年より少ないという。ただ、こうした予報は当てにならない。万全を来たすに越したことはない。
上手に付き合っていく意外にない。行政の失敗を恨む。
(第九百八段)
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by akasakatei | 2006-02-24 22:00 | 福祉 | Comments(0)

警備欺(ききのきき)

ある人より、物騒な話しを聞いた。
その人の勤務先は雑居ビルにあり、先月、ビルのオーナーが警備システムを入れたという。その警備会社は聞いたことのないところらしい。
システム的には、一般的な、例えば、夜間、部屋の警備システムが何者かにより切られた場合、すぐに連絡が来る流れというものである。
それが、ある朝、部屋の警備が切られたままになっており、緊急の連絡もなく、ビルのオーナーを通じて、警備会社に確認すれば、連絡すること自体を忘れていたとの話しである。
これでは、何のための警備システムか。
尤も、切られていたのは、その人の同僚が最後に出る時に、システムを開始にすることを忘れたからで、その注意を強くされたとのことである。
これは本末転倒ではないか。
こうした場合の危機管理としての警備システムと思うのだけれど、そうした認識はないようである。警備システム自体を疑う必要があるかもしれない。
(第九百七段)
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by akasakatei | 2006-02-23 21:29 | 産業 | Comments(0)

和味細(ちみつのあじ)

菓子屋の前を通り掛ると、うぐいす餅の張り紙があり、つい買ってしまう。なかなか良い値段だったものの、季節物であり、特に、高いとは感じない。
江戸における鰹のようなものである。
現代社会で、季節を感じることは少なく、和に関するものくらいだろう。
例えば、和食にしろ、和菓子にしろ、これらは量を食べる類ではなく、目でも楽しめる。盛られた皿との調和、更には、食については行事とも関係が深く、それらに思いを馳せて、頂くものである。
それらを忘れ、単に、和が流行だからと流されるのでは、その面白さは分からない。
こうした緻密さが西洋にはない。この細かさが我が国特有の文化でもある。
前にも書いたが、濃い味付けに慣れ、舌が微妙な味付けを判別出来ない者も増えているともいう。そして、濃い味付けは素材そのものの新鮮さも隠してしまう。結果、舌に自信が持てず、流行に踊らされるのであろう。嘆かわしい。
(第九百六段)
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by akasakatei | 2006-02-22 21:38 | 余暇 | Comments(0)

横文字冷惨(きょうふのきごうにんげん)

トリノオリンピックが行なわれている。目標としたメダルの数には、今のところ届いていない。
別段、獲得については、どうとも思わない。
むしろ、気になるのは、冬季オリンピックとは高そうな道具を使い、宇宙人みたいな格好をする、ということである。
スピードスケートの団体など、頭から足の先まで、皆、同じ格好で、それが独特の動きをするものだから、怪しくて仕方がない。
それにしても、様々な競技がある。それが全て横文字で言われるものだから、何をするのか見当も付かない。
こうした例がスポーツでは多過ぎる。そうした点、野球や相撲は分かり易い。野球は外来のものだけれど、訳が上手い。
漢字には意味があるからだろう。これがアルファベットだと、それ一文字だけでは何の用もなさない。また、近年、上手い訳者もいないからに違いない。
スポーツだけではない。料理でも、洋食屋に行くと、何だか分からぬカタカナが並ぶばかりで、食べる前に疲れてしまう。これを不思議と思わない人間は、それこそ記号化されている。
(第九百五段)
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by akasakatei | 2006-02-21 21:18 | 余暇 | Comments(0)

鹿文七元結(しかしばいひょう)

 昨年に続き、国立演芸場での鹿芝居に行く。これは噺家による芝居で、今年は『人情噺文七元結』が演じられた。
 これは歌舞伎でも観たことがあるけれど、噺家らしく笑いを誘う。
 出演者は昨年と同じ顔触れで、芝居噺を得意とする正雀師匠の女形、更には、馬生師匠の口跡の良さやアドリブが光る。
 訪れた十九日は、新潟からの団体も来ており、盛んに声を掛けていた。
 また、この日は、世之介師匠の後援会の人が菓子を差し入れたとのことで、来場者に振舞われた。
 鹿芝居は、今年で四回目とのことである。最近、寄席で芝居噺を聴く機会は少なく、このままでは廃れる可能性もある。歌舞伎とは異なる味付けの噺家独自のそれは大切にすべきである。
 ところで、本業の方も各師匠が芸達者なこともあり、誰もが楽しめた。
 今回も、上席同様、特別企画で半額であり、申し訳無ささえ覚える。
 来年の出し物が今から待ち遠しい。
(第九百四段)
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by akasakatei | 2006-02-20 21:39 | 文芸 | Comments(0)

梅戯言(うめのはなし)

 梅の季節である。今年は昨年より忙しく、なかなか時間がなく、探梅する暇さえない。結局、合間を見ることになる。
 十八日、湯島を訪れる。
 自宅の庭には紅梅が植えられている。それは未だ蕾である。境内の梅も咲いているのは少なく、今年は遅いようである。寒さが影響しているのだろう。
 ただ、境内を訪れる人は多い。丁度、受験が一段落したからだろう。お礼に来ている家族連れが目立つ。
 現在、花といえば桜を指す。桜と比べ華やかさはないものの、梅が咲き出すと春が確実に近付いていることが分かる。
 実際、江戸では福寿草同様、正月には欠かせない花である。旧暦では、丁度、今頃が正月になる。
梅が好まれたのは万葉時代で、萩と並び、詠まれた回数が多いらしい。どちらも派手さはない。その儚さが心情に合っていたのだろう。
 寒空に咲く梅を眺めるのは、なかなか趣のあるものである。これを感じられる人間は少なくなってしまった。
(第九百三段)
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by akasakatei | 2006-02-19 21:37 | 余暇 | Comments(0)