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狂意水(きちがいみず)

 吉田兼好は『徒然草』において、酒飲みは友達として悪いと書いている。周囲を見渡せば、悪友ばかりとなる。
 思うに、酒飲みにも色々おり、飲んだ時に本性が現れるともいう。その時の態度で決めるのが良いのではないか。
 飲んだ時に一番困るのは、絡み酒であろう。一方的に絡まれ、生返事をすると怒り出す。誠に、手に負えない連中である。
 また、飲むと話しが止まらなくなるタイプもいる。これなども、ずっと聞いていなければならず、相手になる方としては堪らない。
 絡み酒とこの傾向の両方を持つ人間と一対一で飲むとなると、覚悟が必要で、何かしらの言い訳を考え、同席しないのに限る。
 他にも、泣き上戸や笑い上戸、この辺は未だ良いとしても、潰れる酒飲みにも閉口する。
 歩けず、小間物屋を出された日には、本人は良いとしても、誰かが自宅まで送らねばならず、万が一、同じ方向ならば、憂き目に遭う。
 こう考えてくると、酒飲みはどれかに当て嵌まり、吉田兼好が悪いとするのも、納得させられる。
 となると、飲む場合の理想としては、騒がず、怒鳴らず、場を弁えた者となる。静かな酒が飲みたいものである。
(第七百九十二段)
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by akasakatei | 2005-10-31 19:43 | 社会心理 | Comments(0)

自通学(しのとこで)

この文は愚痴と溜息に包まれている。最近、某の指摘以来、初段に掲げた斜に構えた考察が出来ていないような気がする。
 某の指摘に納得したわけではないけれど、確実にいえることは、社会とは人間関係で結ばれていることで、ひとりでは生きていけないということである。
 例えば、借金を考えた場合、借金取りが裁判において勝ち、それを取り立てに行く場合、論理のみを翳して、強引に行なったとすると、後々、恨みを買うだけである。
 世の中は論理だけで割り切れないことが無数にある。人間はそれほど、簡単なものではなく、複雑な心理を有している。
 そうした意味で考えれば、このところ、話題になっているテレビ局の株の買収なども、合法だったとしても、わだかまりは残るに違いない。
 これを忘れ、ただの金儲けに走れば、良い印象は持たれず、いくら言葉で理屈を通しても、心からどれくらいの人が付いてくるのだろうか。
 人生においては、表面的な関係で、晩年は寂しいのではないか。
(第七百九十一段)
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by akasakatei | 2005-10-30 19:37 | 社会心理 | Comments(0)

三蔵如(きぶんのみは)

 以前、寺において写経を行なったことは書いた。心の乱れが文字に現れた。
 悪い気分ではなく、自宅でも行なおうと考え、まず、本屋に行き、『書き込み式「般若心経」練習帳』(成美堂出版)を求める。これには解説も付いている。また、毛筆でなくても良いとある。
 この経自体、長いものではないので、毎日、出来るかと思っていたところ、そうでもなく、一日に何文字も書けない。改めて、時間のなさを痛感する。
 ただ、書くだけなら出来るかもしれぬが、それでは写経ではなくなってしまう。
 そう考え、少しずつ進めていけば、段々と、筆を使いたくなり、小学校時代の習字セットを探し出す。筆を持つのは、この時以来である。
 前段で触れた店において、半紙も求め、御香を焚き、墨を擦れば、心落ち着き、時間の贅沢ささえ感じる。
 かつては普通だったこうしたことも、今や、行なおうと思わなければ出来ないのは、寂しいことである。
(第七百九十段)
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by akasakatei | 2005-10-29 23:10 | 社会心理 | Comments(0)

香初心(にわかこうどう)

 御香を焚く。
 精神的に疲れ、気分転換になる物を探した結果である。
周囲に、それに関し詳しい者がおらず、何を揃えれば良いか分からず、銀座の専門店まで足を運べば、凄い人である。店員に訊ける雰囲気ではない。
 そこで、デパートに入っている支店に行く。対応した店員によれば、焚いた後を楽しむものらしい。
 言われてみれば、『浮世床』にも、そうした話しが出て来る。香道は、香りを当て、聞くものという。 
 とはいえ、どういった種類があるのか分からず、まずは入門用と思われる香立付きのものを求める。
 その後、前に書いた保険会社とは異なる、普段は滅多に顔を見せない他社の勧誘員が仕事場を訪れる。
 話しの途中で、御香が出て来る。
 何でも、彼女は数年前にそれに凝っており、話しを聞けば、安い御香はすぐに匂いが飛ぶとのことである。
 そういえば、焚いた後を楽しむとはいうものの、匂いが残っているのは僅かであった。道というだけあり、なかなか奥深いものである。
(第七百八十九段)
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by akasakatei | 2005-10-28 23:07 | 社会心理 | Comments(0)

生活教養本(つがれるち)

アニメ『まんが日本昔ばなし』が再び放送を始めた。前に放送したものをデジタル処理したらしい。今回、新しく作る話しはないようである。尤も、前の時も、終了間際は再放送ばかりであった。
それが、今回、時を経て、復活した背景には根強い人気があったに違いない。
現実主義者にとり、この類のものは詰まらぬようで、竜宮城で何故溺れないのか、などと言う。確かに、話しによっては、些かこじ付けらしいものがあったことは否めない。
だけれど、昔話の持つ意味を考えた場合、これを廃れさせてはならないだろう。これは古より語り継がれてきた文化である。
現在の子供に、どこまで受け入れられるか分からないものの、少なくとも、善悪の区別が付かぬ親よりは説得力があるだろう。
とはいえ、昔話も時代により、様々な解釈がなされているので、注意は必要である。
また、昔話は、黄表紙や落語でも本歌取りが行なわれ、人々に親しまれてきた。こうしたことを考えると、最近の昔話の扱いは少々小さかったのではないだろうか。
(第七百八十八段)
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by akasakatei | 2005-10-27 23:04 | 文芸 | Comments(0)

網社会(あみのめより)

アンチウイルスの対策ソフトが発売される時期となった。
案内が届き、目を通せば、今年より、対応のOSのうち、WindowsではMeより前のものには使えないようである。それだけ、切り替わっているのか。
だが、計算すれば未だ十年は経っていない。早過ぎる気もする。
早いといえば、かつては、二、三年で新しいOSが出ていた。それが、Xp以降静かなのはどうしてだろうか。
確かに、Xpが発売された当時、今後の見通しに関し、照準タイプとの話しを聞いた。とはいえ、絶対がないのが世の中である。
後、ウイルスなどで、完全でないことが判明した。それへの対策は行なわれているのか。
世の中、疑問だらけで、先のウイルス対策ソフトについても、何人かにOS訊いたところ、意外にMe以前の利用者も多く、その辺をソフト会社はどう考えているのだろう。
何れにしろ、世の中には悪い人間が多く、匿名性の高いネットでは、どういった火の粉が降ってくるか分からない。万が一のためにも、準備をする必要はある。されど、Me以前者はどうすれば良いのか。まさか、OSを買い換えよ、という意味ではあるまい。
(第七百八十七段)
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by akasakatei | 2005-10-26 23:03 | 情報 | Comments(0)

鷹海燕(とおきひ)

ホークスがプレーオフで敗れ、レギュラーシーズン一位ながら、今年も優勝出来なかった。勘の鈍りもあるだろう。こうしたことが、今後も続くようならば、ルールを変えていく必要があるだろう。
ロッテファンの東青梅の地主より、メールが届く。最後の優勝は彼が小学校の時だったという。
学生時代を思えば、今回のロッテとホークスのプレーオフは感慨深いものがある。
その頃、ロッテは川崎球場、ホークスは大阪に本処置を置く南海であり、毎年のように最下位争いをしていた。
また、セリーグでは、川越の図書奉行が贔屓とするヤクルトも弱く、毎年、図書奉行との年賀状では、日本シリーズにおける対戦の夢を書いたものである。
ホークスは、後、南海からダイエー、そしてソフトバンクとなり、優勝争いに絡む強いチームとなった。また、ヤクルトも身売りはしていないものの、強くなった。
とはいえ、未だに日本シリーズでの対戦はなく、オープン戦での顔合わせだけである。
(第七百八十六段)
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by akasakatei | 2005-10-25 22:59 | 余暇 | Comments(0)

古民家月話(れんそうかんかく)

十三夜の翌日、地元の古民家での「むいから寄席」に行く。春以来である。
この日の出演者は、三遊亭らん丈師匠が変わらないのは当然として、前座の春風亭一左さんが前回とは異なる。
始まるまで三十分ほどあり、隣りに座った若い頃に海女をしていたという七十近くの女性と話す。
海女の生活を直接聞く機会など、まずなく、興味深い。それによれば、村上で行なっており、今でも、毎日、泳ぐことが好きなのでプールに通っているらしい。
話していたので、すぐに開演時間となり、一左さんが登場する。
噺は『子ほめ』で、先日、東青梅の地主に子供が生まれたことを思い出す。祝いを未だあげていないものの、ご隠居のようなほめ方をするとなれば、なかなか難しいものと思う。
祝いについて何人かに聞けば、現金や玩具、そして服など、様々な意見を貰う。結局、本人に確認すれば、宴という。こうなると、日程調整など、更に難しい。何しろ、美濃の役人も駆け付けると言っている。ならば、夜というわけにはいかない。
(第七百八十五段)
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by akasakatei | 2005-10-24 22:58 | 文芸 | Comments(0)

十三夜仏頂(ほとけのつら)

江戸年中行事において、月見は二回ある。十五夜は多くが知っているけれど、もうひとつは、今年でいえば、今月十五日の十三夜である。別名、栗名月である。
これら、十五夜、十三夜を行なわないと、縁起が悪いと言われている。尤も、これについては吉原の仕来たりという説もある。つまり、十五夜に続き、足を運ばせようとしたのである。
当時の吉原は社交の場であり、文化の発信地であった。現在とは異なる。
現在ではそれこそ、目的はひとつだけれど、数年前の冬、東青梅の地主と、そうした目的ではなく、町を散策した。吉原雀というやつである。
正直、寒く、ネオン以外の灯りは暗く、かつての面影はない。
当時、そこでは、野暮は嫌われ、通が好まれたものの、人生を考えた場合、野暮の方が堅実だったことは今でも変わらない。
野暮といえば、この夜、新宿で佐貫の酒仙や川口の清掃職人らと飲む。曇り空で月は期待出来ない。ただ、この日、昼に慣れぬ洋食を食べたため、体調は下りひかり号で、酒仙らは思わず拝みたくなったに違いない。
(第七百八十四段)
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by akasakatei | 2005-10-23 22:55 | 地域 | Comments(0)

宴竹縄(おわりのよかん)

前段の続きである。
何でも、最終的には証拠や理屈で、裁判で決着をさせなければならぬという。そうなると、大概書いた側が負けるらしい。
大体、この文自体が言葉の暴力に溢れ、他人を傷付けているという。ならば、言葉の暴力というけれど、話し言葉は消えるので暴力にならず、責任が伴わないということなのか。それはおかしく、通勤電車に乗れば、あちこちで諍いが起き、口汚く、罵っている。
尤も、この文については、以前より何度も注意しているけれど、実際のことを砕き、分かり易いように例え話を遣っている。それを当人自身のことと勘違いされては、書き手は困惑するばかりである。それさえ、あれこれ言われるのならば、今後、我が国特有の私小説や日記、随筆などは成立しないと思われる。
この分野に関し、最近ではあまり読まれていないものの、日本文学史を振り返った時、そこに書かれたものは、当時を知るには貴重な資料である。
現代では新聞がその担い手とも考えられるが、残念なことに、風俗関係では劣る。そうした意味からすれば、先の分野を廃れさせることは避けなければならない。
(第七百八十三段)
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by akasakatei | 2005-10-22 22:53 | 文芸 | Comments(0)