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地元芋名月(こまえかんげつ)

 名月を愛でる。待宵は向島に足を運んだ。この日は昼間墓参りを行なった。疲れからか、名所に行く気力もなく、自宅より眺める。
 空の澄み具合は昨夜の方が良かった気がするものの、これは気分的な問題かもしれない。水原秋櫻子編『俳句歳時記』(講談社文庫)によれば、待宵は名月への期待や完全でない美しさ、この気持ちの言葉という。つまり、前から書いている通り、今は精神的に悪いので、それが完全なものより、先のような陰影を好ませているに違いない。
 時を経るに連れ、月の位置が変わる。こうした何気ないことに、感動を覚える。
『俳句歳時記』の例句を見ると、名月の他にも、望や十五夜も使われている。前者は兎も角、後者は親しみ易さがある。
十五夜を見ていて思うのは、月見をしている家は少なく、また、夜空に飛行機の点滅するランプが多いことである。
月は農耕社会と密接な関係がある。企業社会となった今、十五夜など、どうでも良いのだろう。十三夜なら尚更である。
各々の別名である芋名月や栗名月を知る人が、果たしてどれだけいるのであろうか。
(第七百六十一段)
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by akasakatei | 2005-09-30 22:46 | 文芸 | Comments(0)

地方連帯力(がっぺいのあとに)

 地方に住む者は気が利かない、と言うと怒る人間も多いだろう。これは、都市においては、お互いに知らない者同士だから、気を遣わないと、匿名性が高いので、不満を持つようになる。知らない間に迷惑を掛けていることもある。気配りは都会に住む者の知恵だろう。
 これが地方では、共同体を中心とし、その中で生活が成立する。このため、日常、気配りは必要ない。都市に住む者が、偶に、そうした場所に行き、共同体内の人間のように扱われるので、冷たく感じるのだろう。地方で重要なことは、祭や儀式である。
 とはいえ、これらはひと昔前までの地方の姿で、情報が発達した現代では、都市以上に、現実的だと感じるのはどうしてか。
 地方経済の状態が悪いからか、年配者が多いためか、金には煩く、また、利己的な頑固者が目立つ。義務を果たさず、権利ばかりを訴える。
 これらを考えていくと、市町村合併が続いているけれど、やがては地方の力はかなり強くなると思われる。国から更に権限が委譲される可能性も高い。
 現在、東京に住んでいる人のうち、本当の東京人による視点で考えると、これらは隔世の感すらある。地方出身の役人や政治家のために、故郷としての東京が失われていく。
(第七百六十段)
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by akasakatei | 2005-09-29 21:54 | 地域 | Comments(0)

地元寺社仏閣巡(こまえじゅんれい)

 九月の最初の三連休、漸く、夏休みとなる。大学野球や相撲観戦に行こうと思っていたのだけれど、結局、休みの初日にそれらを変更する。
 これは夏の疲れもある。また、先にも書いた精神状態の悪さもある。体調が優れない。そのため、最近は仏像や神道の本を読んでいる。
これにより、地元における寺社仏閣に関心を持つ。同時に、地元において、行き付けの喫茶店を作ろうと思い、その下見も兼ねる。地元交流の切っ掛けになればと考える。
 ところで、今回は徒歩ではなく、自転車を使う。地元は日本でも狭い市だけれど、電話帳によれば、あちこちに寺社仏閣は散らばっている。
 神社が一箇所、寺が六箇所である。これらのうち、行ったことがある神社と三箇所の寺は後回しとする。
 方角的に分割し、まず、万葉歌碑のある多摩川方面とする。
 自転車で向かえば、そこにあるのは、一般的な民家で、寺院とは程遠く、近くには創価学会関係の建物がある。これで、納得する。
 早々に、立ち去り、今度は千手院に向かう。ここは天台宗で、観音像がある。
 萩が咲いている。ただ、印象に残るのは、墓地を造ったようで、その募集の方である。椅子と机を出し、係が座っている。
(第七百五十九段)
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by akasakatei | 2005-09-28 22:41 | 地域 | Comments(0)

向島小望月(まつよいひゃっかえん)

 仲秋の名月の前夜、季語でいう待宵を向島百花園に川口の清掃職人と愛でに行く。
 月は、日本人にとって、特別な思い入れがあるもので、古典にもしばしば登場する。そこにおける作者の心情は、時の溝はあるものの、今でも共感出来る。
 百花園内は、先日の虫聴きよりも、足を向ける人が多く、飾られた薄や里芋、栗などを月とともに携帯電話を使って撮影をしている。
 園内は樹木が茂っていることもあり、月自体が見られる場所は限られるけれど、先日とは異なり、朝晩も過ごし易くなったため、虫の音も澄んでいる。尤も、佐貫の酒仙に言わせると、佐貫はオーケストラで、ここはラジカセの音質ということになるが。
 それでも、都内にこうした場所があるのは貴重である。虫の音に混じり、琴の調べが聞こえてくる。雅な感じである。
 西洋人には虫聴きの習慣はなく、ただの雑音にしか聞こえないらしいが、勿体無いことである。
 現代では月見の習慣はなくなりつつある。元々、これは稲の収穫と関係があるからで、農業人口が減った今では仕方ないことなのかもしれぬが、それは寂しいことである。四季のある国に住む以上、それらを楽しみたいと考える。
(第七百五十八段)
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by akasakatei | 2005-09-27 22:10 | 余暇 | Comments(0)

仮面人生劇(きつねとたぬき)

 来月の国立劇場における予約した歌舞伎のチケットを取りに行く。国立劇場は隼町にある。故郷とも近く、空を眺めると、住んでいた頃を思い出す。
 我々は何のために生きているのか、と上を見ながら思う。
 現代社会を生きていくことは厳しく、多くの人はストレスを抱え、健康と引き換えの感さえある。
 このような診察券が勲章代わりの社会は疑問である。
 どう考えても、人々は地位、名誉、金のためにしか生きておらず、そこには文化の匂いはない。
 これだけの人生、何を楽しみとしているのか。
 また、自分らしく生きている人はどのくらいいるのか。
 他人より面食らう指摘を受けることもある。
 ある人は、普段、おっとりしているので、お利口さんに見られる眼鏡を掛けている。このため、遣り手と言われるようで、上司より能力以上の仕事を押し付けられ、困っている。
 更に、別の人は外では穏やかな性格と言われているようで、実際の本人は家では結構怒っている様子である。
 こう考えると、我々は誰もが人生劇場における役者で、一生、誰かに理解されることはないのだろう。
(第七百五十七段)
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by akasakatei | 2005-09-26 09:18 | 社会心理 | Comments(0)

荒夏病退散(しんしんかつ)

 夏バテが治らない。つい、先は長くないと考える。ストレスも溜まり、円形脱毛気味である。
 精神状態が悪く、発売されたばかりの来年の運勢暦を買い、風呂に入浴剤を入れ、リラックスしようとするものの、元々が烏の行水のため、効果はないようである。第一、秋の花粉症か、鼻が詰まる。
 また、音楽も試す。音楽で癒された話しはよく聞く。クラシックを聴いてみる。
 だけれど、先日の新聞で、坂本龍一氏が音楽の癒しの効果に関して、論じていた。それによれば、どうやら、本当に辛い時、音楽は聴く気にもなれないものらしい。
 こうなると、これも前に新聞のテレビ欄で紹介されていた放映中の『仮面ライダー響鬼』で、細川茂樹氏演じる主人公の台詞である「自分に負けないために、心を鍛える」他なさそうである。
 とはいえ、心を鍛えるとは何か。坐禅が浮かぶ。
 夏バテに精神的な修行もどうかと思うけれど、掛かり付けの内科医は、寝ることと温かい食べ物を摂るようにとのことである。抜本的な治療法はないようである。
 寝ることと簡単にいうが、こう暑いと熟睡も出来ず、誠に悪循環である。
(第七百五十六段)
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by akasakatei | 2005-09-25 10:50 | 福祉 | Comments(0)

金地位名誉(もうじゃのどくが)

 我々は常に先のことを考えて今を生きていると思われる。けれども、多くの人は、実際には、思いもしなかった人生を歩んでいるのではないか。今年、「想定内」という言葉をよく聞いた。そうした人生を歩んできた人は何人くらいいるのだろう。
 前者のような人は、出勤を控えた日曜の夜には、このまま人生が終わることに虚しさを覚えるに違いない。
 つい、過去を振り返り、間違った選択を悔やみ、残された時間に不安を覚えるはずである。
 どうして、我々は最良の選択をしたのに、後悔することが多いのか。人生とは後悔の連続ともいえるかもしれない。
 こうした背景を探れば、人により事情は異なるが、まず、現在、満たされた生活を送り、それを守ろうとして将来に対し不安になるともいえる。日常が壊れることを怖れているのである。
 また、もうひとつは、本当に不幸の連続という場合である。こちらの方は本人を取り巻く環境の問題となる。
 何れについても、予想し切れなかった出来事がその原因である。これは行動の選択における失敗を意味するものの、情報が溢れている現代社会において、他人の行動を予想するのは難しい。
 特に、営利を目的とする組織に身を置く者は、日々、こうした中で生きており、選択の失敗の結果、いつ不幸が訪れるか分かったものではない。
 このように考えると、笑っていられるのは身分が保証されている者か、人事や財力を握っている者である。最後に笑うことが出来るのは、欲が人一倍強い者だけである。
(第七百五十五段)
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by akasakatei | 2005-09-24 16:23 | 産業 | Comments(4)

災害徒歩験(てんさいへのそなえ)

 災害時における緊急用の地図が売れているという。
 大地震が首都圏で言われ、どのくらい経つだろう。最近、地震が多く、誰もがそれに対し、近いと感じるに違いない。
 以前より、地図で仕事場のある日本橋より自宅までの道は確認している。但し、歩いたことはない。歩いたことがあるのは、日本橋より渋谷経由の下北沢・梅ヶ丘、祖師ヶ谷大蔵から自宅までである。途中が抜けている。
 そこで、西新宿に用があったついでに、代々木八幡へと歩く。この間のうち、南新宿については何回も歩いている。今回は新宿中央公園を横目に歩く。車窓と異なり、また地図では把握出来ない路地も多い。
途中、コンビニでお茶を買う。休憩を兼ね、現在地を地図で確認する。側を走るのは首都高速のようで、その下に児童遊園がある。日陰である。このような場所で遊びたがる子供がいるとは思えず、行政は何を考えているのだろう。こうした公園は多く、行政特有の仕事と感じる。
先を急ぐ。屋敷町に出る。
 ここは高台で、下へと通じる坂が幾つもある。どの道を行こうかと思っていると、下より長いお姫様が着るような服装をした若い女性が自転車を必死にこいでくる。スカートが今にもタイヤに巻き込まれそうである。
 それにしても、先ほどから線路を一度も見ていない。不安を覚えた頃、踏切の音が聞こえる。どうやら、参宮橋と代々木八幡との中間と思われる。
 頭に描いていた地形と異なり、やはり、一度は災害時に備え、歩かねばならぬことを再認識する。
(第七百五十四段)
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by akasakatei | 2005-09-23 22:54 | 福祉 | Comments(2)

上層力(ろくじゅうねんまえのひげき)

 前に、パソコンのキーボード「@」が壊れたことを書いた。それから、半年以上が過ぎ、次に壊れたのは「L」である。
 櫛の歯が抜けるといえば良いのか、それとも、抜け毛か、何れにしろ、値段の割りには簡単に壊れると思う。
 たぶん、メーカーが外資系のいい加減な会社だからだろう。今度、買い替えを検討する時は、話しの通じない外資系よりも国産にしようと考える。
 とはいえ、国産でも話しの通じない会社は多い。
 そういうところは、総じて、外資系特有の合理化とは反対な親方日の丸のような殿様商売が多い。
 鉄道会社に目立つ。
 それでも、女性車掌や女性専用車などを導入した。この背景に、ジェンダーを意識したのか否かは知らないものの、利用者からすれば、前者は兎も角、後者には意味が感じられない。
 先日より、JR中央線も東京寄りの先頭車をそれにした。このため、それまでは一両における乗客数が上手く分散されていたのに、不均衡が生じ、他の車輛の混み具合がひどくなった。改悪である。
 何はともあれ、企業のみでなく、社会形態を見ても分かる通り、トップに変な自信があると、その先の道は同じところを歩むことになる。
(第七百五十三段)
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by akasakatei | 2005-09-22 22:21 | 産業 | Comments(0)

狂甘味(かいこうむねやけ)

 普段、家での夕飯は遅く、九時を過ぎる。当然、食後に甘い物を食べようという気にはなれない。
 先日、珍しく、アイスクリームがあったので、口にしたところ、あまりの甘さに気分が悪くなる。
 今時、これほど後味の悪い、しつこいアイスクリームがあったのは驚きである。製造元を確認すれば、四国の会社である。
 昭和五十年前後では、それこそ、今とは異なり、味付けがしつこいものが多かった。特に、甘い物ほど、その傾向が強く、このため、洋菓子は嫌いだった。口にさえ、しなかった。
 それが、変われば変わるものである。今では、あっさりしたものが増えた。
 こうした流れは、健康に良いだろう。
 とはいえ、未だに、居酒屋に行けば、メニューに並ぶのは、揚げ物や辛くて濃い味である。酒で舌の感覚が麻痺することもあるだろう。
 それでも、閉口する。
 繊細な味を好む者としては、そうした店は敬遠したく、例え安いとしても、量よりも質を楽しみたい。
(第七百五十二段)
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by akasakatei | 2005-09-21 22:31 | 余暇 | Comments(0)