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筑波新都市鉄道(つくばえくすぷれすかいぎょう)

 八月二十四日、首都圏新都市鉄道、通称、つくばエクスプレス(以下、TX)の秋葉原からつくばの五十八・四キロが開業した。開業当日の模様はテレビや新聞で報じられ、それによれば、一時、乗車出来るまでの待ち時間が三時間に達したという。
 これから考えると、普段は鉄道について無関心の層も内心では興味があるということだろう。
 そういう点からすると、夏休みの最後の週末など、どれほど混むのだろうか。
 これまでの経験、例えば、地下鉄の延長開業では、かなりの混み具合で、切符を買うのにさえ苦労をした覚えがある。
 内心、覚悟をしながら、八月二十七日、JRの秋葉原の改札を抜ける。
 TXの秋葉原は地下にある。最初、地下に下りる入口に行列がないことに、まず安堵する。
 行列といえば、五月に行った愛知万博を思い出す。あの時も、リニモに乗るまで大変であった。
 ところで、この日、TXにおいて、行列が全くなかったかといえば、そうでもなく、長い階段を下り、切符を買おうかと思えば、ここで行列に接する。
 列の最後尾を教えるプラカードを持った警備員がいる。
(第七百三十一段)
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by akasakatei | 2005-08-31 22:43 | 地域 | Comments(0)

谷中豆富尽(ささのゆき)

 レストランを出、東京に戻ることにする。佐貫の酒仙も東京に出る。酒仙の家を考え、船橋辺りで飲もうかと思っていたところ、時間は未だ二時半近くで、店は開いていない。
そこで、二月の江戸年中行事追体験で、酒仙が行きたいと言っていたけれど、訪れることが出来なかった谷中に行くことにする。また、そこまで行くならば、鶯谷近くの江戸から続く豆富料理店に足を向けるのも悪くはない。
 谷中は日暮里より近く、京成で一本である。佐倉から特急で約一時間なので、時間的にも良い。ただ、車内は海外からの帰国者で座れない。座れたのは津田沼を過ぎた頃である。
 日暮里で下車し、酒仙の行きたがっていた谷中銀座を歩く。ここには店主と客の日常の会話が残る。挨拶が自然に交わされる。
 この後、鶯谷の豆富料理店に行く、下足番がいる。
 座敷に座ると、滝が見える。ここの名物は餡掛豆富である。まずはそれを頼む。
 漸く、味において江戸年中行事追体験らしくなった感じがする。ただ、ここは食がメインであり、酒に関してはやや物足りない。そうした中、目を引いたのは豆富のワインである。豆富は繊細な味だが、これには果汁が入っていることもあり、甘味が強い。それでも、ボトルが空になる頃には確実に酔いは回る。
(第七百三十段)
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by akasakatei | 2005-08-30 22:03 | 余暇 | Comments(0)

古代米昼食(こだいのあじ)

 変化朝顔には種が出来ないものと思っていたけれど、そうではないことを知る。案内書を購入したところ、おまけとして種を貰った。不思議に思っていたが、これで納得する。
 種は青桔梗渦葉紫爪覆桔梗咲のもので、五月中頃に蒔くようにとある。来年になったら、やってみようと思う。
 佐貫の酒仙はデジカメで撮影をしている。
 その間、苑内を歩けば、瓢箪や弟切草などがある。これで入苑料百円は安いだろう。ただ、地元からは遠過ぎる。
 ひと通り見、苑を後にする、
 時間は一時近くで、博物館内にあるレストランで昼食とする。駅までは歩いて十五分くらいなものの、この暑さの中、持ちそうにない。
 ここでは白米の代わりに、古代米を使っている。一見、普通の赤飯のようである。酒仙はカレー、こちらは佐倉味噌を使った魚の包み焼きとする。
 酒仙はウエイトレスに、カレーはかなり辛いとの注意を受ける。カレー好きの酒仙によれば、確かに辛く、それでも八百円でこの味は満足とのことである。尚、包み焼きは飲み物が付き千二百円である。
(第七百二十九段)
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by akasakatei | 2005-08-29 15:07 | 余暇 | Comments(0)

佐倉変化朝顔展(えどのあさがお)

 小学校に入り、初めての夏休みで思い出すのが、朝顔の観察日記であろう。
 大人になるにつれ、それは忘れられ、朝咲くことさえ気にしなくなる。
 例えば、入谷の朝顔市も本来ならば、朝に行った方が楽しめる。それが、日常で朝咲くことを忘れているものだから、昼頃に行くことになる。
 朝顔のこうした性質を知らなかったわけではないけれど、佐倉は遠く、そこに着いたのは昼近くである。
 二十日、国立歴史民俗博物館内にあるくらし植物苑での特別企画「伝統の朝顔」を佐貫の酒仙と見に行く。
 ここの博物館を訪れたことは十年前に一度あるものの、植物苑は初めてである。佐倉城址にそれはある。これで頭に浮かぶのは歌舞伎の『佐倉義民伝』である。
 尤も、今回の目的は変化朝顔である。これは江戸で流行した。普通の朝顔とは異なり、花や葉が面白い形をしている。これは現代では、大学院レベルの力がないと出来ないらしく、それを江戸の庶民が行なっていたのだから大したものである。
 昼近いこともあり、多くの花は萎れている。そこで、葉を楽しむ。
 売店にあった『伝統の朝顔Ⅱ 芽生えから開花』(国立歴史民俗博物館)を購入する。それによれば、種の出来る正木系統と出来ない出物系統があるという。
(第七百二十八段)
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by akasakatei | 2005-08-28 23:43 | 教育 | Comments(0)

怪文書内容(れいせいなこころ)

 川口の清掃職人よりメールが届く。その内容は、かつてのチェーンレターのようなもので、誰かに回せという趣旨である。
 察するに、清掃職人は、最近、メールを再開し始め、それで思わず送ってしまったのだろう。
 これについて、後日、清掃職人より連絡がある。佐貫の酒仙より気を付けるようにとの注意があったという。
 ところで、届いたメールの内容を分析すれば、まず月日と曜日が間違っている。また、このメールがどこまで繋がるかを実験中とあるけれど、それをどうやって最初の発信者は知るのだろうか。お粗末な内容である。
 この種のものは、昔よりあり、先のチェーンレターについても、中学時代に国分寺の師匠より届いたことがある。
 都市における怪しい現象、これはいつの時代にもあるものなのだろうが、個人の良識ある行動が望まれる。
 最近は何も考えず流される者が多く、冷静になって判断して貰いたいものである。
 大衆や群衆の心理はいつまでも変わらないものなのだろうか。
(第七百二十七段)
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by akasakatei | 2005-08-27 23:50 | 情報 | Comments(0)

骸骨車(ゆめとともに)

 先日、ある雑誌に目を通していたところ、小田急九000型が年度内で全車輛が廃車されることを知る。これはかつて千代田線への乗り入れ用だった。
 故郷にいた頃、よく利用した線は千代田線である。この線には常磐線と小田急線が乗り入れを行なっていた。このため、各社の様々な車輛が走っていた。
 今でこそ、車輛に興味はないけれど、その頃、好きだった車輛が、営団(当時)六000系と先の小田急のそれだった。
 特に、後者については、中学入学時から高校一年まで毎日学校帰りに乗っていた。残念ながら、高校二年になると、時間割が増え、乗れなくなった。
 その頃の生活を振り返れば、授業は、午後一時五十分には終わり、特に、クラブ活動もしていなかったので、確か、吉祥寺から十四時二十三分発の急行渋谷行きに乗り、同四十分には渋谷に着いた。そこから、銀座線で表参道に出ると、いつも、千代田線では小田急の車輛による綾瀬行きであった。
 そのような懐かしい車輛だが、初めて乗ったのは乗り入れ開始の当日である。
 印象は窓が大きく、車体幅も広く、小田急に接したことがない者にとっては、珍しく、嬉しかったのを覚えている。今、その沿線に住み、車輛に関心がなくなると、単なる日常光景のひとコマとなってしまった。
(第七百二十六段)
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by akasakatei | 2005-08-26 22:04 | 産業 | Comments(0)

乗合車地図(けいとうあんない)

 都内を鉄道で移動する者にとって、当然のように通りの名前を言われても分からない。
 また、都内を歩くことが好きだからといって、通りの名をよく知っているわけではない。歩く者は大通りよりも裏道を好む。
 通りの名が通じるのは、車を運転する者だけだろう。
 だから、地元の道さえ名前を知らない。
 例えば、昨年、地元に新しい系統のバスが走り始めた。交差点や通りでルートを示す案内が入って来たものの、正直、どの辺かよくは分からなかった。
 そうした折り、書店に行ったところ、『東京全域バスガイド』(人文社)が目に止まった。
 頁を開けば、地図にバスルートが示されている。これにより、初めてどこを走っているかを知る。
 この本は、二十三区は勿論、多摩に関しても出ている。
 試しに、バス通いをしていた大学近辺を調べれば、意外に多くの系統があり、停留所名が変更されているところもある。
 もう一度、バス通いをしたいとは思わないけれど、四年間を懐かしく思う。
(第七百二十五段)
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by akasakatei | 2005-08-25 22:15 | 地域 | Comments(0)

新河岸大川上流(おおかわしちへんげ)

 新河岸川の小豆沢までの両岸には釣り人が目立つ。水上バスは水を分けて進む。分けた水が両岸に達し、土を舐める。 
この辺は川口の清掃職人宅の近くである。また、春に桜草を浮間船渡に愛でに来たけれど、小豆沢発着所よりちょっと行った場所である。
 小豆沢発着所に着く。ここで結構降りる。そういえば、荒川に入った頃より、乗客は大分減り、船内は静かになる。人が少なくなったこともあるものの、疲れもあるに違いない。時間調整をした後、新河岸川を戻り隅田川に入る。
 隅田川のうち、下流は、これまでにも船上より眺めたことがある。上流は未だない。
 神谷、荒川遊園と過ぎる。これから潜る千住大橋は千住の写真家の地元である。
 やがて、白髭橋が近付く。ご主人が言う。「ここら辺は関東大震災や空襲でも燃え」ず、どうやらそれは風向きの関係だったらしい。
 桜橋に差し掛かる。昨夜観た『隅田川続俤串田戯場法界坊』はここら辺が舞台だったことを思い出す。
 老夫婦が下船するため席を立つ。途中、菓子を貰い、その礼を述べる。
 ここまで来ると、両国はすぐそこである。
 今回、水上バスより東京を眺めた。東京湾付近と荒川と隅田川の上流付近では、その表情は全く異なる。特に、隅田川ではそれが目立つ。
 今後も機会があれば、川より東京を眺めるつもりでいる。
(第七百二十四段)
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by akasakatei | 2005-08-24 22:42 | 余暇 | Comments(1)

荒川午後下(あらかわのごご)

 荒川を行き交う船は少ない。人工の川である。今回、ご主人は荒川を詰まらないと言ったが、個人的には東京湾よりここが目的だった。というのも、東京の川を知るためである。
 荒川を航行する水上バスは、今、航行しているものの他には、同社における土曜の「江戸東京ぶらり旅コース」しかない。
 そういった視点でいえば、荒川からの眺めは滅多に見られるものではない。
 隅田川と比べ、両岸には高い建物がなく、空が広い。潜る橋毎に持参の地図で確認するものの、鉄道の橋以外は馴染みがない。
ご主人は車好きで、今でも九州や東北まで自分でハンドルを握るようで、橋を潜る度に、どの道かを教えてくれる。尤も、ハンドルを握らない者には教えて貰っても、今ひとつどこかは分からない。
平井を過ぎ、隅田水門を左手に見る。土曜のコースはここより隅田川に入る。
京成本線、東武伊勢崎線、常磐線の橋を潜り、西新井橋が近付くと、遠くに来たことを実感する。やがて、岩淵水門が見え、ここに入り、新河岸川の小豆沢を目指す。
(第七百二十三段)
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by akasakatei | 2005-08-23 22:00 | 余暇 | Comments(0)

浦島的東京湾景(うみよりりくへ)

 浜離宮を出ると、レインボーブリッジが見える。この景色を映像ではよく見るものの、間近で眺めるのは初めてである。ただ、新しい東京は地理感覚がないため、どこら辺なのか今ひとつ分からない。それに、車が主に使う橋のイメージがある。映像で接していても、橋自体に馴染みはない。歩行者用の道もあるらしいが、生活に密着している印象はなく、果たして、歩く人がどのくらいいるのか。
 橋を潜り、お台場海浜公園、船の科学館と続く。
 老夫婦より、四十年ほど前に浅蜊を採りに来た話しや後者にある南極観測船・宗谷について聞く。また、そこに展示されている模型の素晴らしさを教えられる。ご主人は東京には良い場所が多いという。
 東京湾に出ると、波が荒く、結構揺れる。他の船の影響もあるだろう。
 船で見た範囲では、予想以上に、東京湾は開発され、かつての面影はない。若者の姿が目立つ。昔の殺風景さはない。ここには映像における世界があるばかりである。
 浦島太郎の心境で、葛西臨海公園を眺める。ここも海だった場所である。
 東京湾より荒川に入る。
 ご主人によれば、荒川の景色は東京湾より悪く、面白くないとのことである。
(第七百二十二段)
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by akasakatei | 2005-08-22 08:40 | 余暇 | Comments(0)