<   2005年 06月 ( 30 )   > この月の画像一覧

江戸外国公使館(みなときょうどしりょうかんとくべつてん)

 白山を後にし、三田にある港郷土資料館の特別展『江戸の外国公使館』を訪れる。
 前に、東禅寺を訪れたことは書いた。この近くには、他にもフランス公使館だった済海寺、アメリカ公使館だった善福寺があり、この後に訪れてみようと思う。
 学生時代、『日欧交渉史』の講義を履修していた。担当は、小手指のとっつあんである。とっつあんはゼミを持っていなかったこともあり、私淑という形であったけれど、卒業後も、とっつあんの新刊が出る度に購入した。
 このため、概論的には掴んでいるけれど、実際の資料に触れるのは初めてである。
 目を引くのは、ハリスのサーベルや懐中時計、それにヒュースケンの洋服であろう。特に、ヒュースケンは暗殺されただけに、印象に残る。他にも、御殿山の公使館の焼討事件や文久遣欧使節団の肖像写真などもある。
 最近、入場料が高い施設が多いこともあり、これで入場無料なのは嬉しい。
(第六百六十九段)
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by akasakatei | 2005-06-30 21:49 | 国際 | Comments(0)

白山紫陽花(あじさいまつり)

 十八日、白山神社に紫陽花を愛でに行く。これは、江戸年中行事追体験ではなく、花そのものが目的である。
 江戸では紫陽花を楽しむ習慣はない。これは、花の色が変わることと無関係ではない。当時の武士が心変わりに通じるということで、嫌ったためである。これが庶民にも広がったわけである。江戸では、義理や人情、礼儀を重んじる。
 今では、そうしたことも忘れられ、多くの人が訪れている。この日は晴れており、紫陽花はやはり雨が似合うと思うので残念である。
 それでも、様々な色の花が目を楽しませる。土壌により色が変わるけれど、手入れも大変だろう。
 ここの紫陽花は神社のため歴史があると思われるものの、実際には未だ二十年ほどである。ということは、わざわざ植えたのか、それとも、元々あったものを利用したのか。
 どちらかは知らないものの、出店もあり賑わっている。
 ところで、ここにはこの時期にか開放されない浅間神社がある。紫陽花で覆われた小高い山である。浅間というからには、富士講と関係があると思うのだが、意外なことに、どこの文献にも出て来ない。
 登るため、列の後に着く。携帯電話のカメラで写真を撮っている人が多く、なかなか先に進まない。
(第六百六十八段)
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by akasakatei | 2005-06-29 21:40 | 余暇 | Comments(0)

生命帳(ほしのしはい)

 先日、コクーン歌舞伎に行ったことは書いた。これは南北物である。鶴屋南北で有名なのは『東海道四谷怪談』である。
 実は、これらの芝居、役者が成駒屋の時、どうしてか観た翌日に、右の白目から出血する。掛かり付けの眼科医は大丈夫と言うものの、内心は不安である。
 確かに、この症状について、どういう理由で起こるかは分かっていないようである。ただ、当日の行動を考えると、疲労ではないかと思う。祟りではないだろう。
 こういう時、思い出すのは高校時代に家人の知人にやって貰った姓名判断である。当時は高校三年で、進路をどうするか決め兼ねていた頃である。判断材料のひとつとした。
 また、それには職業の他にも、病気や結婚などの項目もあり、十七歳には関係のないものであったが、覚えているのは、病気には目や泌尿器関係、痔などに気を付けるようあり、また、結婚に関しては女難と書いてあったことである。
 これらのうち、結婚はしなくても良いが、病気については、それこそ、あまり門を叩きたくない科ばかりである。
 意識し過ぎるためか、それ以来、体調には敏感になった気がする。
(第六百六十七段)
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by akasakatei | 2005-06-28 21:38 | 情報 | Comments(0)

再下部構造(あかいはた)

先日、珍しくコメントが書かれていた。前に地元の駅におけるアルバイトに関して書いたが、それに関する意見である。その方は高校生で某私鉄においてアルバイトをしているという。
それによれば、アルバイトでも教育は厳しく、仕事に対し誇りを持っている様子である。
別段、アルバイトに関し、偏見があるわけでもなく、地元の鉄道についていえば、社員でも基本がなっていないため、不安なのである。ある一部の者が目立つため、他の者も同様に思ってしまうのである。これはどのような組織、集団でもありうることである。
そう考えると、ブランドを強くするための行動とは難しい。全員が一丸となって、目標に向かわなくてはならず、プライベートでも、各々の行動には気を付けなくてはならない。
それを意識すれば下手な行動をしないはずなのに、実際にはそうでもない。これは不思議である。
最近の企業は、労働者に対し、何らかの口実を付け、追い込もうとする。労働法では対等となっているものの、現実には異なる。また、企業に忠誠を尽くしても、定年まで面倒を見てくれるわけでもない。こうしたことを考えると、ひと昔とは違い、生きる厳しさを肌に感じる。
(第六百六十六段)
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by akasakatei | 2005-06-27 22:07 | 産業 | Comments(1)

下駄占(ねこにきけ)

梅雨に入り、傘が手放せない。鞄にはいつも折り畳みが入っている。こういう状態だと、天気予報を確認する必要もないのだが、毎朝、出掛ける前には目を通す。
これは何を着ていこうかと思うからである。
最近、世間では首相を筆頭に軽装である。定着するか否か、興味深い。過去、半袖のスーツにネクタイ姿で省エネルックと言って、これも当時の首相が着ていたけれど、結局、定着しなかった。
とはいえ、今回、多くの民間企業で、軽装になったかといえばそうでもない。相変わらず、スーツにネクタイである。
仕事場でも同様である。出掛けに何を着ていくかと迷うのは、その日の天気次第で、何色にしようかと思うためである。
例えば、黒系ならば濡れても目立たないものの、グレー系だと目立つ。現在、上着、ズボンを上下で別々にしており、ズボンの色は黒、グレーが半々である。見た目はグレーの方が涼しそうだけれど、濡れたとなるとすぐにグレーはクリーニングに出さないとならない。
先日も、それが雨に濡れクリーニングに出し、戻ってきた日、天気予報では曇りだったので、着ていったところ、天気予報が外れ、すぐに出さなければならなくなった。予報士は何をしているのか。外れても、自然相手だから、我々は文句も言えず、そうした視点からすれば、予報士とはなかなか気楽そうな商売である。猫に訊いた方が未だ当たるかもしれない。
(第六百六十五段)
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by akasakatei | 2005-06-26 22:05 | 社会心理 | Comments(0)

今昔様浮世風呂(せんとうもよう)

銭湯には週に一回定休日がある。地元のそれでは、北は月曜日、南は火曜日である。
最初は気分でどちらを利用するか決めるつもりだったのに、主に、北のそれを利用している。これは南だと、駅近くにある関係上、擦れ違う人が多く、風呂敷を手にしていると目立つためである。勿論、風呂敷には必要な一式が入っている。
風呂敷を使うのは、風呂敷と書く以上、風呂で使うものと思うからで、事始は脱いだものを畳んだと思われる。
現在、こうした使い方をする人は少なく、どちらの銭湯とも見掛けなかった。
それにしても、偶に違う銭湯を利用すると緊張するのは、ホーム球場やビジターの違いかもしれない。余所者扱いになるからだろう。
ある本によれば、一般的な町中の銭湯は社交の場で、礼儀に煩く、洗う場合は出入り口近くで、釣銭のないように支払わないといけないという。
そこで細かい硬貨がなかった時、先日書いた猫の貯金箱よりいくらかを借りる。尤も、銭湯に財布を持って行くかどうかは考えものだろう。というのも、昔みたいに番台があるわけではなく、脱衣所を見回している人がいないからである。
だからといって、盗みが出来るわけではない。篭の代わりに、鍵付きのロッカーになったからである。
(第六百六十四段)
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by akasakatei | 2005-06-25 22:03 | 地域 | Comments(0)

文化木戸銭(すうじのじゅつ)

七月の歌舞伎座の演目は昼夜同じである。歌舞伎座では珍しい。恐らく、新作ということも影響しているのだろう。
例によって、七月も希望する席は取れず、予算オーバーである。予約開始から一時間しか経っていないのに、この状況である。ネット予約と無関係ではないだろう。尤も、それはクレジット決済なので、若者、特に学生にとって、敷居が高いと感じるのではないか。そうした点、国立劇場の方がネット予約でも、現金を認めているので、カードを持たない者でも足を運び易い。
だけれど、デフレと言われて久しいのに、芝居や美術館などの料金、本のそれが高いのは不思議である。これについては、前に鵠沼の大家と話したことがある。話してみたものの、そのカラクリまでは分からなかった。飲食物や洋服などが安くなっているのとは対照的である。
これは、必需品か否かの違いだろう。また、洋服や飲食物など、目に見えるかどうかなのかもしれない。
文化的なものを数字に置き換えるのは確かに難しい。とはいえ、人生を豊かにするには大切なものである。もっと気軽に触れられるようにならないと、これからの時代、無味乾燥な人生を送る人が増えると思われる。目先の利益よりも裾が広がるように関係者は考えるべきである。
(第六百六十三段)
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by akasakatei | 2005-06-24 22:01 | 余暇 | Comments(0)

渋谷歌舞伎(さくらひめかんげき)

 球場を後にし、渋谷のコクーンに向かう。
 ここでは、隔年でコクーン歌舞伎が行なわれている。これまで、二度ほど観劇している。今年の演目は『桜姫』である。襲名の影響で、今年、中村屋は出ず、中心となるのは、成駒屋である。どういった芝居となるのか。
 今回、平場を希望したが、予約電話が繋がった開始から十分で、既に売り切れで二階席である。
 コクーン歌舞伎は新演出で若者を中心に人気がある。ただ、歌舞伎座や国立劇場で未だ観たことがない者としては、残念ながら比較のしようがない。また、イヤホンガイドもなく、事前にある程度、勉強しておく。尤も、何の予備知識もなく、楽しめればそれに越したことはない。
 幕が開くと、まず、狂言廻しが出る。これは役者ではなく、ミュージシャンである。これだけでも驚かされるけれど、更に驚かされるのは舞台である。
 一般的に、歌舞伎では登場人物がひとつの間に揃い、それで台詞を交わす。ここでは、登場人物毎に、車に位置する。このため、普段、観慣れた芝居とは異なる。他にも、上下空間を使い、スピードを試みている。但し、これは前半だけである。
 後半、観慣れてきたこともあり、違和感はなくなり、芝居は進行する。大詰め、狂言廻しのミュージシャンがサックスを演奏する。
拍手のうちに、幕が閉まる。
(第六百六十二段)
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by akasakatei | 2005-06-23 21:51 | 文芸 | Comments(0)

浴梅雨神宮(だいがくやきゅうかんせん)

 前日に梅雨入りした十一日、神宮球場で行なわれている全日本大学野球選手権に行く。昨年も足を運んだが、今年は新聞社の招待券を持っている。尤も、入れるエリアは決められており、一塁側か三塁側である。ここはまず座ることのない場所である。
 ところで、自分の財布が痛んでいないこともあって、開門と同時に行こうという気がなくなる。実際、この日も眼科に寄ったりして、球場に着いた時には四十分が経過し、二回裏からである。また、夕方五時からは渋谷でコクーン歌舞伎である。その前に球場を出なければならない。どのようなイベントでもそうだけれど、招待券を使うと、つい有り難味がなくなる。だから、イベントを楽しむには、元を取ろうとするので、自らの財布から出した方が良いという。確かに、その通りである。
 とはいえ、この日の試合が楽しめなかったわけではない。いつもとは異なる視線なので、新鮮である。ただ、フライが見難い。
 二試合を観戦する。試合を行なったどの大学も関係がない。母校はリーグ戦で優勝出来ず、出場していない。
 観戦していて気付くのは、どの大学も少数ながら応援団が来ていることである。それが一体となり、母校を応援している。
 学生時代、一度も母校の応援に行ったことはない。高校とは違い、野球部の連中を知らないこともあり、遠い存在であった。それが卒業し、暫くして通うことになったことがある。日常に疲れ、学生時代が懐かしかった。けれど、在学者と卒業生との壁は感じた。
 それが影響したのか、進学を決めていた大学院の大学野球の試合を観に行ったことがある。明治神宮大会である。メガホンを持って応援をした。結局、進学しなかったものの、良い思い出である。
(第六百六十一段)
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by akasakatei | 2005-06-22 21:47 | 余暇 | Comments(0)

駅前店演習(のみやぜみ)

佐貫の酒仙と菖蒲園を訪れた後、近くの店で飲む。
この日は、本来ひとりで愛でるはずだったのだけれど、前夜、日付が変わる頃に酔った酒仙より連絡があった。渡したいものがあるので、時間を取れないか、ということであった。
これはPHSの電話料金が機種を変えたことにより、倍近く高くなり、安くなる方法について酒仙に依頼していたものである。酒仙はどういうわけか、機械に関しては人一倍熱心である。
それによれば、これまで使っていたPHSは音声中心の料金プランで、新しいものはパソコン同様に、インターネットのページが見られる機種である。この使い方を覚えるべく、色々と操作していたため、月末の電話料金が高くなり、それに合わせた料金プランにした方が良いとのことである。
この時、また、酒仙より、少子化と超高齢社会の新聞記事を見せられる。酒仙は、これらの問題について、寂しくなると言う。
何がどう寂しいかは、酒が入ったこともあり、詳細は訊きそびれたものの、この問題については前から書いている通り、行政の失敗である。
根本的には、先行きの見えぬ不景気が原因である。失業者や非正規雇用者の増加、正社員でも年収の減少がそれに現れている。また、婚姻しても、共働きでは時間的に育児は厳しい。こうしたことを考えると、経済的に余裕がある独身女性が、時間や経済を犠牲にしてまで結婚するかどうかは疑問である。得るものがあれば、失うものがあって当然で、これらをクリア出来る男性だけが家庭を持つことが許される。所謂、勝ち組である。
このようにグローバルに考え、目先のものだけ見ていると、物事の本質は分かってこない。
(第六百六十段)
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by akasakatei | 2005-06-21 21:45 | 余暇 | Comments(0)