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織田流活用(のぶながけいえいじゅつ)

 故郷の学級委員から聞いた話である。
 ある企業では、社員はサバイバル生活だという。というのも、新入社員はまず営業を経験させられ、そこでまず篩に掛けられ、その後も、数字に追われ、残せないと消えていくらしい。
 確かに、この方法だと、勝ち残った社員で形成される組織は少数精鋭ばかりで、強い集団ということになるだろう。尤も、裏を返せば、四番打者ばかりを集めた某球団との印象も持つ。
 野球と会社を同列に扱うことは出来ないと言う人もいるだろう。だけれど、企業が相次いで成果主義を取り入れてから、何年かが過ぎた。実際には定着したとは言い難い。これは、人の心理を無視したからに他ならない。
 社会には様々な人がいる。必要のない人間はいないという。組織もまた同様である。例えば、営業で数字が残せないとしても、数字に表れていない面での貢献があったかもしれない。結果ばかりに目を向けず、全体的に把握する必要がある。
尤も、こうした人材の場合は、営業よりも広報関係に向いているともいえる。そう考えると、企業が適材適所を行なっていないだけの話しである。
 世間では即戦力を求めるからか、ここを忘れている企業があまりにも多く、辞める人間が多いということは、逆に考えると、面接担当者の責任ともいえる。企業に相応しくないと思えば、最初から採用しなければ良く、まず採用してみてというのは、能力を試すといえば聞こえは良いものの、採用担当者に見極める目がないからともいえるだろう。
 何れにしろ、長期的展望に立てない企業に勝ち目がないのは疑いようがない。
(第六百八段)
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by akasakatei | 2005-04-30 21:01 | 産業 | Comments(0)

太子道(ひでるくにより)

 先に韓国や中国の反日感情について書いた。ここでは、中国の我が国に対するデモを考察する。
 まず、デモによる暴力に関し、中国政府は見て見ぬ振りをした。これは明らかに我が国への嫌悪感から来ている。その証拠にデモにより、大使館が襲われたのは我が国に責任があるとした。
 中国のこうした態度を考える時に忘れてならないのが、その中華思想である。経済、政治、確かに、最近における中国の役割は重要になっているものの、先のような態度を見た場合、国際社会では通用しないものである。こうした誤った態度をするのは、根底に中華思想があるからに他ならない。
 こうした結果、我が国の国連の常任理事入りへの反対、また教科書やガス田問題に繋がったと思われる。
 それにしても、中国は、我が国からの援助、また現地にある日系企業の存在により雇用があることを忘れているのではないか。
 我が国への中国の態度は明らかに許せないものである。こうした時、参考になるのが堂々とした態度だった聖徳太子である。中国に「日が沈む国」であることを分からせなくてはならない。我が国の政府には、この精神で低姿勢ではなく、強気の姿勢で抗議して貰いたい。
(第六百七段)
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by akasakatei | 2005-04-29 21:34 | 国際 | Comments(0)

夢高田山吹(ばしょうふるいけ)

 『東都歳事記』には山吹の名所がいくつか挙げられている。それらの多くについて、今日では偲ぶしかない。
 椿山荘を後にし、新江戸川公園を目指す。ここに山吹があると話しを聞いたことがある。実際、『東都歳事記』にも現在の新宿戸塚辺りが名所だったとあり、序に足を延ばしてみる。
 新江戸川公園は椿山荘の近くと聞いていたものの、道に迷い、日本女子大の先まで行ってしまい、交番で確認して、漸くのことで目的地に着く。
 江戸の地図ではここは細川家の屋敷で、それを利用して公園にした様子である。
 園内には池があり、大名庭園だった風情が残る。ただ、期待した山吹はあまりなく、椿山荘の方が咲いていた感じがする。
 そこで、ここからまた足を延ばし、甘泉園に行く。ここも、ある情報では山吹が咲くという。
 この園は都電の面影橋の近くにある。ここもまた大名屋敷だったという。
 入ってまず目に付くのは池である。そこに立て札があり、ここでコイヘルペスが見付かり、放流しないように警告している。池を覗けば、鯉の他に、オタマジャクシが沢山泳いでいる。こんなに見たのは子供の時以来である。
 ところで、肝心の山吹はここでもあまり咲いておらず、都内において、それを見る難しさを改めて知る。
(第六百六段)
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by akasakatei | 2005-04-28 21:00 | 余暇 | Comments(0)

関口椿山歩(ちんざんそうめぐり)

 浮間の後、椿を見に江戸川橋で下車する。『東都歳事記』や『江戸名所花暦』による名所で、現在でも残っている場所は少なく、辛うじて文京区関口辺りに残るくらいと思われる。とはいっても、そこは気軽に行き難い場所である。
 改札を出、地上に出る。ここら辺の裏道は坂が多く、散策するには楽しい。事実、これから向かう椿の名所までの目白坂には寺が連なり、どこも小さいながら緑がある。コンクリートで固められていないのが良い。
 坂を上がったところが、その目的地、椿山荘である。これが敷居の高い理由である。どうも馴染めない場所で、これまでも、椿の名所だったことは知っていたものの、これが原因で訪れたことはなかった。
 庭園にはどこから入れば良いのか、迷っていたところ、係りが来て、用件を訊かれる。ここを訪れる人間とは明らかに服装が違うので、質問をされたのか。
 彼に庭園の場所を教えて貰い、厚い絨毯の廊下を左右上下に行きながら、漸く庭園に出る。
 かなり規模が大きいものである。案内板によれば、七福神まである。また遠くには三重塔が見える。
 椿を愛でながら歩く。どういうわけか、街中の椿は未だ咲いているけれど、名所の椿は盛りを過ぎたようで、やや寂しい。ひと月ほど遅かったかもしれない。
(第六百五段)
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by akasakatei | 2005-04-27 21:07 | 余暇 | Comments(0)

浮間原桜草(さくらそうこうらく)

 現在、花見といえば桜を愛でるものだけれど、かつては梅や桃の他にも、椿や山吹、桜草も見に行ったものである。
 そこで、江戸年中行事追体験として、これらにも足を運ぶ。
 十六日、まず浮間に行く。ここには桜草圃場がある。公開されるのは桜草まつりの期間だけである。この桜草を栽培しているのが、浮間ヶ原桜草保存会である。
 貰ったパンフレットによれば、隣接する浮間ヶ池は元荒川の本流だったという。その頃は桜草が群落を作っていたものの、川の改修に伴い、それも破壊されたとのことである。
 今となっては想像するのも難しい光景である。だけれど、『江戸名所花暦』には、尾久原で行楽を楽しむ人々の画がある。それを眺めると、商人だろうか、毛氈が広げられ、重箱が置かれている。主人は杯を手に漁をしている船が浮かぶ川を見ている。使用人は酒の準備をし、娘は花を摘んでいる。
 また、大正には、故田山花袋氏の『東京近郊一日の行楽』が発売され、そこにも当時の美しい様子が書かれている。
 これが桜草の愛で方だろう、と思っていたところ、パンフレットによれば、江戸では飾り棚での鑑賞の仕方もあったらしく、再現されている。
 鉢に植えられており、そこには、江戸における園芸熱が感じられる。花好きだったことは有名な話しである。
 一方、現代はどうか。帰り道、このパンフレットが道端の植え込みに捨てられていた。捨てた人の神経を疑う。
(第六百四段)
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by akasakatei | 2005-04-26 21:06 | 余暇 | Comments(0)

舞台地散策(みえぬすがた)

 竹島問題以降、韓国を訪れる女性が減っているのか否かは知らない。『冬のソナタ』を観たことはないものの、その舞台を訪れる人の多さにまずは目が行く。我が国のドラマにおいて、こうした現象は聞かない。話題のドラマをほとんど観ている佐貫の酒仙の口からは、それに関した話がよく出る。それは出演者や筋、舞台にまで及ぶ。しかし、酒仙も含め、訪れた人の話は皆無である。
 それだけ、我が国のドラマがつまらないからか。それとも、他に理由があるのか。
 舞台を訪れることについては、芝居や映画、そして文学ではよく聞く。特に、小説の舞台を散策する人は多い。
 その理由を考えると、まず小説とドラマの性質の違いがあるだろう。小説は感動すれば、繰り返し読め、愛着が生まれるけれど、ドラマは明らかに視聴率が関係する。その関係上、再放送が望めない場合、DVDやビデオの助けを借りなければならない。何もしないでいると、時と共に、その作品は頭から消えてしまう。
 今回、海を渡る人が多かったのは、再放送の力と思われる。映画、小説、芝居、何れも、一度触れたものにまた触れることは可能である。テレビではこれは難しい。偶然、録画していれば良いものの、常にそうとは限らない。
 ここがテレビドラマの弱点だろう。
(第六百三段)
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by akasakatei | 2005-04-25 09:05 | 情報 | Comments(0)

落語独演会(ようきなはる)

 十日、地元のホールで開かれた「春風亭小朝の独演会」に母と足を運ぶ。
幸い、前日のアルコールは残っていない。前日が花見だったことは先に書いた。上野の山を降りた後、川口の清掃職人がかつて働いていた居酒屋で二次会を行ない、自宅に戻ると十時半過ぎである。その後、風呂に入ったりし、結局、床に入ったのは日付が変わってからである。この日は昼間から飲んでいたこともあり、次の日までアルコールが残らないか心配していたのである。
この日のチケットは早々に売り切れ、実際、客席は満員である。改めて、小朝師匠の人気に気付く。ロビーで近所に住む年配の女性画家であるKさんも来ている。挨拶を交わす。偶然だけれど、このKさんとは出身小学校が一緒である。
話している間に早くも開演時間になる。席は前から五番目の中央辺りである。
まず、前座が出て来るのかと思えば、鉄平師匠が出、『ざるや』で客席を沸かせた後、いよいよ小朝師匠が登場する。出し物は『桃太郎』を元にした新解釈の噺を社会風刺も混ぜ聞かせる。
十分の休憩を挟み、種平師匠が『素人鰻』を演じた後、再び小朝師匠が高座に上がる。
ここでは、先ほどとは異なり、上方落語の雰囲気となる。釈台が置かれ、新作を演じる。マイクで歌謡曲を歌い、芸達者なところを見せる。客席は爆笑の渦になる。誰もが満足し、家路に着く。
(第六百二段)
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by akasakatei | 2005-04-24 17:08 | 文芸 | Comments(0)

磯野家一番(あかるいにちじょう)

 世の中、紀行番組は数多くあるものの、その多くは芸能人が大騒ぎするものである。旅好きでも、眉を顰めたくなるに違いない。
 そうした中、NHKで九日に始まった『新日本紀行ふたたび』は良質の番組である。
 昭和四十年代に『新日本紀行』は初めて放送された。この番組は有名観光地を追い掛けず、また登場する人達も一般の方々である。今回は当時の映像も交え、登場した人のその後も追っている。地域の移り変わりなど興味深い。
 最近、NHKは色々と言われているけれど、番組の質の点から考えれば、やはり一番だろう。過去には、他にも『ふるさと伝承』などの番組があった。
 地域を知ることは重要であり、その大切さを思い出させてくれる。多くの人に観て貰いたいものである。地域を知るというと、祭りや伝統の継承を思い浮かべるかもしれない。確かに、それも重要なものの、そればかりが地域を知ることではない。何気ない日常における市井の人々の暮らしにそれがある。物がなくても、心豊かに毎日を明るく暮らすことこそが大切なのである。
(第六百一段)
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by akasakatei | 2005-04-23 21:06 | 家族 | Comments(0)

上野山花見(よざくらけんぶつ)

 南千住を後にし、上野に向かう。夜桜見物は初めてである。参加するのは、佐貫の酒仙、川口の清掃職人の他に、清掃職人の友達ふたりである。彼らとは初顔である。
 ここ数日が見所らしく、混雑する中、途中、食料を調達し、お互い見失わないよう、先へ進む。この時間で、桜の下に陣取ることは最早不可能に近いので、適当に空いている場所にシートを敷く。
 桜がないのは寂しいけれど、どこからか花弁が飛んでくる。子供の頃の遠足を思い出す。あの時は野外で弁当を食べることについて、特別の感慨などなかったけれど、この年になると、童心に戻ったようで、意外に楽しい。
 江戸における桜の名所は御殿山や向島、上野、そして飛鳥山など結構あった。これらのうち、上野では酒や音曲は禁止されており、夕方になると追い出されたという。これは将軍家の菩提所の関係である。
 そのような上野で飲んでいるのだから、江戸年中行事追体験と言いながら、勝手なものである。
 日が暮れ、灯りが点ると、更に賑やかさは増す。平和な光景といえよう。
(第六百段)
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by akasakatei | 2005-04-22 21:06 | 余暇 | Comments(0)

南千住桃見(うづきついたいけん)

 九日、この日は佐貫の酒仙や川口の清掃職人らと上野へ夜桜に行く予定である。四月の江戸年中行事追体験である。幸い前日と違い、風もなく穏やかな日和である。
 夕方からなので、昼間は、これもまた追体験で南千住の素盞雄神社へ桃見にでも行こうと思っていたところ、故郷の学級委員から連絡があり、渋谷で一時に四ヶ月振りに杯を交わす。
 昼だからか、酔いの回りが早く、三時過ぎに別れ、上野に向かうものの、時間に余裕があり、当初の予定通りに桃見を行なう。
 桃見は梅や桜ほど一般的でない印象を持つ。確かに、それらと比べ、名所も浮かんで来ない。
江戸では桃見はよく行なわれ、桜と異なり、酔っ払いがおらず、女性や子供でも安心して遊べたという。『江戸名所花暦』では中野の桃園の他に数ヵ所、また『東都歳事記』でも同様に何ヵ所かが記されている。
 残念なことに今日ではこれらは見る影もなく、都内で桃の名所を探すのは難しい。そうした中、珍しく桃見が出来るのが、これから訪れる素盞雄神社である。
 赤や白、桃色などの様々な花が咲いている。旧暦ではあと二日で桃の節句である。神楽殿や参集殿、そして境内には雛人形が飾られている。何段もの雛人形である。
 やはり、年中行事は現実に即した旧暦で行なうべきだろう。心なしか、人形の顔も日差しの中で嬉しそうである。
 また、境内には大銀杏や桜もある。時々、桜から花弁が散る。しばし、佇む。
(第五百九十九段)
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by akasakatei | 2005-04-21 22:02 | 余暇 | Comments(0)