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爺背羽麻輪(はるのかげ)

 ついこの間、正月を迎えたと思ったら、もう明日から二月である。日が夕方五時を過ぎても明るいはずである。年末にテレビでドリフの映画を観たのが遠い昔のようである。
 その映画はいつ製作されたのだろう。都電が写っていたので、昭和三十年代後半から四十年代前半であることは確かである。それにしても、ドリフ以外にも若き日のコメディアンが多数出演していた。だけれど、印象に残っているのは、高木ブーさんである。というのも、サングラスを掛けた姿が、北朝鮮の代表者とそっくりで、特に、顎の線が瓜ふたつである。
 ただ、体形だけを見ると、すぐに偽者だと分かる。北朝鮮がいくら貧しい国とはいえ、人民のものを搾取することにより、贅沢な物が代表者の口に入る体制になっている以上、高木氏でもあそこまで異様に太るのは難しい。
 ところで、貧しい国で思い出したが、アジア諸国におけるそうした国の子供らが、裏ビデオにおいて大人の相手の子役をしているという。たぶん、年末に逮捕された奈良の女児殺しの容疑者も、この種のものを観ていたのだろう。報道によれば、高校時代にその系統のアニメを観たことにより、幼児愛が目覚めたとのことだけれど、正直、余程出来の良い作品だったのだろう。
 一般的に、OVAはテレビと異なり作画レベルは高いものの、声については下手である。これはキャラクターを声優が担当せずに、素人同然の役者を使うからである。否、話題のアニメ映画を観ても分かるけれど、大物俳優を使っても、キャラクターに声が宿っていない例は多い。それが気になり、鑑賞に堪えられなかったという話しをよく聞く。そう考えると、かなりのレベルだったのかと疑いたくもなる。尤も、夢中で気にするどころではなかったに違いないが。
 何れにしても、太った独裁者や幼児愛者など、これらについては我が国においては早急に手を打たねばならない問題である。
(第五百十九段)
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by akasakatei | 2005-01-31 17:29 | 日記 | Comments(0)

後法心縁起(たいこうぼうだましい)

 先にスキミングに関することを書いた。摘発されたグループはゴルフ場で犯行を行なっていた。驚いたことには、そこの支配人までが加わっていたことである。このため、このゴルフ場の系列コースでも被害者が出た。
 被害に遭った会員は何ともいえないだろう。それにあまり報じられていないものの、これらのゴルフ場を経営する会社は昨夏に特別清算を申請した。よくあるように、預託金の返還が出来ないためである。正にダブルパンチである。そのダメージは計り知れない。
 それにしても、バブル経済の頃、各地で預託金を使ったゴルフ場が建設された。経営陣が預託金の意味を理解していたのかどうかも疑わしい。これが現在問題となっている。同時に、ゴルフ場を造ること、それは自然に手を加え、結果、環境破壊であることは間違いなく、被害が出ている場所もある。
 当時、何の疑問もなく認可が出、ゴルフ場以外にも、リゾート施設が多数造られた。今、それらを目にする度、バブルとは何だったのかと思う。
 あれから十年以上の時が流れ、自然環境への関心は保護へと変わった。特に、国内の生態系を崩す特定外来生物の指定にブラックバスが入る見通しになったのは画期的である。太公望や業界は反対しているものの、細かいことを言えば、釣りに使う撒き餌自体が生態系を崩している。それを考えれば、釣りそのものを禁止されなかった分だけ感謝しなければならないだろう。
(第五百十八段)
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by akasakatei | 2005-01-30 16:46 | 日記 | Comments(0)

諸亜国射掃(たいりくうちはらいれい)

 以前にも書いたキャッシュカードのスキミングを行なっていた犯行グループが摘発された。だが、これで安心は出来ない。未だ捕まっていない犯行グループもある。更に、手口が公開されたことにより、真似をする不届き者が必ず出て来る。
 この種の犯行について、各金融機関にキャッシュカードの対策について訊いたところ、具体的に考えている金融機関はほとんどなかった。つまり、金融機関の代表者の身内が被害に遭うか、政治家からの圧力がない限り、IC化や生体認証は進まないということである。
 こうなると、自己防衛しかない。普段、持ち歩くべきか否か。
持ち歩けば安心なものの、いつ金目当ての十代や掏りに遭うか分からない。最近では、アジアからの不法入国者が昼間堂々と車内で犯行を行なっている。
では、家に保管しておくべきか。これも意表を突く場所に保管しないと意味がないだろう。よく金庫にしまう人がいる。逆に、これは教えているともいえる。ならば、金庫を囮に使い、隠しておく他ない。
だけれど、これも絶対に安心とはいえない。かつては、空き巣だけ気を付ければ良かったものの、今日では強盗殺人が多い。それもキャッシュカードや通帳、印鑑を出させ、その上で暗証番号を聞き出してから始末をする非道さである。これもまたアジアからの不法入国者である。
こうした現実に立ち向かうには、やはりかつてのように共同体の機能が必要である。都市の魅力である匿名性はある意味では、犯罪を増やすことになる。
(第五百十七段)
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by akasakatei | 2005-01-29 20:59 | 日記 | Comments(0)

夷国社射掃(がいしうちはらいれい)

 現在、外資系のウイルス対策ソフトを使っている。それが前に不具合を起こしたことは書いた。使っているこれについて、メーカーに確認しようと思い、マニュアルで連絡先を調べたところ、ここもまたパソコンメーカー同様に、外資特有の不親切さである。というのも、土日、祝祭日、また朝十時から夕方五時以外は受け付けていないからである。ということは、平日、勤めのあるサラリーマンはどうすれば良いのか。疑問である。
そこで平日、カスタマーサービスセンターに電話を掛けると、ナビダイヤル非対応のために繋がらない。仕方なく、ストアショップにあったナビダイヤル非対応の場合の連絡先に掛け直し、番号を教えて貰う。
それにしても、このアフターサービスはどうか。売ることだけに力を入れ、顧客はどうでも良いということに他ならない。こうした商売では何れ顧客離れが生じるだけである。事実、教えて貰った番号に掛けてもなかなか繋がらない。それだけ、顧客のトラブルが多いということだろう。
待っている間、インターネットでも受け付けているとの案内が流れる。これは無神経である。ウイルス対策関係のソフトに不具合があるわけで、無防備に接続すれば更に危険度は増す。常識で考えれば分かりそうなことである。
 外資系は、どういう理由かは知らぬが、こうした滑稽な対応が目立つ。もっと大和心を勉強すべきであろう。
(第五百十六段)
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by akasakatei | 2005-01-28 21:07 | 日記 | Comments(0)

世田谷雨中(あめのさんぽ)

 十五分ほど歩くと、松蔭神社の門前らしき通りに出る。そこには未だ行ったことはない。今後、またここに来る機会があるか否か分からないこともあり、この際訪れることにする。
 東急世田谷線の線路を横切り、しばらく行けば、神社が現れる。墓地もあり、なかなか広い。雨の午後なので、訪れる人はいない。ここは近所の子供の遊び場というよりも、余所向けの神社の雰囲気である。
 ここに眠る吉田松蔭がそれを喜んでいるとも思えないものの、御賽銭を入れた後、吉田松蔭の墓に行けば、未だに墓地は広げているようである。募集の案内がある。
 墓地からいよいよボロ市に向かう。上町はふたつ先である。電車に乗っても良いが、距離的には大したことはなく、雨だけれど歩くことにする。どうやら、天気予報は今日も外れたようである。
 世田谷線は軌道線なので停留所間の距離は短く、隣の世田谷まで十分ほどで着く。ミニパトが巡回し、近くの飲食店が「限定ボロ市定食」という張り紙を出している。この辺りから出店があるのだろう。
 横道に入れば、それらしき出店がある。何れも一般の住宅前に出している。
人が多いこともあるけれど、誰もが傘を開いていることもあり、ゆっくりとは見物出来ない。皆見ているだけで、実際に買っている人は少ない。確かに、四百二十年近くの歴史があるものの、かつてとは違って物が溢れている今、わざわざ日用品を求めようとする人は少ないに違いない。
ただ、名物代官餅というところだけは長い行列が出来ている。どういうものかと思い、列の先頭に回ろうとしたけれど、その先頭がどこかさえ判別が付かない。雨の中、行列は増える。思うに、ここでも非日常的なものの方が売れるのだろう。祭りと変わらない景色である。
(第五百十五段)
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by akasakatei | 2005-01-27 20:55 | 日記 | Comments(0)

民家画(つるまきゆき)

 次は世田谷のボロ市である。雨でも行なっているのか否か知らないけれど、この機会に弦巻にある向井潤吉アトリエ館にも訪れることにする。押上からだと、東京メトロ半蔵門線を使い、乗り入れ先の東急田園都市線駒沢大学で下車すれば良い。
 駒沢大学で下車し、徒歩十分ほどの向井潤吉アトリエ館に向かう。住宅街の道をあちこち曲がるものの、案内が要所にあり分かり易い。近くには、駅から離れているのに、商店街もある。飲食店も何軒かあり、昼時だったので腹拵えをする。
 丁度、入った店は犬も一緒に入れるらしく、犬の写真が壁にある。また、芸能人のNやS、漫画家のYらの色紙も貼られてある。どうやら、テレビにも出たことのある店のようである。
 ポークジンジャー定食とコーヒーで休憩した後、外に出ると相変わらず雨は降っている。
 向井潤吉アトリエ館は世田谷美術館の分館である。故向井氏の自宅兼アトリエだったものである。このため落ち着いた雰囲気である。また、館員も親切で、館員の方から荷物を預ってくれる。これでゆっくりと鑑賞出来る。
 作品としては一連の「民家」が有名である。油絵ながら四季を背景としたそれは懐かしく、前から気にはなっていたものの、近いこともあって、なかなか来られなかった。雨の午後、貸し切り状態状態で作品を眺める。
 居心地の良い向井潤吉アトリエ館を後にし、これからボロ市に向かう。それには東急世田谷線の松蔭神社に出、そこから上町まで行かなければならない。
(第五百十四段)
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by akasakatei | 2005-01-26 20:56 | 日記 | Comments(0)

驚視真(ちょうこれいしゃかいのいくすえ)

 源覚寺を出た後、京島まで行く。春日から都営大江戸線で蔵前に行き、そこから浅草線で押上に向かう。押上からは徒歩である。
 地下鉄は空いている。特に、大江戸線は乗る度に座れる。尤も、平日に利用したことはない。
 向かいに年配の女性が座っている。空いているからか、傘を座席に横にしている。外は雨である。濡れているに違いない傘を置くとは、他人への迷惑を知らないのか、と思っていたところ、手を口に入れる。何をするかと見ていれば、入れ歯を取り出す。手で擦り、口に戻す。しばらく動かした後、未だしっくりしないようで、今度は鞄からティッシュを出す。拭いた後、戻すが、今度も駄目な様子である。次に、楊枝を取り出し、隙間の掃除を始める。
 呆れて物も言えない。朝、化粧をする若い女性が色々と言われているけれど、四十年経った頃には車内での入れ歯の手入れが日常風景となっているかもしれない。否、超高齢社会の現在、もう目の前に違いない。
 かつては食後どこにいても入れ歯を外し、茶碗にお茶を入れ、そこで洗った光景を見掛けた。そして最後には、その茶を飲む人がよくいた。流石に今では見掛けぬが、再び目にするかもしれない。昭和三十年代の頃だったか。
 この日、訪れた京島もその路地を見る限り、その当時を思い出させる。細かい路地が多く、その曲がり具合は懐かしい。とはいえ、家々は比較的新しいものが多い。それでも、歩いている間に方向感覚がおかしくなり、突然踏切が現れ、京成線だと思っていると、東武亀戸線の電車が今時珍しい二両編成で走って行く。
 天候が良ければ時間を掛けて歩きたいものの、雨では仕方がなく、次の目的地に向かう。
(第五百十三段)
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by akasakatei | 2005-01-25 21:02 | 日記 | Comments(0)

蒟蒻参(はつえんま)

 十六日、以前の予定だと、この日は佐貫の酒仙と目黒に水仙を愛でに行くことになっていた。それが三日に初詣をしたこともあり、十六日は取り止めとなる。その後、酒仙から十六日は午後に東京に出て来る予定があるので、午前中、大晦日に予定していた京島巡りをしようとの話しがある。その方面は今後何度も年中行事で足を運ぶことになりそうな場所である。慌てる必要もない。
 そう考えていたところ、丁度、この日は世田谷のボロ市、そして小石川の源覚寺で初閻魔がある。これに絡めてひとりで訪れることにする。
 まず、朝十時前に小石川の源覚寺を訪れる。生憎の雨である。水道橋から歩いて来たので、靴が濡れる。これでは、この後に訪れる京島はあまり歩けないだろう。天気予報では午後から晴れるという。だが、当てにはならない。前日は雪との予報だったにも拘わらず、結局は降らなかった。
 境内はそう広くはない。ここは平成の小石川七福神のひとつで「こんにゃくえんま」として有名なため、人出を予想していたものの、誰もいない。おかげで、社務所の脇に飾られた画をゆっくり見られる。何時頃の作品かは説明がなく分からないけれど、死後における流れが分かり易く並べられている。
 今回、ここを訪れたのは先に書いた「こんにゃくえんま」と関係がある。というのも、江戸の頃、眼病の老婆が治るように祈願していたところ、大王が片目をくれたという。そのお礼に大王の好物であるこんにゃくを供え、以後、「こんにゃくえんま」と呼ばれたらしい。
 今年の花粉状況については前に書いた。つまり、目の症状が落ち着くよう頼みに来たのである。丁度、この日はこんにゃくを配っており、大事に貰う。熨斗には寺の名が印刷されている。
(第五百十二段)
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by akasakatei | 2005-01-24 09:05 | 日記 | Comments(1)

欺転恥争増(しんかみろん)

 先にも書いた越生の法家とは飛行機の他に、神道の話をした。最近、法家とは宗教の話しを結構する。宗教全般から見た社会への影響に対し関心があるけれど、法家は様々な本を読んでいるようでその教義にも詳しい。
 話しを聞いていると、色々な宗教があるものである。その多くは一神教である。特に、新興宗教で目立つ。このため、排他的なところが多いのだろう。住民との摩擦が絶えない。
 その数日後、また先に書いた聖書を研究している年配者と話す機会がある。
 聖書にあるように全ては神が創ったもので、進化論は嘘であり、神が守るために人は死なず永遠に生きると言っている。死なないならば、生命保険の必要もなく入っていないのかと問えば、それには加入しているという。更に、永遠の命ということは、死なないわけだから、食べるために稼ぐ必要もなく、働かなくても良いのではないかと訊けば、聖書にあるから働き、暇を持て余すから働くらしい。
 どう考えても嘘で、永遠の命など信じられないといえば怒り出す始末である。
 こういうところが排他的な宗教の信仰者らしい。
 元々、キリスト教における神とは人生というマラソンの伴走者のようなもので、特に何かをしてくれるものではない。守るということはない。偶像を禁止し、神は目に見えないものと教えを説いているが、これは単に無知な者を騙す手法に過ぎない。
 多かれ少なかれ、どの宗教も如何に騙すか、これで日夜頭を痛めているのが現実である。
(第五百十一段)
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by akasakatei | 2005-01-23 11:33 | 社会心理 | Comments(0)

奇怪駄(わのすすめ)

 正月明け、越生の法家と話す機会があった。彼は航空ファンである。その際、航空ファンの趣味について聞く。鉄道や車に関しては大体分かるものの、航空は身近にいないので想像しか出来ない。
 例えば、飛行機それ自体やその音、また窓からの景色と思っていたところ、法家によれば、無線機から通信を傍受するファンもいるという。なかなか奥が深いものである。
 ここで思い出したのが、小学四年の頃、クラスにYというのがいた。その後、母親が旧姓に戻ったか何かでMと名字が変わったが、彼が飛行機好きであった。確か、月に一度の「お楽しみ会」か何かで「飛行機の飛ぶ原理」という題で発表を行なった。正直、摸造紙何枚かに書いてあったものの、難し過ぎて分からなかった。また、Yの説明も専門書からの抜粋で、用語が専門的過ぎた。
 尤も、今になっても恐らくは分からないだろう。第一、パソコンの説明書さえ何を行っているのか分からない。
 パソコンといえば、先日、仕事場のパソコンが壊れた。フロッピードライブの出し入れが出来ず、サポートに連絡をした。使っているメーカーは、格安料金の外資である。ここでも対応が外資特有のものであり、顧客を無視している。
 その日は祭日であり、購入時の契約により、祭日と日曜のサポートは出来ないという。このため、平日に掛け直せということであった。ならば、担当者にメモを伝え、連絡をくれるよう依頼したところ、それも受付られないという。全く以って、筋が通らないこと甚だしい。
 前にも書いた再上陸したメーカーといい、こうした対応をしているようでは、顧客の支持を得るのは難しいに違いない。
(第五百十段)
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by akasakatei | 2005-01-22 21:02 | 産業 | Comments(0)