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大東亜哄笑(たいしせいしん)

 先日、韓国と中国に関する我が国の意識調査が発表された。
それによれば韓国の人気が凄い。これも某俳優の影響である。正直、魔法をテーマにした映画の主人公の俳優と区別が付かない。こうしたタイプが人気なのか否かは知らないものの、この騒ぎを見ていると、いつまでも子供である者が多く、こうした者とは大人の付き合いは出来ないと思う。江戸では、はしゃぐ人間は一人前とは扱われなかった。社会が幼稚化している。嘆かわしいことである。
その一方で、中国の人気が低下している。当然である。我が国に対する反日感情を露わにした映像を観ていると、どう考えても大人の付き合いが出来る相手ではない。長い歴史があるとはいえ、未だ子供の国の感すらある。一般的に、中国人は喜怒哀楽がはっきりとしている。このような国とは距離をおいて接するべきであろう。
ただ、ここで忘れてならないのが、この両国とも我が国に対し友好的な感情がないことである。靖国問題ひとつをとっても分かる通り、内政干渉に等しい横槍を入れてくる。本来、これは国内の問題である。
また、最近、強盗に入られ、子供を含めた一家皆殺しの事件が相次ぐ。ある筋によれば、これらの多くは、その方面からの不法滞在者と言う。特に、本国における戸籍のない者達とのことである。連中は凶悪であり、国民の安全のために警備の強化が望まれる。
それと共に、北朝鮮への策も怠ってはならない。先日の政府の会見を見た限り、アメリカの了解が必要とはいえ、被害者は勿論、その家族の心情を理解しているとは思えない。身内に置き返れば、もっと迅速な行動が取れるはずである。直ちに、制裁を行なうべきであろう。
(第四百八十八段)
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by akasakatei | 2004-12-31 18:12 | 日記 | Comments(0)

故郷情景験(あかさかふどきしわすまえ)

 故郷の学級委員宅を八時前に出る。明日があるので長居をするわけにはいかない。四合近く飲み、正直、自宅まで戻るのが面倒臭い。かつて幽霊坂と呼ばれた付近に差し掛かり、夜空を見上げれば、故郷にいた頃が無性に思い出される。過去に通じる電話があれば、当時の自分に連絡をしたいところである。
十六年近くいて、ふと思い出されるのが六年生の冬である。中学受験の身で追い込みの時期だったものの、それほど切羽詰った感じではなく、週に四回だけ電車に乗って塾通いをしていた。御三家を狙うことは考えず、大学付属校だけを視野に入れていた。これは入学出来れば、学内推薦だけで、高校、大学受験をせずに済むとの判断からである。尤も、こう考えたのは周囲であり、ただ当人は言われたことだけをしていた記憶しかない。ただ、今になって分かるけれど、付属校にも色々とあり、そこでの選択を間違えれば大変なことになっていたかもしれないということである。幸い、そうはならずに済んだ。
そのような土曜日、水道橋にある塾に向かうために、駅に向かっていた。時間は午後三時頃である。山王下方面から、当時放送されていた『仮面ライダー』の自転車に乗ったMが来た。国際新赤坂ビルの付近である。
何事かと思えば、当時は未だ少なかった某ハンバーガー店まで家族に頼まれての遣いだという。その時、包みからひとつのハンバーガーを取り出し、ふたつに割り、一緒に食べたことがあった。その時の吐く息の白さやその湯気が今でも思い出される。だけれど、もっと印象深かったのは、ひとつとはいえ家族に頼まれたものをMの判断で処理したことである。果たして当時の自分にそれが出来たか否かは分からない。大人への階段を確実に友が上がっている姿を見たことが思い出される。
(第四百八十七段)
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by akasakatei | 2004-12-30 20:53 | 日記 | Comments(2)

得付士(しろのえん)

年忘れに国立演芸場中席に行く。その帰り、故郷の学級委員と忘年会を行なう。場所は学級委員宅である。演芸場からだと歩いて二十分ほどである。
鍋を囲む。キムチ鍋である。初めてである。キムチを日常まず口にしない。食卓には出てこない。飲みに行って誰かが頼んだのを摘むだけである。年に一回食べるか否かである。たぶん、これは東京で生活している分にはキムチを必要としないからであろう。よく言われるように、キムチは朝鮮における風土と気候から生まれた。東京はそれほど寒くもなく、野菜にも不自由しない。率先して食べる理由がないのである。また、辛いものが特に好きというわけでもない。どちらかといえば、極端な味付けより繊細な味わいが好みである。このため、キムチをベースにしたそれを口にしたことがなかった。
鍋だと酒が進む。かなり飲んだ頃、学級委員が大掃除をしていて、懐かしいものが見付かったと言う。見れば六年生当時の名札と記念写真である。写真は兎も角、名札は珍しい。二十四年前のものである。誰が書いたのか力強い字である。
  また、写真は六年生に限らず、四年や五年の頃のものもある。それらは遠足や学芸会、校外教室の時に写され、当然、覚えている顔もいれば、誰だったか分からない者もいる。クラス会が開かれることはないので、今後二度と会わない者ばかりである。それだけ、クラスの仲が悪かったということだろう。そのような中、学級委員や佐貫の酒仙に時を経て再会出来たのはこれも何かの縁に違いない。多感な時期を共に過ごせなかったのは残念だけれど、これからも末永く付き合っていきたいものである。
(第四百八十六段)
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by akasakatei | 2004-12-29 21:57 | 余暇 | Comments(0)

無道首(さかさづり)

 今後の定率減税について報じられた。政府はいつも財政が厳しくなると、増税だけを考える。これでは古代と変わらない。そのような中、仁徳天皇が未だに語り継がれているのはどうしてか。政治家、官僚はこの意味を考えなくてはならない。
また、何故、歳出削減を考えないのか。国家財政を家計に考えれば分かる話である。
まず、公務員の待遇が良過ぎる。民間では生活が苦しく、自殺の話を聞くが、公務員では聞いた例がない。
その公務員であるが、予算が税金であることを忘れ、己の利権のために好き勝手に使っている。それらは将来的な福祉に使うべきものである。
更に、一部の特権階級に回す費用も多い。この特権階級は、生まれながらにして法によりその地位が守られており、低所得者層の子息と比べ、教育の機会や将来への就職など不平等を生んでいる。特権階級は思い付きにより、機関を設けることも可能であろう。これが庶民ならば、まずスポンサーを探さねばなるまい。こうした点を考えれば、その待遇は恵まれ過ぎている。
何れにしろ、増税ではなく、歳出削減を検討する時期に来ていることは明らかである。景気も踊り場になっている。最早、今でさえ血税であり、これ以上の増税は自殺者や路上生活者を増やすばかりである。
(第四百八十五段)
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by akasakatei | 2004-12-28 20:58 | 日記 | Comments(0)

後両替商売(とっけんあきない)

 昨年触れたシステム障害を起こした某銀行S南口支店より、案内通知が届く。何事かと思えば、S南口支店と同敷地内にあるS支店との統合の知らせである。これは予期されたことであるものの、この数年の間に、口座は、甲銀行K支店から、某銀行K支店へ。それから、S南口支店、そして来年にはS支店と、目まぐるしく変わる。
 この口座は受け取り口座であり、支払い担当者に変わる度に伝えなければならない。この労力は馬鹿にならない。銀行側は涼しい顔をしているけれど、取引先が多い法人は困惑しているに違いない。
 どうも金融機関は己の世間における立場を分かっていない気がする。
 そこで、通知にフリーダイヤルがあったので、責任者に問い質すことにする。
 呼び出し音は鳴っているものの、すぐには電話に出ない。どのくらい待たされたか、時間を見れば一分以上である。普通、このような場合、二、三コールで応答するものである。また、漸く出たかと思えば、「お待たせしました」のひと言もない。社員教育がなっていない。
 この後、責任者に代わるが、ここでも電話口に出るまでかなりの時間待たされる。最早、預金者を馬鹿にしているとしか言いようがない。
 相手がこうした態度であり、何を訊いても時間の無駄と考え、支払い担当者に送る変更届通知を配達記録で送って貰うだけにする。
(第四百八十四段)
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by akasakatei | 2004-12-27 08:42 | 日記 | Comments(0)

欺繕奢(わすれしこころ)

 聖書を研究しているという年配の女性と話す機会があった。それによれば、聖書の素晴らしさを知らせるために秋葉原近辺を回っているらしい。
 秋葉原周辺は、最近では電気街よりもアニメやゲームの町として有名である。このため、歩いていると気持ち悪くなるとのことである。そのファンが何を考えているか分からず、自分だけの世界に閉じこもり、駄目な人達と切り捨てる。
 正直、凝り固まった考えで自分だけの世界で生きているという点では、宗教に走る者も同様ではないか。特に、排他性のある一神教ではその傾向が強い。
 これに気付かない彼女は滑稽である。聖書とは博愛主義を問いているのではないか。尤も、それは一神教であり、異端を認めず、排除する点で博愛主義でも何でもなく、内容が矛盾しているのは明白である。
 前にも書いたが、宗教とは、元々弱い人間の心の拠り所である。そう考えれば、各々が縋りたいものに縋れば良く、決して他人を干渉するものではない。
 どういうわけか、ここを忘れた宗教が多く、信仰という理由だけで、世界のあちこちで軋轢を生んでいる。本来、生きていく上で大切なことは、信仰よりも、相手の立場を考え、思い遣ることである。これがあれば、信仰など持たなくても、暮らし易い社会になるはずである。
(第四百八十三段)
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by akasakatei | 2004-12-26 13:53 | 日記 | Comments(0)

平成大名様(とうせいのとの)

 既に、多くの人はボーナスを手にしたことであろう。これは出るのが当たり前と考えている人がよくいるけれど、実際には、出さなくても良いものである。このため、ボーナスを当てにしていては駄目である。所詮は経営が悪化すれば支給されない水物である。
 かつて、ある銀行の経営が悪化し、国有化される話があった時、行員が給料やボーナスも公務員並みになるのかと反発したことがあった。あまりにも、現状に対する認識が薄く、呆れて物も言えなかった。そのようなことだから、経営が悪化するのである。
 この時期、各紙は業種別の支給平均額を掲載する。相変わらず、高い業種は高い。こうした中、その数字を納得している人はどれくらいいるのか。
 その数字を当てにし、流通業ではボーナス商戦を行なう。バブルが終わって以来、成功した例を聞いたことがない。その理由として、消費者に欲しいものがないからだとよく言われる。
 各店のチラシを見、目立つのはデジタル商品である。これなど、操作が複雑で早急に欲しいものでもない。地震でも起こり、ライフラインが止まってしまえば、何の役にも立たない。
 こうした観点に立てば、消費者が本当に必要としているものが見えてくるのではないか。
 かつて、消費文化は美徳とされた時期もある。確かに、所得が増える目途があればそうに違いない。ただ、今は下がることはあっても、上がることはない時代である。ならば、生きていく上で必要なのは、昔からのものである。それについても、江戸の大名や豪商が今ほどのものを持っていたか否か怪しい。つまり、現代社会の庶民は最早かつての権力者や金持ちも越えているのである。こうした事情を知れば、これ以上の贅沢をしたいとは思わないはずである。
(第四百八十二段)
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by akasakatei | 2004-12-25 21:02 | 日記 | Comments(0)

永田町闇政(だとうきたへのみち)

 故郷に戻りたくても帰れない。土地が高過ぎ、一生働いても無理である。住める日が来るとすれば、路上生活者になった時であろう。そうでもないと、都内には住めない。
 同じ東京に住んでいるのに、故郷がこれほど懐かしいのだから、北朝鮮により拉致され、未だに救出されていない被害者の心境は如何なるばかりか。
 先日、北朝鮮より被害者の遺骨として渡されたものが全くの別人のものと判明した。これに対し、世論は経済制裁を望んでいるにも拘わらず、政府は慎重な姿勢を崩していない。この前、仕事で議員会館に行った時、幹事長代理がいたので、それについて訴えようかと思ったものの、暴漢と思われそうだったので控えた。
 たぶん、この裏には、経済制裁についてアメリカ大統領の御墨付きが貰えていないのだろう。
 仮に、経済制裁を行なった場合、崩壊寸前の無法者、北朝鮮はどういう手段に出てくるか。恐らく、どのような手を使ってでも体制維持を目指すに違いない。その時、今のアメリカではアジアにまで手が回らない。このために、総理は圧力より対話を未だに重視していると思われる。
 だが、最早対話では効果がない。ロシアや中国などとも話し合い、早急に圧力を掛けるべきである。この拉致事件に関しては、体制崩壊の方向に持っていかなければ全面解決はしないであろう。そのくらいまでに、掛ける必要がある。
(第四百八十一段)
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by akasakatei | 2004-12-24 20:59 | 日記 | Comments(0)

見野枯(きょうでんしゃさんさく)

 京都市営東西線へは六地蔵から入る。このためにはJR奈良線で六地蔵に出なければならない。ただ、京都から真っ直ぐ行くのも面白みに欠ける。そこで、JR片町線と近鉄京都線の三山木付近が高架化されたので、それを見てから行くことにする。
 大阪方面から片町線で入り、車窓から近鉄の三山木を見ていると、凄いスピードで電車が通過する。まるで模型のようである。JRと共用する駅前広場は未だ工事中である。
この辺は片町線と近鉄が並走する区間である。近鉄との乗り換えは祝園が便利である。隣接する近鉄の新祝園とは連絡橋で繋がる。
 新祝園は急行が停車する。これに乗り、大久保に向かう。そこから、奈良線の新田までは徒歩五分ほどである。ただ、道は分かり難い。大久保で貰った駅員手作りの地図を片手に歩く。パチンコ屋の脇を車の抜けられない商店街がある。国道をを渡ればゲームセンターがある。中高生が店から出てくる。
 地図のおかげで、どうにか新田に着く。もしなければ、どうなっていたことか。結構歩いたことだろう。
 丁度、電車が入ってくる。良いタイミングで六地蔵に向かう。
 六地蔵は地下駅である。今回延伸された醍醐までの間、地上を走る区間はない。またホームドアを採用しているため、駅の印象も薄い。
 本来、京都は地下鉄よりも路面電車が似合う町である。この線は三条京阪から山科までの区間を含むが、その昔、そこが京阪の地上線だった頃は関西を訪れる度に足を延ばしたものである。町と電車が風景に溶け込んでいた。今やそれも遠い話である。
(第四百八十段)
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by akasakatei | 2004-12-23 20:55 | 日記 | Comments(0)

焔吐津(むらさきえんまく)

 十一月二十六日、京都市営地下鉄東西線の醍醐から六地蔵間の二・四キロが延伸された。師走ということもあり、何かと忙しく、十二月十一日、漸く日帰りで行くことが出来た。
 日帰りのため、時間を有効に活用する必要がある。このため、新幹線の始発に乗ろうと思う。いつも利用する新宿経由では間に合わない。今回、初めて小田急線で町田に出、横浜線経由で新横浜から乗車する。
 普段は禁煙車を利用する。ただ、この日は指定券を直前に購入したこともあり、喫煙車しか空いていなかった。一歩車内に入り、驚かされた。東京から十六分しか走っていないのに、既に空気が紫色である。すぐに喉がおかしくなる。座席に着き観察すれば、あちこちで煙突状態である。
 このような喫煙車の環境では、子連れや駅弁を広げる気にはなれない。
 愛煙家は平気なのだろうか。恐らく煙草で舌が麻痺し、味に対し繊細さを感じることが難しいのではないか。総じて、愛煙家は濃い味付けを好む傾向がある。これは西洋料理における味付けによる素材の誤魔化しと同様に、最早素材の味そのものを感じられなくなっているからであろう。
 寿司屋や和食の店に行くと、食べないで煙草を燻らせている人がいる。これは迷惑である。味を考えれば、その周辺に座ることにより損なわれるので敬遠する。
 また、煙草を吸う職人も感心しない。手を洗ったとしても、爪の間までは取れない。そのような手で素材を扱われると思うと、食欲がなくなる。客が口に入れることを考えたならば、煙草を吸いたいとは思わなくなるはずである。
(第四百七十九段)
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by akasakatei | 2004-12-22 22:19 | 日記 | Comments(0)