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撰採深(したにつきさす)

 家人によれば、エンゲル係数が高いということで、先週より夕食の食材を宅配してくれる割安なサービスを利用している。一週間単位で前以って、何種類かのメニューからひとつを選んでおくと、その日の午後に食材が届けられる仕組みである。
 栄養士がカロリーやバランスを考えているのだろうが、正直、三日で飽きた。というのも、メニューは洋食が中心であり、毎日のようにサラダが出てくる。
 洋食より和食が好みである。油を使った料理も時々ならば良いだろう。これが毎日続くと、最早食卓に座る前に食欲がなくなる。また、サラダにしても、洋食に合わせて見栄えを考えたつもりかもしれぬが、こう寒くなってくると、身体を冷やすばかりである。それに、ドレッシングの重たさは辛い。野菜の煮物が懐かしい。
 最近では、国内の旅でも、前にも書いた通り、味噌や醤油が変わっても、すぐに東京に帰りたくなるほどである。国外に出ることなど、想像さえ出来ない。
 やはり、生まれた土地の物が一番口に合うということだろう。そういう観点からすれば、辛さや濃い味付けよりも、繊細な江戸的な味が好みである。
(第四百五十七段)
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by akasakatei | 2004-11-30 20:52 | 日記 | Comments(0)

懲賎叩(きゅうじょうかいせい)

 先日の北朝鮮からの我が国に対する回答は何だったのか。対話と圧力と言っているけれど、あまりにもふざけた内容であり、すぐにでも食料支援の凍結や経済制裁を行なうべきである。第一、現在、我が国は新潟県中越地震で国交のない北朝鮮に支援をしている時期ではないだろう。国民を優先すべきである。
 大体、北朝鮮に送ったとしても、その大部分は、オリンピックで相撲が正式競技ならば、その代表になるであろうその国の総書記とその子にしか分配されないのではないか。まわしが似合うのはこれら以外に今のところ該当者はいない。
 こういう観点からすれば、アメリカにおいて穏健派のパウエル国務長官の退任に伴い、ライス大統領補佐官が後任に指名されたことは、北朝鮮を正すには絶好の機会であろう。
 油断のならない隣人であり、これについては名指しをしたブッシュ政権中に片付けるべき問題である。
 また、油断がならぬといえば、中国の領海侵犯である。これについても、強い態度で臨むべきである。曖昧な態度ではなく、断固たる決意でなくてはならない。
 それにしても、周辺をおかしな国で囲まれている。こうなると、これら隣国には文化的違いもあり、我が国が誠意を見せても裏切られるだけであり、何れは憲法九条に関する問題を誰もが真剣に考える時が近く訪れるだろう。
(第四百五十六段)








    
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by akasakatei | 2004-11-29 21:27 | 日記 | Comments(1)

末広近酒場(もものおでん)

 火曜日、国分寺の師匠からメールが届く。これにより、新宿で何分か待つ。最近は車内で偶然に会い、そのまま飲みに行くことが多く、連絡を取るのは珍しい。
 この日は、新宿の末広亭近くにあるおでんの店に入る。正直、外ではまず食べない。これは、自宅のそれは練り物が中心で、わざわざ外で食べたいと思わなかったからである。
 だが、外のそれは練り物ばかりでないことを知る。というのも、おでんを外で食べるのはこの日が初めてで、その印象は上品振ったものである。何だか、皿に少量が行儀良く盛られ、家庭におけるそれとは異なる。こうなると、料理である。また、出汁も薄く、濁ってはいない。どうも勝手が違う。
おでんの他にも、何品か頼んだが、最後に出てきた鶏の焼いたものはスタッフが勧めるだけあり、なかなか美味しく、これで酒があれば良かったと思う。何しろ、鶏を絞めるか、捌くかしていたらしく、締めのお茶漬けを食べ終わった頃に出される。
 閑話休題。初めての店で気になるのは、いつも書く通りスタッフの対応や内装である。ここでは、スタッフを呼ぶ時はブザーを鳴らす。だけれど、二回ほどしか鳴らしておらず、頼もうとすると側にいることが多かった。これは常に店内に気配りをしているからであろう。
一方、内装は出入口の自動ドアが気になる。店は二階にあるのだが、ガラス部分が大きい。これだと、酔っ払いの目には、階下が分かるので、ドアがないと考え、強くぶつかる者もいるのではないだろうか。
(第四百五十五段)
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by akasakatei | 2004-11-28 22:22 | 日記 | Comments(0)

難波鷹(かみがたのそら)

 押入れを整理していたら、南海ホークスに関する新聞の切り抜き、主にオーダーテーブルが出てきた。
 それを眺めていたところ、現役中に急性心不全で亡くなった久保寺選手の名がそれにはなく、また、先日引退を表明した加藤伸一投手が最終的に九勝の成績を残していることを考えれば、昭和六十年頃のものではないかと思われる。
他にも、後にコーチやフロント入りした山村や矢野、池之上の各選手、また、他球団ではロッテの梅沢、小川の両投手など懐かしい名前がかなりあった。
 更に、印象深いのが観客数である。大体が四桁台で、五桁まで入った試合は珍しく、西武戦か開幕戦くらいなのである。選手の年俸が低かったこともあるけれど、これでよく経営していたものと感心する。参考までに書けば、最も少なかったのはシーズン終了間際の千人である。
 こう考えてくると、ダイエーになってからのホークスは変わったものである。当時からホークスにいる大道選手も実感しているに違いない。今後は、ソフトバンクになるが、どういう風になっていくのであろうか。
 そういう点では、大道選手には将来的には親会社が変わったことによる選手の視点からのチーム回顧録でも出版して貰いたいものである。尚、統合オリックスには阪急時代の選手がおらず、それが望めないのは残念である。
(第四百五十四段)
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by akasakatei | 2004-11-27 20:59 | 日記 | Comments(0)

除孤仲(おはなしばばあ)

 国立演芸場十一月中席の千秋楽に行く。これは、国立演芸場開場二十五周年記念により、国立劇場で行なわれている歌舞伎か文楽のチケットを持参した人を対象に来年三月までの上席、中席に限り、演芸場のチケットが半額の千円になるため、足を運んだのである。
 このキャンペーンのためか、この日は大入り満員であった。普段、芝居には行っても、寄席には行きそうもない年配女性が目に付く。これは寄席にとっては良い傾向で、独立行政法人になってから、劇場だけでなく演芸場でも変化が見られる。
 ただ、気になったことを言えば、芝居の感覚からか、噺家が落語をしている最中に連れと言葉を交わしているグループがいたことである。非常に耳障りである。
 本来、落語だけでなく、芝居の最中にも話をすることは許されないが、どういうわけか年配女性はすぐに連れと話したがる。周辺の迷惑を顧みることはなく、自分の世界に浸ってしまっている。どういう神経をしているのか。
 この問題に関しては、昨年亡くなった春風亭昇柳師匠がかつてその著作でも触れている。その中で、ある人が「皆さん、芝居は静かに観ましょうね」と言ったことが心に残っているという。
 確かに、こう言われれば静かにはするであろう。だが、根本的には、年配女性の自覚の問題であるものの、その社会への影響は大きい。例えば、彼女らが育児をした結果が、現代社会の中心にいることを考えれば、今日の自己中心的な世の中の責任の一端はあるといえるだろう。
(第四百五十三段)
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by akasakatei | 2004-11-26 20:54 | 日記 | Comments(0)

他家等苦事(じんせいさいだいのかけ)

 電車は人間を観察するのに相応しい空間である。
 例えば、よく夫婦連れを見掛ける。その夫婦を観察していると、よくこの配偶者と一緒になったなと感じさせる時が必ずある。特に、がめつそうな老婆などそうだろう。乙女時代の想像は出来ず、夫がどこに惹かれたのかと思ってしまう。恥じらいは勿論、品という言葉さえどこかになくしたようである。中には、外見を繕い、装飾品や洋服で着飾る女性もいるけれど、内面の美しさは知らぬ間に外見に現れるので、着飾る分無駄というものである。
それにしても、十月に出雲で行なわれる会議で、神々はどういう考えで結び付けてしまったのだろうか。興味のあるところである。尤も、それについては氏神からの申請によるものらしいので、前もって根回しをしておけば、そのまま通るものなのかもしれない。
では、そうした場合、男からか、それとも女から氏神に頼んだのか。
 どちらともいえないものだが、背景に金の力があるのは間違いないだろう。女に金があれば男は性格に目を瞑るだろう。また、男に金があれば、女は本心を隠し近寄るに違いない。強かである。
こう考えると、全く恐ろしいことである。金の切れ目が縁の切れ目となることは目に見えている。そうした夫婦は幸福ではないだろう。『機動戦士ガンダム』におけるシャアの言葉を借りれば「認めたくないはないものだな。若さ故の過ちというのは」ということになる。
(第四百五十二段)
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by akasakatei | 2004-11-25 20:58 | 日記 | Comments(0)

損財談(はっとしまへ)

 キーホルダーが壊れた。新しいものを買おうと考え、町に出たものの、大きくてポケットに入らないか、入ったとしても上等のもので、手が出ない。
 仕方なく、家の机を探していたところ、二十年前ほど前に、千住の写真家や国分寺の師匠、行徳の引越人らと東北に行った時に土産として買ったそれがふたつ出てくる。
 正直、当時は何でそのような物を買ったのだろうと、家に戻って思っていたのだが、いつ役に立つか分かったものではない。必要ないからといって、下手に捨てるのは考え直さねばならないのかもしれない。そういう点では、路上生活者を見習う必要があるのだろう。尤も、それは路上生活者への第一歩ともなる。
 閑話休題。そのキーホルダーだが、ひとつは国鉄青森駅の入場券の形をしたものである。ところどころ錆びており、年月を感じる。
 また、もうひとつは青森県の形で、観光地が記されている。廃止された連絡船や大畑までの鉄道が当時を思い出させる。
 折角なので、これらを仕事場と自宅用に使い分けることにする。両方とも音の違う鈴が付いていることもあり、動く度に涼やかな音色がし、猫になった気分である。
 鈴といえば、『ああ無情』の修道院における年配の下男や故壷井栄氏の作品における「チリリン屋」と呼ばれる何でも屋の年配女性が思い浮かぶ。これらは存在を周辺に知らせるために鈴を鳴らす。これらは意図的である。
僧もまた錫杖を意図的に鳴らす。そこで、ポケットからのそれを錫杖のそれと考える。猫や下男や何でも屋のように、わざわざ存在を周辺に知らせる必要もないからである。尚、僧はまじないのためである。
(第四百五十一段)
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by akasakatei | 2004-11-24 20:47 | 日記 | Comments(0)

西大井散策(のんきたんぼう)

 誰でも車窓から気になる町のひとつやふたつはあるに違いない。
 今回、そうした町である西大井の「のんき通り商店街」を訪ねたいと思う。
 ここを初めて知ったのは、五年ほどの前のある日曜日に東京に向かう新幹線に乗っていた時である。変にのんびりと、時間が進んでいない印象を受けた。
 自宅に戻り、記憶にある高架化近くの小学校を手掛かりに、どの辺りかを地図で確認したところ、流石に商店街までは書かれておらず、場所の特定が出来なかった。それが今回、インターネットで検索したところ大体の位置が分かった。以前にも、それを活用したことがあるが、その時は大田区と思い込んでいたこともあり、上手くいかなかった。実際には品川区である。
鮪尽くしの飯を終え、横須賀線で西大井に向かう。
先に大体の位置と書いたが、細かい場所までは分かっていない。足で探すつもりでいる。だけれど、これが思った以上に大変であった。というのも、ここら辺は商店街が多く、どこに向かえば良いか見当が付かないからである。結局、木枯らし一号の中を一時間以上歩き回る。途中、交番があり、訊ねたものの要領を得ず、諦めて駅に戻ることにする。
交番で教わった道をいくつか曲がると、郊外の商店街によくある、下手に賑やかな音楽が流されている通りに出る。一瞬うらぶれた気持ちになるが、そこが探していた商店街であった。片道車線で、欠伸をした廃品業者の車がゆっくりと通る。また、歯抜けの店が多い。左右を見回しながら商店街の端まで行けば、そこは駅前広場へのガード下である。あまりの近さに愕然とする。どうやら、一本手前の道に行ってしまったのがいけなかったようである。
(第四百五十段)
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by akasakatei | 2004-11-23 20:54 | 日記 | Comments(0)

真具路付志(あきないどう)

 山車を見た後、切符と資料探しを終え、時間が午前中だったこともあり、西大井に向かうことにする。ただ、その前に昼食を済ませておくことにする。
 ここ数日、夕飯に洋食が続いたこともあり、和食、特に、魚が食べたい。土曜日なので、よく行く魚料理の店は休みである。そこで、この際、図書館近くにあり、気になっていたものの、これまで仕事場から多少遠いために入ったことがなかった店で食べることにする。
 そこは、取引先に行く途中にある。時々、前を通ると、ランチメニューに魚料理ばかりが書かれている。このため、魚好きとしては引っ掛かる。
 さて、その店に入ったところ、内装や流れている曲は今風なものだったが、スタッフが都内では珍しいことに親しげで、自己紹介も含め、積極的に話し掛けてくる。流石に、自己紹介は初めてである。このため、初めてなのに居心地は悪くない。どうやら常連が多いようで、入ってくる度に世間話をしている。
また、夜の営業に関しても熱心なようで、さり気なく、酒の好みについても訊かれる。
 日本酒と答えたところ、青森のある地酒を試飲させてくれる。なかなか美味しく、つい笑顔がこぼれてしまう。香り、喉越しなどが良い。
 休日にはここでゆっくり飲みたいと思うものの、残念なことに夜は平日しか営業していない。
 土曜はランチだけで、魚料理の店と思っていたところ、どうやら、鮪に力を入れているようで、それの竜田揚げ、ハンバーグ、刺身などの定食を頼む。ご飯と味噌汁はやや小ぶりの器で、お代わりが自由となっている。女性や年配客に配慮したのだろう。
 接客について考えさせられた店である。初めての店はこういう点で勉強になる。
(第四百四十九段)
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by akasakatei | 2004-11-22 08:38 | 日記 | Comments(0)

山車丸日留(まるびるにて)

 越生の法家より仕事場に連絡が入る。何事かと思えば、丸ビルで越生の山車が展示されているという。その見学の勧めである。
 丁度、次の休みは、十二月に京都に行くのでその切符の手配、また京橋図書館に資料を探しに行く必要があるため、ついでという感じで足を向ける。
 これまで、丸ビルには入ったことはない。前を通っただけである。出来た時は凄い人出だったものの、今は落ち着いている。その後、あちこちで同様のビルが出来て、そちらに行くようになったのだろう。
 さて、山車だが何台か飾られている。各地のそれである。越生の他、神田松枝町、熊谷、八王子、川越などのものである。飾られている姿は、蒸気機関車が静態保存されている感じで、祭りを知らない者にとってはどれも同じに見える。確かに、その造りは素晴らしく、華美ではある。だけれど、それだけである。動いていれば多少は違うのだろうが、こればかりは仕方がない。
 こう考えると、山車とは祭りの時に見るべきもので、それ以外では面白みが半減するものなのだろう。つまり、切っても切り離せない関係で、どちらか一方だと物足りないものと思われる。元々、山車自体が神の依り代だから、これは当然に違いない。祭りとは人が神を祝うことである。それはハレである。そうした雰囲気でないと、山車は生きないのであろう。
(第四百四十八段)
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by akasakatei | 2004-11-21 19:38 | 日記 | Comments(0)