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電車内落書(ちかごろしゃないではやるもの)

 車内におけるマナーの悪さについては常々触れている。先日、面白いものを見た。
 それはドアのすぐ上にある横差しの広告である。だからといって、広告が面白かったのではない。そこに挿まれていた落書きが良かったのである。
 それには車内における通話に関して皮肉を交えて書かれていた。要約すれば以下の通りである。

 中髙生や甘えているヤクザ者の車内におけるマナーの悪さは見慣れたが、分別があるはずの大人さえも……。嘆かわしい。

 これはたぶん年配者が書いたのであろう。「髙」で分かる。
 まるで、二条河原の落書きのようである。
 ただ、ここで忘れてならないのは、中高生の親はここで指摘している大人くらいの年代ということである。この親にして、この子あり、というものである。
 それにしても、この年配者ではないが、車内で唖然とすることは多い。満員電車において缶コーヒーを飲む若い会社員、人が掴まっている釣り革を強引に奪う年配者など、何を考えているのか分からないことばかりである。
(第三百六十六段)
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by akasakatei | 2004-08-31 21:30 | 社会心理 | Comments(0)

神楽笛(びんぼうがみこうしんきょく)

 先に離婚しようとしている知人の話に触れたけれど、その後に、今度はひとつ年下の知人・甲が銀行口座を差し押さえられたと連絡があった。
 それによれば、従兄弟の連帯保証人になり、その従兄弟が破産したために、債権者によって差し押さえられたらしい。何でも、前日は親族で会議を開いたという。
 連帯保証人には、どう思われようと絶対になるな、とは昔から言われていることである。家によっては、死んだ婆さんの遺言、と言って断っている例もある。
 これらは手垢に塗れた話だけれど、未だに連帯保証人になる者がいるということは、余程相手に義理があるか、信じていたのだろう。
 何はともあれ、こうなった以上、甲が債務を果たし、それを従兄弟に求償するしかないだろう。尤も、その従兄弟は雲隠れ中で、結局、損をしそうな雰囲気であるが、甲には頑張って貰いたいものである。
 それにしても、周辺は貧乏神が絡んでいそうな話ばかりである。一体、何人の貧乏神が存在するのかと思ってしまう。
 たぶん、甲の従兄弟もそれに苦しんでおり、その結果が今回の始末である。連帯保証人とは相手の弱みに付け込むものであり、冷静に考えれば尋常なことではない。やがて信頼を失うであろう頼む方も、今後信頼することが出来なくなる頼まれる方も不幸になるものであり、そうしたものには近付かないことである。
(第三百六十五段)
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by akasakatei | 2004-08-30 21:29 | 社会心理 | Comments(0)

所為笑(わらいのでんどう)

 ギリシャで思い出すのは神話であろう。我が国にも神話がある。これは各国に存在する。唯一、存在しないのはアメリカで、このため、コンプレックスになっているらしい。
 その神話だが、どこの国のものを読んでも、神が争い、そして死んでいるのが面白い。神が死なないというのは、どこから出て来たのだろうか。
 考えられるのは聖書である。確かに、そこには一神教の神しか存在しない。神の死についての記述はない。排他的である。
 この中で面白いのはイエス・キリストの父親の記述である。マリアがイエスを処女懐胎した時、彼は未だマリアと結婚はしておらず、恋人関係であった。そのマリアから懐胎を聞かされ、間男の存在を疑っているのである。今でもよく見掛ける普通の男である。これが解けるのは天使が現れ、説明を受けてからである。
 キリシタンは聖書を大事にしているが、意外に、他の神話同様笑える話が多い。一度、読むことを勧める。だからといって買う必要はない。
旅に出、ホテルに泊まれば、何故か部屋に備品としてある。それで充分である。夜の退屈が紛らわされる。これによって、信者になる心配はない。
(第三百六十四段)
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by akasakatei | 2004-08-29 21:27 | 国際 | Comments(0)

怪丑三(てならし)

 この夏は寝不足である。勿論、オリンピックが関係している。だが、テレビは観ていない。観ているのは家人である。日本人が活躍する度に時間を問わず拍手をする。人が寝ている時に、迷惑な話である。まるで、落語の『宿屋の仇討』状態である。これを知らない近所はどう思うか。
 こちらはそれほど関心がなく、新聞で結果を知るだけで充分なものの、家人はそれでは済まず、結果が分かっていても、ニュースで必ず確認している。
 こうした調子だから、結果が悪いと機嫌が悪い。特に、期待されている野球に関しては厳しく、先取点を取られると気分が悪いと言い、途中でスイッチを消す始末である。尤も、その後も気になるようで、どうなったかと言いながら、点けたり消したりしている。忙しいことこの上ない。
 家人によれば、参加するだけでは駄目で、日本人が活躍しなくては意味がないらしい。活躍はどうでも良いが、こちらとしては早く終わって貰いたいと願うばかりである。
 活躍すれば機嫌は良いが拍手が煩く、活躍しないと機嫌が悪い。正直、ない方が生活を乱されない。
 ここまで関心が持てないのは、今のオリンピックが商業主義で、またプロ選手が参加し、かつての精神がないからに他ならない。本来、スポーツとは楽しみながらするもので、ここにはそれが欠けている。
(第三百六十三段)
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by akasakatei | 2004-08-28 21:26 | 余暇 | Comments(0)

時事種応用(おかみへの)

 各地の温泉が揺れている。代表的なのは、温泉としているのに,実は、沸かし湯で入浴剤を使っていると言う。客を馬鹿にした話である。経営をする気があるのであろうか。この問題に関して、関東近辺の温泉巡りをしている千住の写真家に見解を聞いてみたい。
 先日、お江戸上野広小路亭を覗いたら、ある噺家が早速この問題を使って、新作落語を披露していた。なかなか時事性がある。本来、落語とはこうしたものである。
 時事性は歌舞伎にも求められるけれど、最近は古典が中心なこともあり、新作で観られないのは残念である。尤も、筋に関係がない遊び部分では採り入れられている。
 元々、落語や歌舞伎は大衆の娯楽で、お上への皮肉が込められていたものである。これを消して、お上寄りになってしまっては面白くない。最近、共に新作が少ないのは体制側の人間が増えたからか、または大衆性がないからか、それとも、大衆に元気がないからだろうか。こういう大衆が閉塞された時代にこそ、社会を反映した新作が望まれる。
 そうした意味では、先の温泉の題材は面白く、次が期待される。新聞を見れば、題材にはこと欠かさないはずである。
 現在、積極的に時事性を採り込む娯楽は深夜アニメである。ほとんどの人の目には触れぬが、かなりレベルが高い。ただ問題は大衆性があるか否かである。これについては疑問符が付くが、現在、国際的に通用する数少ない分野であることは間違いない。そうした意味ではもっと多くの人に見て貰いたいものである。
(第三百六十二段)
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by akasakatei | 2004-08-27 21:25 | 文芸 | Comments(0)

右甚五郎伝(かげもふめぬ)

 入浴中に左肩を痛める。背中を洗おうとして、腕を回した時に捻った感じである。投手がよく言う肩に引っかかりを覚える状態である。
 痛み止めや湿布を貼っているものの、なかなか良くならない。これは、意外に日常で左手を使うからに他ならない。尤も、これは自分だけかもしれない。というのも、前にも書いたが、子供の頃に聞き手の右手首を骨折し、一時、鉛筆や箸を左で使っていたことがあり、今でも時々無意識に、鉛筆や箸以外で左を結構使うことがあるからである。
 正直、肩より上がらないため、電車で釣り革に掴まることにも苦労している。子供の頃は片手でも、特に不自由は感じなかった。無理に探せば、トイレで用を足した時か。左では拭き難かった。それが、今ではそれどころではない。
 この文もパソコンを使っているけれど、意外と左でもキーボードを打っている。かなりの酷使をしている。これも治らぬ原因か。
 何にしても、人は身体の一部が欠けても不便である。そういう点では、健常者からすれば、何事もこなす障害者には感心する。
特に、先日、新宿駅の中央線ホームへ上がる階段において、白い杖を持った年配の男性が、壁に杖を横一直線に当て、発車間際の電車に乗るべく、物凄い速さで駆け上がって来たのには驚いた。あれで、誰かがいたら危険この上ない状況であった。
(第三百六十一段)
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by akasakatei | 2004-08-26 21:24 | 余暇 | Comments(0)

夫婦絆炸裂(めおとつなわたり)

 今度三回目の離婚を予定しているふた回り年上の知人から連絡があった。現在、この知人は細君とは別居をしているものの、別居先に細君が訪ねてくるのが煩わしく、引っ越すと言う。そこで「連絡先を教えるが、これを誰にも教えないで貰いたい」とのことである。
 その時は気軽に了承したものの、数日後、細君より連絡が入る。知人が「行方不明なので、連絡先を知っていたら、内緒で教えて貰いたい」と頼まれる。
 正直、困ったけれど、知人の方が先だったこともあり断る。
 その後、細君より知人の日常を知らされる。それによれば、前妻の子らの面倒を見ているのに、生活費は入れず、文句を言えば暴力に及ぶらしい。
 これらは知人から聞いたこととは百八十度異なる。それによれば、知人は肝臓を壊しており、医者から指示されたメニューがあるものの、細君は作ってくれず、病気のため、夜の生活もご無沙汰気味であり、それを詰られたと言う。更に、連れ子の面倒も見ず、あれほど情けのない女だったとは思わなかったと吐き捨てる。
 夫婦喧嘩は犬も食わない。それから考えれば、こちらは何もしないのが一番である。それにしても、予想もしなかったことである。全く巻き込まれるとは思いもしなかった。
 一体、夫婦とは何なのか。その絆とは。ひとり者には分からない。
(第三百六十段)
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by akasakatei | 2004-08-25 21:23 | 家族 | Comments(0)

待時間実感(しんりじっけん)

 人はどのくらいまでなら待てるのだろうか。いくつか例をあげる。
 朝の通勤電車はどうか。普通約二分半間隔で運転されているが、この盆休み中、中央線は間引き運転を行なった。このため、五分間隔となり、東京方面の新宿駅のホームは溢れた。これで、特別ダイヤの案内放送があれば、毎日利用している者は一応納得するだろう。それもなく、東京発の特急を回送するために間引きを行なったのであるから、利用者を無視しているとしか言えない。このため、車内は通常より混み、心理的に苛立っているわけだから、車内でトラブルがあってもおかしくはない。
 次に、本屋のレジはどうか。東京駅近くの書店Yはフォーク状にしてないないこともあり、無法地帯化している。最近、地下街に新たな店舗が出来たものの、ここもフォーク状ではなく、利用し難い。その点、老舗のMはフォーク状になっていて、そうした待つ辛さはない。ただ、残念なことに売り場面積が狭く、探している本が見付からないことが多い。それを考えると、Yになってしまう。
 尤も、逆にYは溢れ過ぎていて見付からず、そういう時は事前に取り置きを頼む。
先日、それを取りに行ったところ、頁が折れており交換を頼んだものの、在庫の確認に戸惑い、出版社からの取り寄せとなった。三週間ほど掛かるということで連絡を頼んだものの、期日を過ぎても連絡がなく、こちらから連絡したところ、一昨日に付いていたと言う。
以上より、レジの周辺、品の点検、在庫の把握、連絡ミスなど、基本が出来ているとは言えない。この結果、客に迷惑を掛けていることに気付かなくてはならない。このままでは、近くに豊富な在庫を持つ書店が出来れば、そちらに客は流れるに違いない。
(第三百五十九段)
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by akasakatei | 2004-08-24 21:22 | 産業 | Comments(0)

小鳥飛(なんわもまわり)

 先に、故郷の酒屋について触れた。そこで、「いずみ屋」と書いたけれど、正しくは「いづみ屋」だと分かった。ここに訂正する。
これでも分かる通り、人間の記憶とはあやふやなものである。特に、年を重ねるに従い、そう感じられる。尤も、覚えておこうという気もない。これは、学生時代に社会学と出会ったからでもある。この学問は知識の記憶よりも、方法論を重視する。知識は書物に書かれているものである。わざわざ時間を費やす必要もなく、それよりも、費やすべきは感覚を磨くことであった。
こうしたこともあり、高校までは記憶が良かったものの、以降は衰退するばかりであり、何れは友人の顔さえ忘れてしまっているかもしれない。
笑い話ではない。この兆候が見られる。知人の顔は分かるのだが、名前が思い出せないのである。
仕事場には、コピー機の定期点検やプリンターの保守担当者が何ヶ月かに一回訪れる。この時に、思い出せない。例えば、名字が二文字だったとすれば、上は思い出せるが、下の一字が出て来ないのである。
情けないことである。言い訳を書けば、担当者の異動が頻繁にあり、点検も忘れた頃に訪れるからある。顧客の立場からすれば、用はなくても、顔を見せてくれた方が有り難いのだが、合理化のためか、そうした会社は最近まずない。
(第三百五十八段)
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by akasakatei | 2004-08-23 21:20 | 余暇 | Comments(0)

情報化前夜(ぶんけんのやま)

 アテネでオリンピックが始まった。左程関心はないものの、新聞記事やニュースで情報が入ってくる。情報化社会とはよく言ったものである。
 そうした中、日本における金メダル獲得数が百個になったということで、その名前が新聞に掲載されていた。目で追っていたところ、あるひとりで止まる。
 それは、大学一年時に体育実技(スポーツ総合)で教わっていたI先生の名前が出ていたからである。
 遠い記憶を探れば、当時同じクラスにいた鶴見の所長が、そのI先生に関する経歴をどこからか調べてきて「東京オリンピックのレスリングで金メダルを獲った」ことを教えてくれたことを思い出す。
 ただ、スポーツ総合では全二十回のうち半分は、水泳ばかりを行ない、先生も「泳げない者を必ず泳げるようにさせる」と言っていた。このため、水泳が専門とばかり思っていた。これらの事実より、所長の情報は間違いだと考えていたけれど、正確だったようである。
 それにしても、所長はどこで調べたのだろうか。未だ、インターネットがなかった時代である。その情報力には感心する。当時は文献を調べることが大切だった。尤も、これは今も変わらない。インターネットによって、様々な情報が簡単に入るようになったものの、そこには明らかに間違っているものも存在する。それを見極める必要がある。それを知るには、文献調査も欠かせない。その上で、インターネットでの情報を利用すべきである。
(第三百五十七段)
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by akasakatei | 2004-08-22 21:19 | 教育 | Comments(0)