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故郷情景電視台(あかさかふどきてれび)

 「ザ・ドリフタ―ズ」のリーダーだったいかりや長介さんが亡くなった。子供の頃、土曜の夜を毎週楽しみにしていた者としては寂しい。印象に残っている場面は結構あるが、特に頭を離れないのは「いつも怒ってばかりいるから、いかりやというんだ」と言っていたことである。
これから「ドリフ」は誰がリーダーになるのか。年齢的には高木ブーさんだが、自ら五番目の男と言うように、その任ではないのだろう。とはいえ、最近の活躍はどうだろうか。七十を過ぎているとはとても思えない。正直、当時、ここまで活躍するとは考えていなかった。
ここで、佐貫の酒仙からメールが届く。件名には、「小学校時代の思い出」とある。開くと、学校が配布した「みんなのうた」という歌を集めた冊子の写真である。これは今も手元にあるが、様々な歌が載っている。開きには校歌がある。その後、四季に関する歌や民謡が続く。頁が終わりに近付く頃、どういうわけかアニメや特撮の主題歌が出て来る。特に、『仮面ライダーV3』が懐かしい。これは丁度放映されていた時期である。関係があるのか。
それにしても、在校中にこの冊子が活用されたことはない。何を目的にしていたのか。単純に考えれば、バスによる遠足の時に使うものとも思うが、そうしたことはなかった。となると、ただ経費の無駄遣いだったということになる。
何はともあれ、普段は忘れている懐かしの番組を思い出す出来事が続いたここ数日である。
(第二百十三段)
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by akasakatei | 2004-03-31 16:01 | 余暇 | Comments(0)

八戯十九厘(そうじばいとはみた)

 『裸の王様』を我々はどう考えるだろうか。例えば、日常生活を営んでいると、そこにあってはならないものがあるのに、気付かない振りをする時がある。疑問に思っても、何も言わないものである。これが大人の作法である。
 それが、先日、次の経験をした。
 夜、小田急線に乗っていて、ドア近くに立ち外を眺めていた。電車は下北沢のホームに入ったのだが、流れる窓の向こうで電車を待つ人々の間に、何とも不思議な顔を見たのである。
 その人は、山羊の顔をしているのである。格好は首から下は洋服で、臙脂色のセーターを着ている。このため、顔の白さが際立っている。勿論、その顔は造形したものに違いなく、異様な雰囲気である。ハレの場ではそうした道化を見るものの、日常ではまずいない。周辺にいる人を見れば、何もないような顔をしている。明らかに気付いていない。
 これは先に書いた『裸の王様』ではない。本当に、どこにでもある日常空間に、異形が溶け込んでしまっているので、平気なのだろう。また、常識で、ここではそれが存在することはないと思っているのかもしれない。
 何はともあれ、この種のことは多い。
 先日、人気のある場所、某で掃除のバイトをしている人と話す機会があったが、そこでは考えなかったことばかりに遭遇するという。
 例をあげれば、犬のような女や耽美の世界という。
 「掃除バイトは見た」といえる。
(第二百十二段)
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by akasakatei | 2004-03-23 16:00 | 社会心理 | Comments(0)

故郷情景壁新聞(あかさかふどきいいんかい)

 前に壁に張られた新聞の切抜きについて書いた。それに関して、故郷の学級委員より連絡があった。
 それによると、掲示委員の長だった学級委員が担当の教師におだてられ、彼が当時購読していた子供新聞を元に壁新聞を作ったことがあるという。その壁新聞とは、よく見掛ける模造紙にマジックで書いたものではなく、ただ新聞から切り抜いたものを集めただけだという。
 ここでお互いの記憶に相違が生ずる。それは、掲示委員会作成の壁新聞は模造紙に書かれていたとの記憶である。また、時間の差もある。記憶では五年である。それが学級委員の話からすれば、委員長だった頃というので最上級生ということになる。ということは、これはお互いに別々の時期のことを一緒にして考えてしまっていると思われる。
 その証明としては、記事の内容があげられる。覚えているのは次の記事である。
それは不思議な話である。中国の山奥に住む老婆の頭から角が生えてきた、というもので、写真まで載せられていた。これなど、Tスポーツ新聞が得意とする分野である。こうしたものが子供新聞で記事にされ、それを学級委員が壁新聞に使ったとは俄かには考え難い。また、当然、教師の検閲が入るので、全校児童を対象としたものとして掲載の許可が出るとは思えない。
こう考えてくると、クラスのものと考えるのが自然ではないだろうか。
(第二百十一段)
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by akasakatei | 2004-03-22 15:59 | 教育 | Comments(0)

筆止剣(みたのおかに)

 週刊誌Bの記事が世間を騒がせている。これに関して、色々と報じられているけれど、第三者からすると、書かれたのが某政治家の長女ということで、司法に政治的圧力が加わったのではないかと考える。
 建前は三権分立というが、実際はどうか。判例を眺めていると、逃げているとしか思えないものが結構ある。特に、憲法九条関係で目立つ。疑いたくもなる。
それに疑われる材料として、政治家の子供ということもある。交通事故の揉み消しなど、政治家の圧力でうやむやになったケースは数多い。
一見、政治家とは人々のために働いているようだが、所詮、自分の利益だけである。それには余程甘みがあるのだろう。見渡せば、二世議員ばかりである。こうした連中に任せられるのか。
 これについては政治家ばかりでなく、責任の一旦は有権者にもある。事件を起こす政治家の記事を目にすると、有権者らの顔が見たくなる。
 この結果が最近の社会なのだろう。あまりにも、無関心であり過ぎたといえる。
 何はともあれ、今度の騒動は出版業界においては、重大な意味を持つ。どうなるか興味深い。どこからの圧力にも屈しないことを望む。
(第二百十段)
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by akasakatei | 2004-03-21 15:58 | 政治 | Comments(0)

鼻見野地獄(かがみにうつりし)

 桜が咲いた。先日、国分寺の師匠から花見の案内を貰ったけれど、この分だと、開かれないだろう。開催予定日が来月となっていて、このままだと、葉桜を愛でることになる。葉桜もそれなりに楽しみ方はあるものの、流石に花ほどではない。
 ならば、繰り上げるのもひとつの手だが、今月のスケジュールはもう一杯である。見頃の時期、今年も所用で東京を離れている。久し振りに、東京の花見を楽しみたかったのに、それも難しそうである。
 ところで、世間では、三月中に咲いたことで騒いでいる。ただ、暦を確認すれば、今年は閏二月があり、例年とは異なる春だということは想像に難しくない。
 異なるとは、早いか、長引くことを指す。四季のうち、春は一般的に過ごし易いこともあって、大多数の人はこう聞いても何とも思わない。
 こういう人は羨ましい。極めて健康の持ち主であろう。最近では、春と聞くと、それだけで花粉症を思い浮かべ、憂鬱になる人が増えている。
 この苦しさは花粉症以外の人には分かり難い。この時期、「春眠暁を覚えず」というが、症状を持つ者にとっては鼻詰まりがひどくそれどころではない。生きるか死ぬかである。息が出来ないから、当然である。
 今年は少ないと予報されていたが、これは全くの誤報だった。ひらがなにすると、同じ「はな」でも、それを待つ人の気持ちは百八十度違う。安易な予報は控えて貰いたい。
(第二百九段)
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by akasakatei | 2004-03-20 15:57 | 余暇 | Comments(0)

明作書(らしんばん)

 今でこそ、月に五冊以上の本を読むが、十代の頃はそれこそ無縁の生活であった。思えば、貴重な時間を何に使っていたのだろうか。
その反動か、ジャンルを問わずに手に取る。
 特に、児童文学には考えさせられる。最近の作品も悪くはないものの、やはり、古典が面白い。所謂、名作と言われるものである。
 この種のものは、アニメ化されたこともあり、題名だけは知られている。原作を読んだことがない人でも、テレビで観た人は多いに違いない。
 日本語訳を探してみると、意外なことに、絶版が目立つ。勿論、有名なものは文庫ですぐに見付かる。絶版となっている作品の特徴は、宗教色や内容が悲劇に近いものである。
 図書館や古本屋で、それらを探し、読んでみると、内容がテレビ用にかなり手を加えられている。また、テレビでは結末まで話が進まないうちに、放送が終了してしまったものもある。こうなると、アニメを見ただけで、内容が分かった気になってはいけないことに気付く。
 例えば、原作が書かれた時期にもよるけれど、空想的社会主義の結末が結構多い。一種の理想で、誰もが安心はする。だからこそ、反対にテレビはそこまで描かないのかもしれない。
 子供の頃、こうした名作は、原作は勿論、アニメになったとしても、そう面白いものとも感じなかった。それが、この年になると変わってきた。人間が擦れたからだろう。これらの名作を、古い訳で読むと、それこそ味わい深くなる。
(第二百八段)
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by akasakatei | 2004-03-19 15:56 | 文芸 | Comments(0)

生活防衛策(わすれたころに)

 中国の全人代、スペインのテロ、韓国の大統領弾劾など国際社会で、今後我が国の経済に少なからず影響を与える材料が出始めた。一時、日経平均も上がる様相があったものの、この頃では下がり気味である。どうやら景気の回復には未だ時間が掛かる見通しである。
 それにしても、この株価に一喜一憂しなければならないとは、経済社会とは疲れる。システム的には、「風が吹けば桶屋が儲かる」の論理だけれど、社会が複雑になっている分、先を読むのが難しい。また、現代社会は何が起こるか分からない。特に、国外との結び付きがかつてより強いので尚更である。
 我々の生活はこうしたものの上で成立しており、非常に脆く、何時どうなるか不安の毎日である。いくつかの新聞を隅から隅まで読んでいると、胃に穴が開くのではないかと思われる。
一般的に、新聞に隈なく目を通している人は少ないに違いない。一紙が四十面ほどだけれど、これらの情報のうち、どのくらいの割合を読んでいるのか。全部を読めるのは余程暇がある人だろう。
 かつて小学五年の頃、新聞の読み方について担任に習ったことがある。それによれば、見出しを眺めるだけで良いとのことであった。当時、どういう経緯かは知らないが、壁に新聞の切抜きが張ってあった。それは子供らが自主的にやっていたもので、それに関してのコメントか何かだったと思う。これについて、故郷の学級委員や佐貫の酒仙は覚えているであろうか。
 それは兎も角、情報量が多い今日、全ては細分化され、専門家以外には理解出来ないことばかりである。だけれど、教養としては専門外も多少で構わないので知っていたい。この時代、そうでもしないと生活出来ない。
(第二百七段)
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by akasakatei | 2004-03-14 15:54 | 社会心理 | Comments(0)

紅梅窓(このにおいには)

 用を足す。顔を上げると、四分の一ほど開かれた窓から、裏の家にある紅梅が目に入る。トイレの窓は一般的に小さいから、収容所からの光景に近いけれど、決定的に異なるのは様々な音が聞こえることである。特に、子供の声はそこではまず聞かれない。
 これは、我が国において犯罪者に対し矯正を前提としていることとも関係がある。その効果については以前に触れたことがある。だから、今回、神戸の元少年Aが、仮とはいえ社会に戻ってきたのは、これまでのことを考えればある程度分かっていたものの、疑問符が付く。
正直、結果が最悪だと税金の無駄使いといえる。犯罪者に対する処置を根本から考え直す必要があるだろう。かつては打ち首だった者でも、今では下手をすれば、自由の身である我々よりも収容所で良い生活をしている。これでは、被害者やその周辺の人は遣り切れず、また、失業に苦しむ者はどうすれば良いのか。
 政府が現状を把握していないのは、今に始まった話ではないものの、そこには上辺だけの人権主義が感じられる。単なる自己満足としか言いようがない。
 この世で、他人を思う人間はほとんどいない。誰もが、己が一番大切である。口先だけの同情は出来るが、真に心配しているかといえば、所詮は他人事である。現在の犯罪に対する処置には偽善の臭いしかしない。
 信じられるのは、自分と本当の意味での悲しみを知っている人間だけである。
(第二百六段)
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by akasakatei | 2004-03-13 15:53 | 社会心理 | Comments(0)

破毛山(だつもうざんまい)

 年齢とともに体力が衰えていくのは仕方がないことなのかもしれないが、やはり寂しさは感じる。若い頃にやり残してしまったことをあれこれと考えてしまう。
 特に、鏡に立った時、愕然とする。髪、皮膚などに歩んできた年輪を見付ける。
 こうなると、電車や街中でもつい他人が気になる。目は頭に集中する。
 その結果、年配の男性に関しては、その多くについて毛が薄くなっている。また、若年者にも結構いる。一方、無縁にも思える女性でも年齢に関係なく、目立つことが分かった。
 そして対策だが、男性は残っている毛を伸ばし隠そうとするものの、女性については、その傾向は見られなかった。
 そこで、書物やインターネットを使い調べたところ、脱毛の症状は脂漏やフケ、男性ホルモンなど複数存在し、それは生活習慣や食事、パーマ、茶髪などと密接な関係があるという。
 つまり、自然とほど遠い生活になってしまった現代では、いつ、誰がなってもおかしくはないといえる。
 この後、注意をしていると、スポーツ新聞や男性向き週刊誌には、カツラや育毛、発毛などの広告が目立ち、また、テレビでもかなり特集が組まれていることを知る。
 今日も車内で観察していたところ、横である書類に目を落としていた女性がいた。書類を見る気はなかったのだが、電車が揺れた拍子に文字が飛び込んでくる。そこには原因別の脱毛についての説明があった。どうやら、その種の会社の新入社員のようである。
(第二百五段)
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by akasakatei | 2004-03-12 15:52 | 社会心理 | Comments(0)

素抜由(しょくたくかくめい)

 牛丼が街中から姿を消し、もうすぐひと月になる。その後、京都の養鶏場のこともあり、食の世界はちょっとした混乱を来たしている。気は早いが、このままだと今年の重大ニュースになると思われる。
 それにしても、ちょっと意外だったのは牛丼の人気である。これほどだとは、思いもしなかった。週刊誌やインターネットを見ると、自宅における作り方が出ていたりする。それらによれば、プロに負けない味を再現出来るらしい。
 世の中も変わったものである。かつては、自宅において蕎麦でさえ食べようとするなら苦労の連続であった。千住の写真家とも、その話題になったことがあるが、蕎麦汁が特に難しかった。その頃とは、昭和四十年代から五十年代で、今とは異なり、店に行っても売ってはいなかった。唯一、店頭に並んでいたのが、老舗が出す缶入りのそれである。但し、値段が張り、気軽には利用出来なかった。
蕎麦汁に関しては、誰もが同じことを考えていたようで、国民的人気番組の『サザエさん』において、タイコがその苦労を舟に語っていたことがある。こうした描写があるから、人気があるのだろう。
それは兎も角、蕎麦を生かすも殺すも汁次第であり、そういう意味からすれば、蕎麦の消費は間違いなく増えたに違いない。この傾向は蕎麦だけでない。カレーやシチューなど、かつては一から作っていたものが、素を使うことにより誰でも作れ、自宅の食卓に上がる料理を豊富にさせたといえる。
その反面、昔からのおふくろの味が遠くなってしまったのは寂しい。
(第二百四段)
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by akasakatei | 2004-03-07 15:51 | 余暇 | Comments(0)